市場
十月二十七日、私たちのマデイラ滞在も、あと二日を残すだけとなった。これまで、連日車で走り回っていたので、今日は車を使わず、自らの足で歩いてみようと予定を立てた。先ずは、これまでバスや車で行った、フンシャルまでの三キロ余を、歩いてみることにした。十一時にホテルを出発。最初は海岸沿いのプロムナードを歩く。スミレが、
「どうして歩かなくてはならないのよ。汗でTシャツがくっついてきたよ。」
と文句を言っている。歩くという行為自体に意味があるのだよ、ポヨ子さん。
ブツクサ言う娘をなだめながら、一時間十五分後にフンシャルの町の船着場に到着。そこから、山へ向かうロープウェイに乗った。山の上に、きれいな庭園があるらしい。ロープウェイはフンシャルの町の真上を行く。殆どの家の屋根がオレンジ色なので、上から見ると、陸地のオレンジと海の青さの対比が誠に美しい。スミレが、
「家の真上をロープウェイが通っていたら、プライバシーがないわね。」
と心配している。
ロープウェイの終点、そこは数日前に来たモンテであった。私たちは、そこでかつてのホテルの敷地であったという庭園を見た。鬱蒼とした木の下、熱帯植物もきれいだったし、展望台から見るフンシャルの街と海も良かった。展望台の下の道路を時折、トボガン(橇)が駆け下りて行く。乗っている人の歓声(それとも悲鳴?)が聞こえてくる。
再びフンシャルの町に下りた私たちは、中央市場へ行った。二階建ての建物が四方から中庭を囲んでいて、建物の中にも中庭にも店が並んでいる。果物、野菜が山のように並べられており、その派手な色彩が熱帯を感じさせる。果物はオレンジ、バナナのように、名前を知っているものもあるが、大多数は、名前さえ分からないトロピカルな果物であった。
中庭に出ている店が、人気があるらしく、人だかりがしている。妻は、少し果物を買ってくると行って、その人だかりの中に入っていった。二階にある店はどうしても客の足が遠のくのか、ひっそりしている。そんな二階の店を、ポヨ子とふたりで見て回っていると、八百屋のお兄ちゃんに英語で呼び止められた。
「ちょっと試食してみなよ。」
彼はそう言って、名前も知らないトマトのような果物を切って私とスミレに勧めてくれた。種の部分をすすれと言う。酸っぱいような、何ともいえない味がする。その後、彼は、数種類の果物を試食させてくれた。熱帯トマトをじゃあ十個ほど買っていくかという気になって値段を聞くと、二十ユーロだと言う。えらい高いが、スミレも私も、たくさん試食をさせてもらっているのでそこで断りにくい。そこに妻が現れて、余りの高さに驚き、だまされているのよと怒り、兄ちゃんと交渉し、結局十五ユーロで買った。それでも、滅茶苦茶にふっかけられた値段で、本当はその数分の一だと思う。しかし、最初に沢山試食をさせておいて、断れなくしてからふっかけると言うのは、なかなか心理を突いた巧妙な手である。しかし、そんなに高いものなら、気前良く試食をさせてくれるわけはないのである。