ロマン主義
ロマン主義は、十八世紀後半から十九世紀中ごろまでヨーロッパ全体を巻き込んだ、最後の大きな文化の一時代であると言える。その動きは、哲学だけではなく、文学、音楽、絵画等、他の分野にも及んだ。
ロマン主義は、人間の理性偏重の啓蒙主義からの「揺り戻し」であると言うことができる。また、カントの哲学の「発展」であるとも言える。カントは「人間が知り得ることの限界」を説いた。逆に言うと、人間は「私」が関与していることのみしか、知ることしかできないということである。その「私」が徐々に独り歩きを始め、「理性」偏重から「私」偏重の流れを作ったと言える。その意味では、ルネッサンスとロマン主義には、共通点がある。
ロマン主義のキャッチフレーズは「感情」、「幻想」、「体験」、「憧れ」であると言える。どの分野においても、どの分野でも、天才がもてはやされた。例えば、音楽の分野ではベートーベンが、形式を重んじ神を称えたバッハ、ヘンデルなどそれまでの作曲家に比べて、遥かに自由な作風の音楽を次々と作った。また、文学の分野では、ノヴァーリスが夢に見た「青い花」を捜しに出かける、「ハインリッヒ・フォン・オフターディンゲン」を発表する。また、ゲーテが「若きウェルテルの悩み」を発表、当時の若者に大きな影響を与えた。
ロマン主義においては、それまで「暗黒の時代」として捉えられていた中世までが、神秘と神話に満ちた夢の時代であると再評価された。ロマン主義を一言で表すならば、「自然への憧れ」と言うことになろうか。「自然の中に存在する神秘」を探し出し、表現することが、ロマン主義の目標と言える。
ロマン主義文化の牽引車となったのは、主に都市に集う若者、学生たちの層であった。そう言う意味では、ロマン主義は二十世紀のヒッピー文化と似ていないこともない。
ロマン主義は、徐々に二つの方向に分かれていく。「普遍的ロマン主義」とも言える、自然界の「組織、オルガニズム」について研究し、自然と世界精神を知ろうとする流れである。もうひとつは、「国民的ロマン主義」とも言えるもので、民族独自の文化、歴史を知ろうという流れである。後者の代表選手がグリム兄弟で、彼らは民族に伝わる民謡、童話を集めた。その意味では、ロマン主義の時代は、「民族のアイデンティティー」が育まれた時代であると言ってよい。
ロマン主義の時代の哲学者のひとりがシェリング(Frierich Wilhenm Schelling 1775 – 1854)である。彼は「精神」と「物質」の区別を取り払おうとした。シェリングによると、「自然は眼に見える精神であり、精神は眼に見えない自然である」という。人間の精神さえも、物質的な現実であるという。また「『世界を支配する精神』(これは神と言ってもよいのであるが)は、その発露を、自然の中と、人間の感情の中と、両方に求めている」と彼は考えた。生命のない岩石も、意識を持った人間も、全てが同じように自然に属しておいる、そして、その自然は発展の過程を持っており、全てがゆっくりと移行していると、シェリングは考えた。
ヘルダー(Johann Gottfried Herder 1744 – 1803)は、歴史は、「目的へ向かって進む仮定のひとつの発露」であると考えた。彼によると、歴史には目的があり、その目的に向かって歴史は進んでいる。そして、その過程であるひとつひとつの時代には、それなりの価値、それなりの意味があるというのである。しかし、その時代を、他の時代の人間が、どのように評価するかは、また別の話であるが。啓蒙主義の「静的」な歴史観に対して、ロマン主義の歴史観は「動的・ダイナミック」であると言うことができる。
フィヒテ(Johann Gottlieb Fichte 1762 –
1814)は「自然は、人間よりも高い、人間には意識できない思考により出来ている」と述べ、シェリングは「世界は神の手の中にあるが、神にも暗い部分がある」と述べた。このように、ロマン主義の時代の神は「全知全能」と言うよりは、ひとつの「人格」に近いものと言える。
「神が詩人であり、世界が詩であるならば、時には誤りもある。」
ということになる。そしてその「誤り」が、世の中の「皮肉」として取り扱われるということになる。
この時代の、最大の哲学者はヘーゲル(Georg
Wilhelm Friedrich Hegel 1770 – 1831)であろう。シュツットガルト出身の彼は、ハイデルベルク大学で神学の教授をした後、哲学の教授としてベルリンに招かれた。そして、彼の思想は、他のドイツの大学に大きな影響を与えた。彼は、ロマン主義の哲学を最終的に統一した人物であると言ってよい。
シェリング等は「世界を支配する精神」の中に存在の根源を見つけようとしたのに対して、ヘーゲルは別の意味で「世界精神」を定義した。彼は、「世界理性」、「世界精神」というものは、「人間の考えたこと、人間の言ったことの総体」であると考えた。つまり、人間が認識し、考えたことが、重ね合わさって、普遍的な「真理」が作られるのであるという。
ヘーゲルは、「真理」は絶対的なものではなく、主観的なものであると考えた。彼にとっては、人間の理性を超えたところに「真理」があるのではない。認識はあくまで人間の中にある認識で、その中にしか「真理」は存在しないと考えた。
また、ヘーゲルは時代の流れにより、人間の認識が変わると共に、「真理」も変化する、時の流れを越えた、永遠の「真理」は有り得ないと述べた。哲学は、時の流れ、歴史の中の一点において作られた基準であり、それがどの時代にも通用するものでないというのである。
言い換えれば、ヘーゲル以前の哲学には、「時間」、「歴史」という観点が欠けていたことになる。二十一世紀の認識が二千五百年前の認識と違うように、「真理」、「理性」も、二千五百年間で変化するはずであるという。例えば、当時「森の木を切って耕地を増やすこと」が、理性的であったのが、現在では理性的でないように。
