ソロモン諸島の日本人
立派な伊勢えび。昼飯に刺身で食べた。
ソロモン諸島に何人の日本人が住んでいるのか。僕には見当もつかなかった。そもそも、どんな場所に行くにしても、たいていは自分なりにその姿を想像してから行くのだが、今回のソロモン諸島行きだけは、どんな場所であるか、その想像さえつかなかった。頭の中は全く白紙。
クリスマスイブの夜、G君と僕は彼の車で、W所長宅で催される、忘年会あるいはクリスマスパーティーへと向かった。G君は酒を飲まないので、こういう時には便利だ。山の上のWさん宅に着いた時、僕はふたつのことに驚いてしまった。ひとつはその参加人数の多さだ。三十人はいる。それも、ほとんどが日本人。それと、Wさんと奥さんが作られた料理の種類の多さ。どれも素晴らしい料理だった。おふたりのやる気とご苦労が忍ばれる。お酒も、ウイスキーあり、日本酒あり、焼酎あり、安物の飲み屋の比ではない。
WさんはJICAの所長なので、青年協力隊のメンバーが多く集まっている。隊員は皆若い。ソロモン諸島だけで二十七人もおられるという。クリスマス休暇ということで不在のメンバーも多いが、十人以上が来ておられた。協力隊員の他には、地元の日系ホテルの方、公共工事を請け負っている建設会社の方、日本大使館の方、それと僕のような通りすがりの者。三十人近い日本人、及びの配偶者、関係者がWさん邸に集まったわけだ。
青年協力隊の隊員の方の話しを聞く。自分で選んだ道ながら、よく頑張っておられると本当に感心をしてしまう。大部分が自給自足の孤島や、ジャングルの中の村で自分ひとりだけの赴任。多くは電気も電話も水道もインターネットもない場所だ。しかも、その半分が二十歳代の若い女性なのだ。何人かの女性隊員と話したが、どなたもハキハキした気持ちの良い方ばかりだった。
宴の最中で、主催者のW所長のスピーチがあり、その後、参加者が順に自己紹介することになった。隊員の皆さんは流暢に南太平洋地域共通語のピジン語で挨拶をされる。自己紹介はいつも同じ文で始まった。
「ネム・ブロン・ミー・ヒトミ。」(私の名前はひとみです。)
後で聞いてみると、ピジン語は英語から来ていて、「ネム・ブロン・ミー」は、「ネイム・ビロングス・ツー・ミー」という英語に相当するとのこと。英語にある主格の「アイ」、目的格の「ミー」、所有格の「マイ」が全部「ミー」で済むとのことだ。「おそ松くん」のイヤミ先生は「ミーはおフランスにいくざんす。」と言っていたが、これは、ピジン語では正解なのだ。英語と似ているのは確かで、ラジオでピジン語のニュースを聞いていても、何となく半分は分かってしまう。僕は普通の英語で自己紹介。
G君は酒を飲まない人なので、僕は安心して景気よく焼酎を飲んだ。僕は酔っぱらうと、後片付けをする変な癖があるのだが、隊員のお姉ちゃんたちと雑談をしながらの片付けも楽しかった。十時過ぎにWさん宅を辞して、隊員のふたりを街まで乗せてG君のアパートに戻る。色々な人と話すことができて楽しい時間だった。
クリスマスパーティーに集まった協力隊員の面々。若い女性が多い。