余った切符
グローブ座の向こう岸にはセント・ポール寺院が見える。
八月の最後の日曜日、末娘のスミレ(十八歳、まもなく大学生)と一緒に映画に行った。その週末、妻と他の子供達は留守。見たい映画があるというスミレの運転手兼金蔓兼ボーイフレンド役で、久々に天気の良い日曜日の午後を映画館で過ごす。ペネローペ・クルーズの出ているスペイン映画は、まあ「可もなく不可もなく」という平均点であった。
その帰り道の車の中での親子の会話。
娘:「パパにお願いがあるんだけど。」
父:「おう、何でも言ってみな。」
娘:「今度の土曜日の、グローブ座の切符を買って持っているのよ。でも、わたし行けなくなったの。パパ代わりに行ってくれない。」
父:「出し物は何だい。」
娘:「As You Like It。」
父:「『お気に召すまま』か。それで良い席なの。」
娘:「立見席。」
父:「あの、真ん中の屋根のない所ね。雨が降ったら?」
娘:「傘はさせないし、当然濡れるわね。でも、立見席だけど、疲れたら座ってもいいのよ。」
それから五日後、金曜日の夜、
娘:「これから友達と飲みに行ってくる。」
英国では十八歳以上の飲酒は合法なので、別に咎め立てすることでもない。
父:「気をつけて行っといで。」
娘を送り出す。彼女が出て行った後、台所に戻ると、食器棚の下に紙が置いてある。手に取って見ると、グローブ座の切符であった。「William Shakespeare、As You Like It、九月五日、午後二時開演」と書いてある。
「まあ、話の種にたまにはシェークスピアもいいか。」
僕はその切符をいつも持ち歩いているリュックサックの外側のポケットに仕舞った。そして、明日の晴天を祈りつつ、二階に上がり床に就く。
明くる土曜日、風が強く、肌寒いが、天気は良好。午前十時ごろスミレ起きてきた。
娘:「切符、置いておいたの、見つけた?」
父:「うん、もらった。ふんじゃ、お言葉に甘えて楽しんできます。」
僕は十二前に家を出た。いつもロンドンの街中へ行くのに使う電車が運休中。それで少し離れた地下鉄の駅まで車で行き、そこから地下鉄でロンドン・ブリッジへ向かう。グローブ座はテムズ河畔、「ロンドン・ブリッジ」と「ミレニアム・ブリッジ」の間にある。
ロンドン・ブリッジの駅を降り、テムズ河を見渡す。いつもの「軍艦ベルファスト」の横に「シルバー・クラウド」と書かれた巨大な純白の客船が停泊している。多分、ヨーロッパ一周か世界一周クルーズの途中、ロンドンに寄航中なのであろう。
タワーブリッジをくぐる、豪華客船、シルバー・クラウド