お金を払うの、忘れた
今回、日本で病院に行こうと思っていた。二月に受けた治療の後、心臓がきちんと機能しているか知りたかったのもあるが、何より、「日本語」で、医者と直接話したかったからである。ロンドンで治療を受けたとき、別に言葉に不自由したわけではない。医者の言う英語はよく理解できたし、不明な点は、インターネットの医療相談のページで、いくらでも調べられた。しかし、情報がありすぎると、今度は、何が本当に大切なのか分かりにくい。「勘所」を明確にするために、日本語で医者と話したいと思った。
日本で病院に行くには、当然健康保険証が要る。国民健康保険に入るためには、住民票が必要。それで、京都に着いた翌日、朝一番で雨の中を、京都市北区役所に、両方の手続きをしに行った。先ず、転入届を出し住民登録をし、隣の窓口で国民健康保険の手続きをする。二週間後、英国に帰る際には、両方とも取り消すことになるのであるが、そんなことはもちろん言わない。二週間だけ日本に住んではいけないという規則もないから、別に非合法なことをしているわけではないのであるが、何となく後ろめたい思いがする。
区役所で貰った保険証を持って、父と母のかかりつけの病院へ行った。英国では、GP(担当医)の紹介がなければ専門医に診てもらえないが、日本ではいきなり専門医に見て貰えるのが、便利ではある。
十分前に貰ったばかりの保険証を見せて、「初診」の窓口へと行く。大勢の人が待っている。誰が私と同じ窓口へ行くのか分からないので、一体自分の前に何人の患者さんが待っているのか、検討もつかない。遅く行くと待ち時間が長いことを両親から聞いていたので、持ってきた本を広げ、それを読みながらじっくりと待つことにする。
待つこと一時間。「心電図を撮ってきてください」と言われ、横にある検査室で心電図を撮る。さらに待つこと一時間。やっと、医者と話す順番がやってきた。私と同年代の女性の医師。受付では、英国で撮った、病気のひどいときの心電図を渡してあった。
「心電図の結果は正常です。病気は治っています。心配なら、一度心臓エコーを撮って、循環器科の専門医に診てもらうのがよいでしょう。」
彼女は言った。金曜日に専門医の予約を入れてもらって。私は病院を離れた。お金を払わないで・・・
英国では、原則的に医療は無料で、病院で金を払うという習慣はない。「無料」、素晴らしいことのように聞こえるが、所得税四十パーセント、消費税十七パーセントを払って、医療が無料なのがよいか、その都度金を払うのが良いか、判断はお任せする。ともかく、病院の玄関を出るとき、私には「金を払う」という考えが浮かばなかった。
それを思い出したのは、実家に戻ってからである。一瞬、今から払いに行こうかなと思ったが、外は雨がジャンジャン降っている。まあ、明日でも良かろうと思った。夕食の途中、案の定、病院から催促の電話が掛かってきた。私は忘れていたことを謝り、翌朝、一番で金を払いに病院へ行った。二千五百円。思ったより安かった。