「ヘレニズム」
アレキサンダー大王(紀元前356−323)は、ペルシアに勝利した後、ヨーロッパからアジアまでを支配するに至った。それによりヨーロッパ、エジプト、オリエントが、ギリシア語とギリシア文化によって統一された。アレキサンダーの死後、彼の支配した地域は、マケドニア、シリア、エジプトに別れ、ギリシア語による文化は、ローマ帝国の勃興により、ラテン語の文化に置き換えられていく。しかし、ギリシアの国々は滅んでも、その文化は引き続きヘレニズム文化の中に行き続けることになる。
ヘレニズム文化の特徴は、アレキサンダーの大帝国をきっかけにした、国境の消滅と文化の混合である。ギリシアという国は滅んでも、アテネはまだ哲学の中心であり続けた。しかし、一方、エジプトのアレキサンドリアに、大規模な図書館が建設され、そこが新たな自然科学の中心となった。
ヘレニズム期の哲学でまず挙げられるのは、キュニコス派である。彼らはソクラテスの影響を受け、物質的なものに依存した幸福を否定した。その中でも有名な人物がディオゲネス(Diogenes紀元前412?−323)である。彼はボロをまとい、樽の中で生活をしていた。アレキサンダー大王が彼の前に現れ、
「何でも望みを叶えてやろう。」
と言ったとき、
「あんたの陰になって日が当たらないので、どいてくれないか。」
と言ったという。「シニカル」という言葉は、このキュニコス派の名前から来ている。
次はゼノン(Zenon 紀元前336 – 263 )により開かれたストア派である。彼らは全ての人間は同じ「普遍的な理性」を有していると説いた。人間の中にはひとつの内的な世界「ミクロコスモス」が存在し、それは外的な世界「マクロコスモス」を反映している。この派は「世界市民」、「コスモポリタン」という言葉を始めて使った。この派は同時に、初めて「ヒューマニズム」を説き、奴隷も含めた万人が、生まれながらにして権利を有していると考えた。この「ヒューマニズム」は後年キケロによって発展させられていく。ストア派の人々は、自然現象、病気などは全て自然の法則によって起き、人間はそれに抗うことができないと考えた。その一歩下がった態度は、「ストイック」、「禁欲的」という言葉の基となった。
いずれにせよ、キュニコス派もストア派も、人間は物質的な豊かさを望むことから解放されねばならないと述べている。
それに対してエピクロス(Epicurus紀元前342−270)は、人間の幸福は楽しみを享受することから始まると説いた。しかし、チョコレートの好きな子供が、買えるだけの金でチョコレートを買って食べたとしたらどうなるだろう。最後はウンザリしてしまい、その金で買おうと思っていた自転車が買えなくなって後悔する。エピクロスは刹那的な快感ではなく、長期的、持続的な快感を追うことをよしとした。彼にとって、幸福な人生とは、死の恐怖に打ち勝つことであった。
「生きている間は死はやってこないし、死が来れば我々はもういない。」(従って、人間は死についてあれこれ思い悩む必要はない)
と彼は言った。ともかく、「今を生きよ」ということが、エピクロス派のモットーであった。
キュニコス派、ストア派、エピクロス派は、どちらかというと、ソクラテスの思想を土台としている。それに対して、プラトンの思想を土台にしたものが、ネオプラトニズム(新プラトン主義)である。
プロティノス(Plotinos 205−270)は、後のキリスト教の解釈に大きな影響を与えている。彼は、世界は二つの「極」かれ成り立っていると述べた。すなわち、「光」と「闇」である。光は「唯一のもの」つまり神であり、その光は遠くに行くにつれてだんだん弱まっていき、最後は暗黒の世界となる。つまり、闇があるのではなく、闇には何もないのである。人間は余りにも神から離れると、その光が届かなくなる。この考え方はキリスト教における一神教の説明に利用されている。
プロティノスの属する神秘派は、神と一体となる体験ができると考えた。一滴の水となって、神である大きな海に落ちれば、そこで神と一体感を持つことができると。これはもう、瞑想により神の世界を体験しようという、東洋の哲学に近い思想である。