「ソフィーの世界」

ドイツ語題:Sofies Welt

原題:Sofies verden

 

ヨスタイン・ゴルデル

( Jostein Gaarder 1952~)

 

 

<はじめに>

 

ノルウェーの作家、哲学者、ヨスタイン・ゴルデルの作品。この本を読むと、人類の歴史の中に占める哲学の流れが良く分かる。ストーリーも面白いが、西洋哲学の入門書としても最高。

 

<ストーリー>

 

 十四歳の少女、ソフィー・アムンゼン。ノルウェーにある小さな街の、森の近くの家に住んでいる。父親はタンカーの船長でほとんど家におらず、いつもは母親とふたりきりで生活している。

五月のある日、ソフィーは差出人のない封筒に入った自分宛の手紙を、郵便受けの中に見つける。切手も貼ってない。開けると、そこには、

「きみは誰?」

と一言だけ書いてあった。翌日また同じような封筒が。

「世界はどうして出来たの?」

その中にはまた、そんな問いが書いてあった。

 そのまた翌日、ソフィーは郵便受けに分厚い封筒を発見する。開けてみると、それは「哲学者」からのものであった。彼女は、引き込まれるように、その哲学者からの手紙を読む。そこには「哲学とは何か」、「人間には何故哲学が必要か」が書かれていた。

 その後、ソフィーは数日に一度、郵便受けの中に分厚い封筒を見つけるようになる。その封筒の中には、西洋における文明の起源から今日までの哲学者とその主張が、その時々の背景とともに説明された手紙が入っていた。ソフィーは不思議に思いながらも、その内容に興味を持つようになる。

見知らぬ人物から哲学の通信教育を受けていることを、ソフィーは母親にも親友のユールンにも隠していた。 母親はソフィーに差出人の書かれていない手紙が頻繁に届くので、誰か男の子がラブレターをよこしているのだと思い込む。

 ソフィーは自分に手紙を送る人物が誰であるのか、知りたくて仕方がない。彼女はある日、哲学者をお茶に招待する手紙を書いて郵便受けの横に置いておく。数日後、彼女は返事を受け取る。そこには、

「まだ我々は会う時期ではない。」

と書かれていた。差出人はアルベルト・ノックスとなっていた。奇妙な名前であるが、そがこの哲学者の名前らしい。

ソフィーは一晩中起きていて、誰が手紙をソフィーの家の郵便受けに入れるのか突き止めようとする。そして、夜中にバスク帽をかぶった中年の男を見つける。

 哲学者からの手紙の他に、不思議な絵葉書がソフィーの家に届き始める。宛先は「ソフィー・アムンゼン方、ヒルデ・ミュラー・クナーク殿」となっている。差出人はレバノンの国連平和維持軍に働くノルウェー人の陸軍少佐アルバート・クナーク、ヒルデの父親であるという。しかし、ソフィーは、ヒルデにもその父親にも、会ったことがない。どうして、ヒルデの父が、自分宛に絵葉書を送り続けるのかを考えると、ソフィーは混乱するばかり。そのうちに、その絵葉書は、ありとあらゆるところに登場しはじめる。あるときは通学路の電柱に貼り付けられていたり、あるときはソフィーの家の台所の窓ガラスに貼り付いていたり。一体、誰がどのようにして絵葉書を届けているのであろうか。

 「哲学者」アルベルトは自分の正体をソフィーに見られたことに気付き、手紙を届ける方法を変える。自らが届けるのではなく、「メッセンジャー」に届けさせるという。果たして、そのメッセンジャーはラブラドール犬のヘルメスであった。ヘルメスはソフィーの家の庭にあるソフィーの秘密の隠れ場所、木の洞穴の中に、手紙を届けにやってくる。

 ある日ソフィーはヘルメスの後をつける。しばらく森の中を行くと、湖の畔に出た。向こう岸には小さな家が建っていて、その煙突からは煙が上がっている。

ソフィーはつないであったボートに乗って、向こう岸に渡り、その家の中に入る。果たしてそこが、アルベルトとヘルメスの住処であった。そこには古い鏡と、二枚の絵が掛かっていた。一枚は「ビルクリュー」と名付けられたある家と庭の絵、もう一枚は「バークレー」という哲学者の肖像であった。

ソフィーは誰かが帰ってきた気配に驚き、急いで立ち去る。そのとき、「ソフィーへ」と書いた封筒を思わず持ち帰る。乗ってきたボートは岸から離れてしまっていたので、ソフィーはずぶ濡れになりながらボートに泳ぎ着き、対岸に上がる。

 アルベルトはあるとき、ヴィデオカセットをソフィーに送りつける。ソフィーがそのヴィデオを見ると、舞台はアテネであった。アルベルトが写っており、彼はヴィデオの中からソフィーに話しかける。アルベルトはヴィデオの中から、アテネの三大哲学者、ソクラテス、プラトン、アリストテレスについての話をする。

