経験主義
デカルト、スピノザというふたりは、十七世紀の「合理主義」の代表選手で、人間が生まれながらにして持っている「理性」の存在を信じ、それを大切にするようにと説いた。デカルトは「完璧な存在」すなわち「神」の存在を信じた。
それに対して、十八世紀は「経験主義」の時代である。「経験主義」の基本は「人間は生まれたときは白紙、空の器」ということであり、「生まれながらにして持っている理性」というものは否定している。これはアリストテレスの「感じることのできるものから世界はなりたっている」、「イデアは経験によって作られる」という考えに似ている。代表的な経験論者は、ロック、ヒューム、バークレーであり、三人とも英国人である。
ジョン・ロック(John Locke 1632-1704)は、
@人間は「観念」をどこから得るのか
A五感で感じたことを信用できるのか
というふたつの疑問から論を進めた。彼は、人間は最初空の器であり、人間の持つ観念は、その経験、感じたことの反映であると、つまり経験によってその器が徐々に満たされると説いた。
例えば子供が始めてリンゴを食べる。「丸い」、「緑色」、「酸っぱい」、「ジューシー」などが五感によって経験される。その後何度もリンゴを食べるうちに、その子供には「リンゴ像」といったものが作られる、つまり「リンゴ」という観念が形成されるのである。リンゴを食べるということは「外界から得る単純な感覚」であるが、そこから「リンゴとはこういう物だ」という、「内的な反映」が生まれるというのである。
ロックはまた人間が感じることができるものを、形、重量、動き、拡張性などの「第一感覚」と味、色、音等などの「第二感覚」に分けた。「第一感覚」は誰もが同じように感じ、「第二感覚」は人によって感じ方が異なる。
人間が「第一感覚」により感じる確かな経験により、それが「拡張された経験」に発展し、その結果人間は倫理的な考えを持つようになるとロックは述べる。彼は神を否定してはいない。神の存在は、盲目的な信仰からではなく、合理的な経験の積み重ねにより、知ることができるというのである。
ロックは他に「男女平等」、「権力の分立」(まだに二権分立で三権分立ではないが)、「人間の生まれながらの権利」を説いた最初の人物である。彼はフランス革命の百年前に、その根本思想を見ていたのである。
デヴィッド・ヒューム(David Hume 1711-1776)はエジンバラで生まれ、ヨーロッパ中を旅した後、また故郷のエジンバラに戻った。彼はヴォルテールやルソーと同じく、十八世紀の啓蒙主義の時代を生きた。彼は二十八歳のとき「人間本質論」という著作を発刊しているが、彼自身は十五歳のときにそのアイデアを得たと述べている。
彼はその中で、曖昧なもの不明確な部分を哲学から取り除こうと勤めた。彼はロックと同じように、「観念」は「経験」によって形作られると考えた。例えば「ストーブは熱い」と「観念」は「触って火傷をした」という「経験」「印象」から生まれる。つまり「経験」はオリジナルで、「観念」はコピーであると言える。しかし、コピーが必ずオリジナルを反映しているとは言えない。
ヒュームは、「複合観念」を取り除くことを主張した。例えば、当時の人々は「天使」の存在を信じていた。「天使」はすなわち、「背中に羽根を生やした男」である。人々は「男」を見る、そして「羽根」を見る、その別々の経験が複合されて「天使」という、この世に存在しない「観念」が作られる。
更に、「神」や「天国」についても同じことが言える。「知性的な」「賢い」「父親のような」「厳しい」な神という観念は、それらひとつひとつの印象を、人間が複合したものである。また天国のイメージは、「黄金の道」「真珠で出来た門」も「黄金」「道」「真珠」「門」という、別々の印象を組み合わせたものであると言える。
彼はそのような複合観念は捨てるべきであると考えた。「生まれたばかりの赤ん坊のような心で世界を観察する」ことが理想的であると彼は考える。彼はひとつひとつの観念を取り上げて、それが本当に現実に存在する経験、印象から成り立っているものかを、確かめていかなければならないと説いた。
