刺身
JICA事務所の横に残された旧日本軍の大砲。
G君とはほぼ二年ぶりに会った。少し白髪が増えた以外、元気そうで安心した。彼とは、京都で同じ中学、高校で学んだ仲。前任地であるポーランドでも、彼を二度訪れていた。
その日は日曜日だったが、メールのチェックをしたいと言うので、G君の働くJICAのオフィスに寄る。昔はクラブであったという建物の庭には、荒れ果てたテニスコートと、水のないプールがあった。何よりも僕を驚かせたのは、海に向けて据えられた旧日本軍の大砲である。砲身には「九六式十五糎榴弾砲、昭和十五年大阪工廠」と刻まれていた。この後、僕はこの島で、数多くの第二次世界大戦の遺物を見ることになる。
G君のアパートに行く。丘の中腹にある彼のアパートは寝室だけで三つもあり、結構広い。日当たりが悪そうだが、暑いこの島では、それは悪いことではあるまい。
荷物を置いてから、車で日本兵の慰霊碑に出かけた。W夫人も、飛行機の中で、
「着いたら、是非、亡くなった日本兵の慰霊碑にお参りしてあげてください。」
とおっしゃっていた。慰霊碑は丘の上にあった。そこへ行くまでに、幾つか集落を通り抜けたが、村人がG君と僕の乗る車に手を振ってくれる。変な気分だ。
慰霊碑はかなり荒れており、銅板は持ち去られ、白い壁には落書きがしてあった。慰霊碑の足元では、数人の子供たちが何故かトランプをしていた。眼下、十キロほど向こうにヘンダーセン飛行場が見える。かつてこの近くに日本軍の陣地があったそうだ。そして、最後まで、彼らはあの飛行場に到達することはできなかったのだ。
夕方アパートに戻ったG君と僕は、まず、買ってきた鯛をさばいて夕食を作ることにした。外の水道でウロコを落とす。ウロコを落とす間に三箇所くらい蚊に食われる。門を開けるために車を降りている間に二箇所、大家さんと初対面の挨拶をしている間に二箇所。おそらくガダルカナル島にいる間に、百回は蚊に食われるのではないかと思う。日暮れ時と、早朝は、マラリアを介在する蚊が活動するので、特に注意が必要とのこと。しかし、子供たちはスッポンポンの丸裸で走り回っているし、大家さんは庭に椅子を出して悠々と座っておられる。現地人は蚊に咬まれない体質なのだろうか。
G君は出刃と柳刃包丁を持っていた。両方を砥石でよく研いだ後、鯛の料理にかかる。何とか三枚におろし、皮を引いて刺身を作った。骨の周辺にまだ分厚く身が残っている。本職が作ったら刺身の量は三割方増えているだろう。まあよい、骨や頭はスープにして、野菜を入れていただくので無駄はない。
翌日には何と、伊勢エビの刺身を作った。それも昼食に。全身装甲板、ガンダムのような伊勢エビを見て、どこから包丁を入れようと一瞬迷ってしまった。しかし、出刃包丁の威力で、無事さばくことができた。その翌日スズキの刺身を作ったときには、かなり刺身らしくなっていた。何事も練習が肝心なのだ。新鮮なカツオも市場にふんだんに並んでいる。ともかく、色々不便なところも多い島の生活だが、新鮮な魚が手に入ることは、素晴らしいことだと思う。(でも、毎日刺身を食っていたら、やはり嫌になるのだろうな。)
G君のアパートのベランダ、これからこの鯛の料理にかかります。