 ソフィーが帰りの遅い母親に代わり夕食の準備をしていると、電話が鳴る。受話器を取る。アルベルトであった。彼は明朝四時に町の教会まで来るようにソフィーに告げる。ソフィーは母親に、ユールンの家に泊まりに行くと言って家を出る。そして、実際は真夜中過ぎにユールンの家を抜け出し、教会に向かう。教会には僧服を纏ったアルベルトが居た。そこで彼は、中世について、その間の哲学の不毛時代について説明する。そのようにして、アルベルトは場所と演出を色々変えつつ、ソフィーに会い、西洋哲学の歴史についての講義を進めていく。

 ヒルデ・ミュラー・クナークは目を覚ます。もうあと数日で彼女の十五歳の誕生日がやってくる。彼女のもとに小包が配達される。それはレバノンの国連平和維持軍で働く父親、アルバート・クナークからのバースデープレゼントであった。その荷物を開けると、中には分厚いファイルが入っていた。それは一冊の本と言ってもよかった。そしてそのタイトルには「ソフィーの世界」と記されていた。ヒルデはその本を読み始める・・・

 

<感想など>

 

 子供向きに書かれた本なのであるが、これを読むと、西洋哲学の流れが分かってしまうという、なかなかすごい本である。実際読んでみると、アルベルトによる「講義」の部分が半分、ソフィーとヒルダに関する「お話」の部分が半分。そして、その「講義」の部分も実に分かり易く書かれており、「お話」の部分もそれなりに面白い。つまり、この本は「二兎を追って」例外的に成功している例であると思う。

 しかし、西洋の哲学は、最終的には「神」と「人間」の関係を解き明かそうとする努力であったいう印象を受けた。もちろん、古代ギリシアの自然哲学者、カール・マルクスのような無神論者など数少ない例外も登場するが、最終的にどの哲学者も、色々な言い方を使ってはいるが、「神」の存在を認めているように思える。万有引力を発見し、天体の運行の原理を説明したアイザック・ニュートンでさえも、熱心なキリスト教の信者であり、自分の発見が「神の存在」の実証になるものと信じていたというのであるから驚く。

 この物語の最大の疑問、それは「陸軍少佐アルバート・クナークは誰なのか」、ということに尽きる。彼はどうして、自分の娘宛の葉書をソフィーに送ってよこすのか、そして、どの切手も貼っていない葉書がどうして、レバノンからノルウェーに届くのか。アルベルト・ノックスは、それらを「見え透いたトリック」と片付けるが、アルバート・クナーク少佐は、まるで「全能の神」のように振舞うのである。それが、この物語の疑問であり、鍵であり、そして「落ち」にもつながる。

 そのヒントとして、ソフィーも感じているのであるが「アルベルト・ノックス」、「アルバート・クナーク」(ノックスも「K」で始まる)この類似を挙げておこう。

 さて、「お話」の部分はさておき、「講義」の部分、せっかく苦労して読んだのに、そのまま忘れてしまうのは惜しい気がする。それで、アルベルト・ノックスの講義のサマリーを書いてみた。ノックスの講義自体が、長大な西洋哲学史のサマリーなのであるが、その更なる要約である。

 ヨーロッパにおける「キリスト教の時代」、「中世」の嫌になるくらいの長さにも驚いた。中世は、四世紀から十四世紀まで、実に一千年の間続いたのである。ギリシアの哲学者のみならず、人々は、結構人間中心で、合理的な考え方をしていたようだ。しかし、中世に入り、「考える」ということは、教会の専売特許になってしまい、その間、哲学の発展が止まってしまったと言っても、過言でないと思う。

アルベルト・ノックスはその長さを、キリストが生まれたのを午前零時とすると、朝の四時から夕方の四時ごろまで延々と「中世」が続いたと、ソフィーに説明する。そのために彼はソフィーを朝の四時に教会に呼び出したのである。ともかく、それは哲学にとって、人間にとって、残念なことであったように思う。

また、どの哲学者も、多かれ少なかれ、ソクラテス、プラトン、アリストテレスのアテネの三大哲学者の影響を受けていることに驚く。改めてこの三人の偉大さを知った。

いずれにしろ、この物語、ソフィーという少女の魅力、彼女の聡明さ、純真さ、そしてユーモアで読者を惹きつけていると言える。面白く、ためになる本として、皆に推薦したいと思う。

 

<アルベルトがソフィーに教えたこと>

 

「哲学の萌芽」

「アテネの哲学者たち」

「ヘレニズム」

「イエスとパウロ」

「中世の哲学」

「ルネッサンス」

「バロック」

「経験主義」

「啓蒙主義」

「カント」

「ロマン主義」

「マルクスとダーウィン」

「フロイト」

「実存主義」

 

20104月)

 

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