第二章 心と身体の平衡
「腹が減った。」
僕はつぶやいた。開けた窓から、モノレールの通り過ぎる音が遠くから聞こえてくる。W市の懸垂式モノレールは二十世紀の初頭に作られ、もう百年間走り続けていると言う。今日も元気に走っている。
時間は午後二時。昼飯に持ってきたハムと黒パンのサンドイッチは二時間前に食べてしまっていた。天気の良い日曜日の午後。多くの人が昼食を終え、川沿いや森の中を散歩している頃であろう。場所はW市にあるS社の生産管理課の一角。僕はコンピューターを前に、いつ終わるとも分からぬ作業を続けている。朝の八時に初めてからもう六時間が経つ。とにかく腹が減った。今日は休日で、もちろん社員食堂も開いていない。会社の外へ食べにいくのも時間が惜しい。
ドイツのW市に赴任してきてから一ヵ月半。二週間に一度は週末を家族と過ごすためにロンドンに戻り、戻らない週末はと言うと、こうして会社に来て、ひとりでコンピューターと格闘しているのである。
プログラムを少しずつ変えて、何度も走らせて見るが、正しい結果が現れない。僕は焦りを覚えていた。頭を整理するために、椅子の背に凭れて目を閉じる。
その時、生産管理課のドアが開く音を聞いた。目を開けてそちらを見ると、ドアの隙間からディーターの顔が覗いていた。彼はS社に前からいるコンピューターの担当である。私の会社がこのS社を買収したため、日本人の社長と私がここに乗り込んできた。ディーターは、同僚のような、部下のような微妙な立場である。口ひげを生やし、額も禿げ上がっているが、童顔で、年齢は私と同じ三十台の前半だろうか。
「午前中、コンピューターの様子を見に会社に寄ったら、あんたがひとりで働いているのが見えたんで、女房に昼飯を作らせて持って来たよ。」
彼は、手に提げた袋から取り出したナプキンの包みを開いた。中には、厚手の皿の上に、カリフラワーとジャガイモとべーコンが乗っており、その上に掛けられた白いソースが湯気を立てていた。ディーターは出来たてを急いで自宅から運んできてくれたらしい。僕は感激した。ディーターは僕の机の上に手早く皿とフォークとナイフ、紙ナプキンを並べた。
「死ぬほど腹が減って、全然仕事にならなかったんだ。嬉しいよ。有難う。」
僕はそう言うと、息もつかさずディーターの奥さんの手料理にかぶりついた。味など分からなかった。空腹もさることながら、日曜日にひとりで働いていることに対するもやもやした気分を、その料理でやっつけたかった。ディーターは椅子を出してきて、僕の横に座り、僕が美味い美味いと連発しながら食べているのを満足そうに眺めていた。
僕がここに赴任するにあたり、現地の社員たちとの関係に一抹の不安があった。会社が突然日本企業に買収され、見知らぬ日本企業から見知らぬ日本人が乗り込んで来る。現地人の社員の敵対感は十分予想された。しかし、その心配は杞憂であった。僕が下手なドイツ語で話すと、ドイツ人の社員は一生懸命理解しようと努力してくれ、重役から掃除のおばさんに至るまで、皆とても丁寧で親切だった。
食事が済み、一息ついた僕はディーターと世間話を始めた。彼が、今日の午前中何をしたかと尋ねると、彼は森の中でジョギングをしたと答えた。
「走るのが好きなのかい。」
僕が聞くと、
「コンピューターの仕事って、一日画面の前に座って、じっとしいるだろ。たまには心と身体の平衡を保つために、身体を動かさないとね。」
『心と身体の平衡を保つ』、いかにもドイツ人が好んで使いそうな言い回しだ。
「ミキ、きみは走るのは好きかい。」
ディーターは逆に尋ねてきた。
「ミキ」というのは川口幹という僕のファーストネームである。僕はどう答えようかと少し迷った。実は中学と高校の時、僕は陸上部で毎日走っていた。その時走るのは好きだった。走っているとき、自分が風になったような気がしたものであった。しかし、大学に入り、アルバイトに精を出す頃から走ることを忘れ初めた。社会人になり結婚してからは、平日は残業、週末は子供の世話に忙しく、振り返るとここ五六年は全然走っていない。
「最近は全然走ってないけど、本来、走るのは好きだ。」
ここで『本来』などという言葉は、日本語ではちょっと変だが、ディーターと僕はドイツ語で会話をしており、ドイツ語では、ここではやはり『本来』と言うべきなのである。
