市場にて
トラックの荷台。これが島民の一般的な移動方法。
十二月二十四日。クリスマスイブ。夜には、JICAの所長のWさん主催の(飛行機で奥さんご一緒した)の忘年会がWさん邸で予定されており、G君だけではなく、何と僕まで招待されていた。今日、G君は仕事がお休みだ。
朝、家政婦のおばさんがやって来た。彼女は週に二回来て、掃除、洗濯、アイロンかけなどをやってくれるらしい。G君は彼女の来る日、いつもいそいそと台所などを片付けている。僕が、
「どうせ、彼女が片付けてくれるんやから、放っておいたらええやん。」
と言うと、
「彼女は、良い人なんやけど、自信を持って、あらゆる物を自分流に片付けるので、後でどこに何があるか、分からへんことになるねん。」
彼は答えた。一度は靴べらがスプーンと一緒に台所の引き出しに入っていたらしい。G君はクリスマスプレゼントとして、お米を一袋彼女に進呈していた。
朝食の後、僕とG君は、JICA事務所の横にある(荒れ果てた)コートでテニスをした。古くて跳ねないボールに苦しみながら四十五間テニスをする。最近運動不足だったので、汗をたっぷりかいて気持ちが良い。
その後ふたりで中央市場へ行った。波止場の近くの一辺が五十メートル程度の屋根の下に、テーブルが並べられ、そこで果物、野菜、魚などが売られている。売り手は数百人。クリスマス前の最後の日と言うことで、売る方も、買う方も、活気に溢れていた。野菜類は少し小ぶりだが、種類も豊富で、日本人には困ることがないだろう。牛肉、豚肉の類はなくて、鶏が一羽単位で売られている。G君は生きている伊勢エビを発見。それを昼食の為に購入した。僕は、娘たちのために、サンゴと貝のネックレスを買った。貝のネックレスは、まだ貨幣経済の発達してない地方では、貨幣の代わりに使われているとのことだ。
昼食の後、三時間ほど眠る。これがソロモンにいる間の日課になってしまった。とにかく、真昼の屋外は頭がクラクラくるほど暑い。そんな時間は、一切の思考活動を停止して、シエスタを決め込むのに限る。
基本的に、治安がそれほどよくないので、夜は外に出られない。ソロモン諸島という国は、何百という島からなっている。二〇〇〇年の内戦は、基本的にマライタ島から来たマライタ人とガダルカナル島に古くから住むがガダルカナル人の部族抗争だそうだ。しかし、二〇〇六年の暴動の際には、中国人も襲われ、チャイナタウンが焼き討ちされた。旧チャイナタウンには、その時放火されて、焼け落ちた建物がまだ無残な姿を晒している。また、内戦の際に銃も出回ったらしい。
人々は日本人には好意的なのだが、もちろん、中国人と日本人の区別をつけるのは難しい。それで、G君始め、JICAの車には「JAPAN、外交援助団体」というワッペンが貼られていた。サッカーが盛んだが、血の気の多いガダルカナル人は、ゲームの後、よく騒ぐらしい。それは、英国人と似ている。
中央市場で野菜と果物を売るお姉さん。