舞姫、旅の終り
京都滞在の、最後の三日間は気温が二十九度を超えた。子供たちも鴨川で水遊び。
さて、この旅行記も最終章を迎えることになった。今回の旅は、ちょうど僕自身のピアノの発表会の後だったが、偶然にも、日本で色々な人達の演奏を聞くことができて、自分の音楽に対する反省とともに、更なる動機付けのために、とても良い経験をさせてもらったと思っている。サクラとの「コラボ」、トモコとユカのエレクトーン演奏、八十歳のピアニスト、イズミとサクラの合奏など。一言で言うならば、自分は「まだまだ修行が足りん」と言うことを思い知った。しかし、音楽に関して、ここでもうひとり触れておかねばならない人がいる。生母の妹、つまり僕の叔母、チズコさんである。
ロンドンに戻る三日前、母を通じてチズコ叔母からの伝言を受け取った。コンピューターのメールが取れなくなったので、見て欲しいとのこと。僕も、一応コンピューター技術者の端くれ、最大限の努力はしますと約束した。
チズコ叔母の家を訪れ、二時間ほど調整した後、無事メールは取れるようになった。そのとき、僕は彼女がピアノを習っていることを知った。叔父のベッドの横に、ヤマハの電子ピアノが置いてある。チズコ叔母のご主人、つまり僕の叔父は、もう何年も病気で寝たきり、叔母がずっと看護をしている。彼女は、二十四時間、気疲れのする、ストレスの溜まる立場だろう。その叔母が十年前から、ピアノを習い始めたという。つまり、五十代か六十代で。きっと、ストレス解消のためだったのだろう。
コンピューターの問題が解決してから、僕は叔母にピアノを聞かせてくれるように頼んだ。まず、僕が一曲弾いた。ショパンのノクターン。今暗譜で弾けるのはこれしかない。その後、チズコ叔母はシューベルトの「アベ・マリア」を弾いてくれた。決して上手ではない。しかし、心に浸みる演奏だった。音楽は技術だけではないのだ、僕はその時思った。
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アムステルダムからの機中、森鴎外の「舞姫」を読んだ。簡潔な日記風の文章。その中で鴎外は主人公に次のように語らせている。主人公は、ドイツで特派員として働いた後、日本に帰る船中で次のように記している。
「筆に任せて書き記しつる紀行文日ごとに幾千言をかなしけむ、当時の新聞に載せられて、世の人にもてはやされしかど、今日になりておもへば、おさなき思想、身のほど知らぬ放言、さらぬも尋常の動植金石、さては風俗などをさへ珍しげにしるししを、心ある人はいかに見けむ。」
僕が今ここで、珍しいと思って書いていること、それは、日本に住む人にとっては、ごく当たり前のことかも知れない。それを殊更珍しいことのように僕が書いているだけかも。しかし、色々な人々との出会いを何らかの形で残しておきたい、その思いで今回もこの旅行記を書いた。登場していただいた方々に心よりお礼を申し述べたい。
(了)
旅の終り。最後はやっぱりきつねうどん。