「来月、W市の大会があるんだけど、一緒に出てみないか。」
ディーターの話題は思わず方向へ向かった。距離を聞くと、ハーフマラソンで二十一キロだと言う。溜め息が漏れるほどの長い距離だが、一ヶ月後で、それまで少し練習をすればひょっとしたら走り切れるかもしれない。
「じゃあ、出てみようかな。」
僕は答えた。
「よし、それじゃあ、きみの分まで申し込んでおくからな。もう逃げられないよ。」
ディーターは食器を片付けながらそう言った。
その日、午後五時ごろにアパートに帰った僕は、早速少し走ってみることにした。夏のことで、太陽はまだ高かった。おそらく暗くなるのは午後十時を過ぎてからであろう。気温は三十近くあったが、ヨーロッパ大陸独特の、湿度の低い気持ちの良い夏の日であった。
僕の借りているアパートは、坂を登りきり、舗装道路が終わる最後の家である。家の裏からは森が始まっていた。W市の真ん中を川が流れており、その川を跨ぐようにして、懸垂式モノレールが走っていた。市街は川とモノレールの線路に沿って、細長く続いていた。言わば谷に沿って発展した街であり、坂道が多かった。
Tシャツとショートパンツ、運動靴に着替えた僕は、アパートの後ろに広がる森の中に向かった。少しだけ歩いて、それから走り出した。最初から急な上り坂で息が切れた。道に迷わないように道が分岐するところでは、目印を覚えるよう注意を払いながら走る。木々に覆われた緑のトンネルを坂の頂上まで走り引き返す。帰りは下り坂でかなり楽だった。途中に何人か走っている人たちと出会う。片手を挙げて、「ハロー」と挨拶をする。そのときお互いニコリとする。
三十分後アパートに帰り着いたときは、汗びっしょりで、Tシャツが胸や背中に張り付いていた。身体全体が腫れ上がったようだった。おそらく他人から見ると真っ赤な顔をしていたに違いない。その日は身体が火照って寝るまで水ばかり飲んでいた。
翌日は走らなかった。続けて走ると、疲れが溜まって故障をするような気がしたからである。その翌日は朝出社する前に同じ距離を走った。朝、森の中で何匹かのウサギを見た。ウサギは僕の足音に驚いて藪の中に逃げ込んでいく。その時ウサギのお尻の雪のような毛が見える。お尻の白い毛を目指して敵に容易に追いかけられるのではないかと、他人事ながら心配になってくる。
その日は一回目より格段に楽だった。会社に行くと、何だか身体に「切れ」がある。それまで午前中は身体がだるくて、コーヒーばかり飲んでいた。野球の解説者が「今日の誰々投手は球に『切れ』がある」とよく言っている。よく分かるようで分からない言葉である。その日はその言葉の意味が理解できた気がした。ただ、夕方五時を過ぎるととたんに眠気が襲ってきた。現地人社員が帰ってしまい、事務所の中で自分ひとりなのをいいことに、僕はコンピューターの前で一時間ほど居眠りをした。
一ヵ月後、ディーターと大会に出た。九月の土曜日の午後であった。「W市、フォルクス・ラウフ」、文字通り「市民マラソン」の意味である。一ヶ月間、二日に一度、朝会社に行く前の練習で、僕は何とか最後まで走り切れると思っていた。
駐車場でディーターと彼の奥さんに会った。奥さんのクラウディアはドイツ人として小柄で、驚くほど若く、まだ二十歳そこそこに見えた。美人ではないが、愛嬌のある丸顔である。彼女は産まれて半年の娘、カタリーナを抱いていた。
スタートは競技場。土のトラックを一周した後、森の中に入り、再び競技場に戻って来るコースである。
スタートのラッパが間の抜けた音を発した。
「じゃあ、ぼちぼち行きましょうか。」
そんな感じで二百人くらいの男女が走り始める。そこには何の緊張感もない。前日の雨で、森の中には水溜りがたくさんあった。小さい水溜まりは飛び越し、大きいのは仕方なくジャブジャブとその中へ入って行く。可愛い奥さんの声援を背に受けて、ディーターはスタートから果敢に飛ばし、しばし僕の視界から消えていた。しかし、結局十七キロ地点で彼は僕に捕まり、二十一キロのゴールでは僕のほうが一分ほど早かった。
「どうして、この俺が初心者のミキに負けるんだ。」
ディーターはくやしがった。ゴールの前でディーターと僕がゼッケンをつけたまま肩を組んでいるポーズを、彼の奥さんが写真に撮ってくれた。赤ん坊のカタリーナは乳母車の中で気持ち良さそうに眠っていた。