「哲学とは、哲学者とは」

 

 「哲学」を始める一番の近道は、「哲学的な問い」を自分に投げかけてみること。例えば「自分は誰?」とか「世界はどうして出来たの?」とか、そんな質問。人間はこれまで常に自らにそのような問いを投げかけ、それに答えようとしてきた。そして、問いは基本的に同じでも、答えは時代によって随分違うものであった。

 人間は手品師によってシルクハットの中から取り出されるウサギのような存在である。つまり、誰かのトリックによって操られている。ウサギと人間の違いは、「そのトリックが何か」を人間は考えることが出来る点である。

 しかし、人間は成長するうちに、歳を取るうちに、全てを当たり前だと思い、そのトリックに驚かなくなる。産まれたての子供にとっては全てが驚きの連続であろう。そのような驚きの心を持って世界を見ることが、哲学を行う第一歩である。つまり哲学者とは、子供のように、常に驚きの目でもって世界を観察している人たちである。

 

 

「哲学の萌芽、自然哲学者たち」

 

 紀元前六百年ごろ、ギリシアにおいて、哲学の芽が生まれた。それまでは神話の時代であった。北欧人は彼らなりに、ギリシア人も彼らなりに、自分たちの起源、自然現象を「神の仕業」であると説明しようとした。最初の哲学は、その神話に疑問を投げかけることから始まった。おりしも、ギリシアでは自らを政治に特化できる「市民階級」が生まれ、十分に思索する時間のあるその人たちの間に、最初の哲学が生まれたのであった。

 ギリシアにおける最初の哲学は「自然哲学」と呼ばれる。つまり、自然現象の謎に迫ろうとしたわけである。水が蒸気、氷になるように、動植物が生まれ死んでいくように、万物は常に変容する。その基になる物質を最初の哲学者たちは見つけようとした。

 ミレトスのターレス(Thales)は、万物の根源は水であるとした。彼はピラミッドの高さを測り、日食を予測した人物である。同じ頃アナクシマンドロス(Anaximander)は万物の基礎を「無限なもの」とであると説いた。アナクシメネスはそれを「空気」であると定義した。

 紀元前五百年前後、パルメニデスParmenidēsは「無から有が発生することはない」という今日の「質量不変の法則」に近い思想を明らかにしている。彼は人間の「理性」も常に不変であると説いた。これに対して、ヘラクレイトス(Hērakleitosは「万物は常に流転している」と述べた。人間は同じ川に二度と足を浸すことはない。何故なら、二度目は人間も変化しているし、川の水も変化しているからである、そうヘラクレイトスは考えた。

 エンペドクレスによると、万物はひとつの要素からではなく、「土」、「空気」、「火」、「水」の四つの要素からできているという。そして、その配合により物質は様々な形に変化するのだという。アナクサゴラス(Anaxagorasは物質が眼に見えない小さな構成要素からできていると予言をしている。更にデモクリトス(Dēmokritos、その構成要素を「これ以上細かく分けられないもの」、「アトム」(原子)と名付けている。

 このようなやり方で、ギリシアの自然哲学者たちは、万物の根源に迫ろうとした。同時に彼らは、自然現象(Natur)に対し,神話に代わる自然な(natürlich)説明を与えようとした。それまでギリシア人は運命論者であった。つまり現在こうなることは先に「運命」によって決まってしまっていたということである。それが日常生活のみならず、政治や医学にまで用いられていた。その運命を知るために「占い師」が幅を利かせていた。有名なものは、デルポイ(Delphi)神託である。また病気も神から与えられた罰であると考えられていた。

それらに対して、ヘロドトス(Herodot)、ツキジデス(Thukydides)は歴史に神話ではない新たな解釈を与えようとした。またヒポクラテス(Hippokrates)は、病気や健康に自然的な説明を与えようとした。また同時に医者としての倫理にも言及した。

彼ら、自然の根本、原理を追い求めた人々を総称し、「自然哲学者」と呼ぶ。

 

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