では「私」、「自我」という観念は、純粋で正しい観念であるのであろうか。それとも、誤った「複合観念」であるのであろうか。ヒュームは、「人間」とは、次々と違う場面が演じられる劇場のようなものであると考えた。「私」「自我」というものは、常に移り変わるものであり、変わらぬ「私」、「自我」はないと、彼は定義している。「人間の人生は絶えず変わっていく肉体的、精神的プロセス」という定義は、釈迦の考えによく似ている。
では、ヒュームは「超自然的な存在」「神」についてはどう考えたのであろうか。彼は「アグノスティカー」であると言える。それは無心論者ではない、「神の存在を認識できない人」という意味である。彼は「奇跡」、「超自然的な出来事」について否定も肯定もしなかった。大昔に起こったと書かれているだけで、それを誰も証明できないからである。しかし、「神」の存在は学問では証明できず、したがって否定も肯定もできない、そう結論付けたことで、ヒュームは「信仰」と「学問」の関係に関する論争に、ひとまず終止符を打った人物と言ってよい。
ヒュームは現象には必ずその「原因」があると考えた。しかし、人々が、時間的に続けておきたので原因と結果だと思っていることが、実はそうではないことが多いことも指摘している。稲妻が走ってから、雷鳴が聞こえる。いつもそうであるが、果たして、稲妻が雷の原因であろうか。自然には法則があるが、人々はその法則を直接知ることができない。その法則によって起こった事象から、その法則を推し量ることができるだけである。しかし、性急に、原因と結果を結び付けるのは危険なことであると、ヒュームは述べている。誤った原因と結果の結び付けは、迷信を生み出すことになる。薬の効果を確かめるために、統計が必要なように、特に倫理と道徳に関して性急な結論を出すことを、ヒュームは戒めている。
ヒュームは倫理や道徳は、必ずしも「理性」が判断基準ではないと述べている。例えばある国で自然災害が起こり、多数の人間が亡くなったとする。そのニュースを聞いて、「可哀想に」と誰もが思う。誰も「ちょうど人間が増えすぎているから、この辺りで少し数を減らした方がよい」とは思わない。理性的に考えると、後者の方にも、理があるかも知れないのに。「他人を殺してはならない」というモラルは、理性からではなく、「他人の痛みを知りそれを避けようとする」感情から生まれるものだと、ヒュームは述べている。そして、その「同情の心」は理性とは別の所に存在すると、彼は考えた。
ジョージ・バークレー(George Berkeley 1685 - 1753)は、アイルランド人で、カトリック教会の司教であった。彼は、最初、哲学と科学がキリスト教の世界観を脅かすものであると考えた。しかし、彼は同時に筋金入りの経験主義者であった。ロックは、「第一感覚」で知ることのできる、形、重量、動き、拡張性など「物理的」に知ることのできるものは、信用できると考えた。これに対して、バークレーは、「我々が知覚できる物のみが存在する」と考えた。彼はそれどころか、時間と空間にも疑問を投げかけた。時間にしろ、空間にしろ、我々の意識の中だけに存在するというのだ。
「素材」、「物質」、「物」などの概念は直接知ることはできない。例えば机を叩くと手が痛い。「痛い」という知覚はあるが、「机の素材=木」を直接感じたわけではない。バークレーは、その「素材」を感じさせたのは「意志」、「精神」であると考えた。全ての観念は、人間の意識の埒外のある「原因」によって作られる。そして。その「原因」は、素材的、物理的なものではないと。それが「叩いたら痛い」という知覚から、「机」という素材を感じさせるのにも、何らかの「原因」があると。
バークレーはそこに神を当てはめた。神が全ての「原因」であると彼は考えた。つまり、神は、人間が見たり聞いたりした外部からの事象を、心の中で理解することを助けるのである。