やすらい祭
桜の見ごろの日曜日。京都駅は混んでいた。「花冷え」と言うのであろうか、気温は低い。タクシー乗り場の列で三十分近く待つ。タクシーは列をなしているが、乗る人も多いので、なかなか順番が回ってこない。
午後二時に実家に戻り、父と再会する。父は玄関の間で本を読んでいた。会う度に前回より歳を取るのは仕方がない。父は最近電話や手紙で、体力の衰えと病気の後遺症による痛みを繰り返し嘆いていた。しかし、顔を見ると、思ったよりも元気そう。少し安心する。
その日は、地元で「やすらい祭」の日。今宮神社と玄武神社のお祭りである。直径三メートルはある赤い大きな布製の傘が各町内を練り歩き、その傘に入ると、一年間無病息災で暮らせるとか。私はタクシーの中から既にその「傘」を見ていた。
辻々で、赤い衣装を着て、ライオンのような赤い髪をつけた若者が、太鼓を叩きながら舞い、青い着物を着た少年たちが笛で伴奏する。行列の前後には、裃姿の世話役が付いている。古くからある、有名な祭らしいが、詳しくは知らない。少年たちの奏でる笛の単調なメロディーと、「やすらい、花よ」という掛け声は、最後に聞いてから三十年近く経つ今でも、まだ鮮明に耳に残っていた。こう言うのを幼児体験と言うのかも知れない。
お祭りの日、幼馴染のゲンシ君は、実家に戻っていると言っていた。大徳寺前の彼の実家に顔を出す。ゲンシ君、奥さん、子供さん、彼のお父さん、お母さんと再会。ゲンシ君宅の座敷は、親戚の人たちで一杯なので、彼とは茶の間で話をする。そう言えば、祭りの日には親戚が集るという習慣が、私の子供の頃にはあった。しかし、日本を離れている間に、そんなことをいつの間にか忘れてしまっていた。
仲良く遊んでいた子供たちがけんかを始め、ゲンシ君のお母さんが仲裁に入っている。全てが、たまらないくらい懐かしい光景のように思えてくる。
ゲンシ君と彼の一家とは、ドイツ、英国、ポーランド等々、地球上の色々な場所で会ってきた。この前彼に会ったのは、大阪だったか。お互い、前回会ってからの出来事をアップデートする。彼は最近白内障の手術をし、現在は失業中だと言った。
祭囃子が近づいてきた。ゲンシ君の奥さんが、
「傘が来たよ。」
と皆に伝える。ゲンシ君一家と私は慌てて外に飛び出す。傘の中に入る。傘に入った後、若者の舞いを見たかったので、しばらく行列に付いていった。
「踊らへんのかな。」
という私の声を聞いたひとりの世話役のおじさんが、
「このグループは『傘』のグループです。踊る組はまた別で、今他の町内を廻っています。」
と言った。十何年も祭りを見ながら、私は「傘」と「舞い」の別グループがあるという事実を、その日まで知らなかった。何歳になっても、新しい発見があるものだと、私は思った。