タクシーの乗り方についての一考察
無事タクシーで「和風」中華レストランに辿り着き、楽しい夕食。
ロンドンへ発つ二日前、父と中華料理を食べに行った。鴨川の畔にある、僕が帰国するといつも連れて行ってもらえる、「和風」中華料理店だ。その日、カサネもちょうど京都に来ていたので、彼女も誘って父母と四人で飯を食うことになった。継母は直前まで用事があるので、直接レストランに来るとのこと。父の家からはタクシーで行くことになった。実家の前の道は細くて、タクシーが入れない。それで、予約したタクシーは表通りで待っていてもらうことになる。時間になり、父と表通りに向かう。カサネもギリギリで到着。タクシーはもう停まっていた。父はカサネに助けられてタクシーの後部座席に乗り込んだ。
僕は窓越しに、タクシーの運転手に中華料理店に行く道順を運転手に説明する。
「おじちゃん、歩いて行くと?」
と、カサネが例の博多弁で言う。
「どうして?一緒に乗っていくとよ。」
どうも彼女の一緒にいると、博多弁に影響されてしまう。
「まずタクシーに乗って、走り出してから、行き先を説明すればいいとよ。それが普通よ。」
とカサネ。なるほど。そう言えば、日本では、先ずタクシーに乗って、それから行き先を告げるということを思い出した。海外では、少なくとも英国では、運転手に行き先を告げて、「契約の成立」と言うのも大袈裟だが、行き先が決まって、お互い納得してからタクシーに乗り込む。どうも、自分では日本人として自然に振舞っているつもりでも、「純粋」の日本人から見ると、変な行動を随分やっているようだ。
タクシーの運転手が言う。
「日本では、お客さんに、行き先によって乗車拒否ができないんですよ。だから、まず乗って貰う。それが習慣なんでしょうね。」
ともかく、タクシーは無事中華料理店に到着。父は僕のために、先ず恒例の「ピータンとビール」を注文してくれた。
生母は、僕と食事をするときはなかなか凝った料理を作ってくれた。母がふたり登場し、ややこしいが、鞍馬口に住んでいる実の母は、なかなか料理に関しては研究熱心。何でも自分で作ってしまう。それが全て一定の水準を満たしているからすごい。
今回も、今まで食べたことのないような料理を作ってくれた。僕も自分で料理をするし、料理には興味がある方。そんな「食べ手」には作り甲斐があるというのだ。「初物」を食べると七十五日寿命が延びると言うが、少なくとも今回十種類の新しい料理を食べたので、合計、七百五十日寿命が延びた計算になる。本当にそうあって欲しいものだが。
ロンドンへ発つ前日、生母と夕食を共にしたが、「いかめし」と言うのを作ってくれた。これがなかなかの傑作。イカのハラワタを抜いた後、薄味をつけたもち米を詰めて、蒸してある。外見は、昼寝をしているカバのようであるが、もち米に、はんなりとイカの香りが移り、味は絶品だった。
「いかめし」、昼寝をしているカバに似ていると思うのは僕だけだろうか。