海鮮おじや、あるいはシーフードリゾット
その日私たちが注文したのは、シーフードリゾットであった。エビ、イカ、その他色々な魚介類の入ったスープの中に、米が一緒に煮込んである。これは、ポルトガル料理の中で、私の一番のお気に入りである。
もう十年以上前になるが、私はリスボンの少し北にあるアレンクェールという町で数週間働いたことがある。最初の夜、ポルトガルの会社の社長が、私をレストランに連れて行ってくれた。そこで社長ご推薦の「アンコウ」の入ったおじやを食べた。その衝撃的な美味さを今も忘れることができない。トマト味がベースなのだが、魚の味がスープに溶け込んで微妙な味つけをし、コリアンダーの香りが最後をキリッと締めているという感じ。ご飯の中に沈んだアンコウの身を「捜索」しているとき、肝、つまり「あんきも」を発見。そのときには涙が出そうになった。ポルトガル滞在中、その後も何回か同じ社長さんと夕食を共にしたが、私はいつも「あんこうおじや」を注文して、彼を呆れさせた。
波の音、風の音と、時々混ざる雷鳴を聞きながら、ポヨ子と妻と私の三人は、直径二十五センチ、深さ十センチの鍋に入っているおじやを食べた。エビと言っても、大きな殻付きのもの、小さな剥きエビ、シャコのようなものが入っている。それに貝も色々な種類のもものが入れてある。それらが、実に微妙な味のハーモニーを醸し出しているのである。
私は久しぶりの味に余りに逆上したせいか、気が付くと、私の皿の周りには、オレンジ色の汁が飛び散っていた。使い捨ての紙のテーブルクロスなので、別に汚しても問題ないと思うのであるが、スミレにはそれが気に入らない。小姑ぶりを発揮して、
「パパ、そんなに汚したら恥ずかしいじゃないの。もっとお行儀よく食べられないの。」
と文句を言っている。
「ポヨ子さん。中国では、テーブルの上が汚ければ汚いほど、その料理が美味しかったってことになってるんだけど。」
私がそう反論すると、
「ここは中国ではありません。ポルトガルです。ヨーロッパです。」
彼女は厳かに言った。
その日も午後九時には寝てしまった。翌朝、七時前に目を覚まし、空を見上げると、満天の星が見えた。少し明るくなる。崖の上に昨日までかかっていた雲が今日は見えない。それに、空気が乾燥している。昨日までのように、まとわりつくような湿気が感じられない。昨夜の前線の通過で、天気のパターンが変わったようである。
スミレが目を覚まし、ベッドの上で本を読み始めた。彼女は出発前から「ジェーン・エア」を読んでいる。物語が佳境に差し掛かっているらしく、昨日から、暇さえあれば読み耽っている。いつものように朝の水泳と朝食を済ませた後、私は、妻とスミレに、
「今日は良い天気が期待できるので、山の方に行ってみる。」
と告げた。私たちは十時半にホテルを出発、フンシャルから山へ向かって車を走らせた。