ヘーゲルにとって、歴史とは、谷を流れる川のようなものであった。流れている水は常に変わる。しかし、人々はその流れについて語ることはできる。しかし、どの流れが「本当の」流れであるかということは言うことができない。ヘーゲルによると、理性は動的、ダイナミックなもの、つまり時代と共に発展するものであり、その基準は歴史の背景なしには語れないということになる。そして、その時代時代の哲学が「正しい」とも「誤り」とも言うことはできない。しかし、彼は、歴史の流れ、それに伴う人間の発展が、ひとつの「目的」、「目標」を目指したものであると考えた。
ヘーゲルは、世界にはふたつの異なった考えの対立がまずあり、そこからより良い第三の考えが生まれることにより、世界が発展すると考えた。まず、「肯定」があり、それを「否定」する者が現れる。その「否定」の否定により、より良いものが生まれる。ヘーゲルはそれを、「テーゼ」、「アンチテーゼ」、「シンテーゼ」と呼んだ。
世界がこのような「テーゼ」と「アンチテーゼ」の繰り返しにより発展するという考え方は、「弁証法的な歴史観」と呼ばれている。そして、何が正しかったかを証明するのは、あくまで歴史である。例えば「女性の権利」に対して、過去に、沢山の「テーゼ」と「アンチテーゼ」が存在した。そのどれが正しかったかは、現在の女性の立場を見れば明らか、つまり、歴史が正しさを証明した例といえる。
ロマン主義は基本的に個人主義であった。しかし、ヘーゲルはそれに対して「アンチテーゼ」を投げかけている。ヘーゲルは、「客観的な力」に、これは、家族と国家を意味するが、大きな意義を置いている。国家は個人を越える存在で、個人は国家なしでは生きていけないというのである。
ヘーゲルは「世界精神」の発露に関して、三つのレベルがあると述べている。
● 主観的な理性>個人レベル
● 客観的な理性>家族、国家レベル
● 絶対的な理性>哲学レベル
彼は、哲学は、「世界精神」の最も高い形での反映であると、哲学こそ「世界精神」を映す鏡であると述べている。
その時代のもうひとりの重要な哲学者が、キェルケゴール(Søren Aabye
Kierkegaard 1813 - 1855)である。デンマークのコペンハーゲンで生まれた彼は、全ヨーロッパ文化と、ヘーゲル哲学の批判者であった。
彼は当時のキリスト教会に反発、当時のキリスト教を「日曜宗教」と名付ける。キェルケゴールにとって、「少しだけキリスト教」というのは有りえないことであった。「神、キリストを信じる、信じない」は、二者択一であり、キリストの言ったことを「真実」として受け入れるだけではダメ、キリストの「足跡」を追わなければ意味がないと彼は述べた。
彼は、ベルリンに行き、シェリングに師事する。当時のベルリンは、ヘーゲル主義が主流であった。キェルケゴールは、人間の人生にとって、「真実」を知ることは大切なことであるが、その「真実」は、国家のような組織に属するのではなく、あくまで「私」、「個人」の中にあると考えた。
ある僧が釈迦に対して、
「あなたは、世界と人間が何であるかという問いに、きちんと答えていない。」
と問い詰めた。釈迦は、
「毒を塗った矢が、あなたに突き刺さって初めて、あなたは『毒』と『矢』について知りたがるでしょう。」
と答えた。まさに、キェルケゴールの考えもそこにある。世界や人生に対する「一般的」な記述などは、個人にとってどうでもよいことであり、個人にはその人だけに通用する「真実」があるというのである。つまり「真実」は主観的、個人的なものであるという。
キェルケゴールによると、「キリスト教は真実か」という問いに対して、一般的な解答などは有りえない。それを論理的、学術的に解き明かそうという試みは意味を持たない。「神はいるのか」という問いに対する答えは、「信仰」、「思い込み」に依存するものであり、それを理性で捕らえること自体、土台無理なのである。
「四プラス四イコール八」という、一般的で誰でも証明できる「真実」もあるにはある。しかし、それらは余りに一般的すぎて、誰も興味を示さない。「他人が自分を好いているか」という問題が、ある人物にとって数学の公式よりも大切あれば、その人にとってはそれで良いのである。
かつて、多くの人々が神の存在を「理性的」、「論理的」に証明しようとした。キェルケゴールによると、「神が自分にとって存在するか、しないか」それだけでよい、いや、それだけしかできない。
キェルケゴールの言う「主観的な真実」「信仰・思い込み」は、これまでの伝統的な哲学、特にヘーゲルに向けられた、痛烈な批判であった。その批判が、次には全文明に向けられていくことになる。
キェルケゴールは、近代社会において人間は、お喋りで、皆同じような考えを持ちたがる、「聴衆」、「民衆」に成り下がってしまったと述べる。彼は、皆が同じように考えることに真実は存在しない、少数派が真実であると述べる。
彼は、人間の存在には三つの段階があると述べた。
● 美学的レベル
● 倫理的レベル
● 宗教的レベル
後者ほどだんだんとレベルが高くなっていく。美学的レベルでは、人間は刹那的な快楽を求めて生きている。次の倫理的レベルでは、人間は快楽と規律の間を彷徨いながら生きている。そして、宗教的レベルでは人間は快楽からの誘惑、迷いから解放されて生きることができる。そして、面白いことに、キェルケゴールにとって、その宗教的レベルは、やはりキリスト教的な考えに沿って生きることなのであるが。ともかく、次のレベルへジャンプすることを、他の誰も手伝うことができない。それは本人が跳ぶしかないと彼は述べる。そのレベルの間で揺れ動く人間を、ドストエフスキーの「罪と罰」は的確に伝えている。