MabelT

川合元博、旅行記のページ

 

旅行は好きだけど、観光は面倒くさいという、自他とも認める「怠惰な旅行者」の筆者。世界中に友達を作り、その友達とお互い訪ね合うのが夢です。これまで、地球のあちこちに残した足跡を辿ります。

 

アブラゼミはどこへ行った

日本、真夏の旅

20247月〜8月)

一番暑い季節に、とっても暑い京都で過ごすことになった僕。普段涼しい英国に住んでいて、汗腺の数は確実に少なくなっているはず。無事サバイバルに成功したかな。

 

「何も起こらない旅行記」

京都滞在記

202310月)

旅行記って普通、旅先で、色々な珍しいものを見聞した記録ですよね。母の様子を見るために京都に帰ったのですが、今回は、何もしていません。毎日ウダウダしていました。したがって、何も目新しい出来事はありません。まあ、そんな旅行記もたまにいいんじゃないの・・・

 

「ロンドンとシンガポールの真ん中は?」

イタリア、サルディニア島滞在記

20238月)

英国に住む僕の家族と、シンガポールに住む家族が、一緒に休暇を過ごすことになった。それで、選ばれたのがイタリアのサルディニア島。どんなところか見当もつかないまま訪れたが、美しい自然、陽気な人々、安くて美味しい食べ物、満足の行く場所だった。二歳の孫と一緒の生活も楽しいものだった。

 

「山と海の間で」

ギリシア、コルフ島滞在記

20235月)

ギリシアのコルフ島にでかけた僕たちの家族。今回はギリシアのコバルトブルーの海だけではなく、対岸のアルバニアの山々とその上に湧き上がる入道雲も楽しむことができた。本当に、海だけで勝負できる、ギリシアの島々はすごい。しかし、観光客を呼ぶために、色々な工夫もなされている。

 

「旅の極意とは」

京都、大網白里訪問記

20234月)

復活祭休み、京都に帰ることに。「もう・・・」、色々予期せぬ出来事がありながらも、何とか無事目的を果たす。桜も見られて、心に残る京都滞在になった。

 

「イエイエ、ナイナイ、シンガポールを行く」

シンガポール訪問記

202210月)

孫にほぼ一年ぶりに会うために、ロンドンを発ってシンガポールに向かった僕と妻。「イエイエ」とは北京語で「お祖父ちゃん」、「ナイナイ」は「お祖母ちゃん」。常夏の国で、慣れてない祖父母の役割を無事果たすことができるかな。

 

「祇園ばやし」

京都、金沢訪問記

20227月〜8月)

これまで暑さを恐れて、夏に帰国をしなかった僕。仕事の関係で夏しか休暇が取れず、今回は暑い盛りに京都に戻ることになった。京都はちょうど祇園祭の最中。久々に京都の夏の風物詩を見ることができた。

 

「海さえあればそれで満足」

ギリシア・ケファロニア島旅行記

20226月)

コロナ禍による旅行規制が解けて、三年ぶりにギリシアでホリデーを過ごすことになった僕たち家族。「ホンマ、きれいな海さえあれば、何も要りまへん」とつくづく思った休暇であった。

 

「トロピカル・クリスマス」

シンガポール訪問記

202112月)

考えてみれば、熱帯の国で「暑いなあ」と言いながらクリスマスを過ごすのもこれが三回目。最初はソロモン諸島、二度目はマレーシア、そして今回のシンガポール。「クリスマス・イコール・冬」という図式が出来上がった僕には、何となくしっくり来ない。ともかく、コロナ禍の中、色々な制限に煩わせながらも、孫に会いに訪れたシンガポール。三年ぶりに家族全員が揃って迎えるクリスマス。しかし、僕はそこで体調を崩してしまう・・

 

「国の中の別の国」

ウェールズ旅行記

202110月)

海辺で一週間の秋の休暇を過ごすことになった僕たち家族。コーヴィッドの勢いはいまだ治まらず、今回も英国内での「ステイケーション」。行先はウェールズ。しかし、そこは国内でもあり、外国でもある、不思議な場所だった。

 

「白雪姫と七人のコーヴィット」

花咲くコーンウォール旅行記

20215月)

またまた、内容とは関係のないタイトルを付けてしまった・・・「白雪姫」とも「コーヴィット十九」とも関係のない、コーンウォールで過ごした休暇の旅行記です。コーヴィットによる規制の影響で、海外旅行が実質禁止されている英国。国内で過ごす休暇ということで、昨年に引き続いて、英国の最西端、コーンウォール半島を訪れた僕たち家族。そこに待っていたものは?

 

 

「絆の翼 日本帰国譚」

20211月‐2月、京都)

二〇二一年一月の、已(やむ)に已まれぬ事情で、変種コロナで「悪名高き」英国から「アジアの優等生」日本に渡航を試みた僕。「一難去ってまた一難」、「荒海に弄ばれる小舟の如し」。新型コロナ感染最盛期、そのような状況の中で、果たして、無事本懐を遂げることが出来るのでしょうか・・・同時進行型エッセー。

 

「波の模様」

202010月、英国、コーンウォール)

コロナ禍の第二波襲来の中、久々の休暇を計画した僕たち家族。行先は英国の西南端のコーンウォール半島。車で移動、貸別荘で自炊、人気のない海岸をトレッキング。「コロナ・フリー」のホリデーを狙う。

 

「馬牧場日記 Part III

20206月、英国、セシル・ホース・サンクチュアリ)

「コロナウィルスとロックダウンの下で」:六十年生きてきて、初めて出会った「都市封鎖」。そんな中でも、ホース・サンクチュアリでの仕事は続く。戦争にも匹敵する大変な時期を、馬さんと一緒に切り抜けた日々の記録です。

 

「ジャパニーズ・ウェディング こぼれ話」

201910月、日本/金沢、京都、富士裾野)

息子の結婚披露宴のために日本へ帰った僕。新郎の父親としての「責務」を果たした後、束の間の日本での休暇を楽しむ。「ジャパニーズ・ウェディング」の番外編。

 

「ジャパニーズ・ウェディング」

20199月、日本/金沢、京都)

「チャイニーズ・ウェディング」から六週間後、舞台を金沢に移して、二度目の披露宴を開くことになった息子と嫁。参加者六十四人中、四十九人が海外からのお客さん。「ここはもう日本じゃない!」金沢の田園地帯に、ポッカリとシュールな空間を作り出された。その後、京都の観光ガイドにも挑む。

 

「チャイニーズ・ウェディング」

20198月、中国/平谷、北京、慕田峪)

息子が中国で結婚式を挙げることになり、中国へ出かけた僕たち家族。僕にとっては初めての中国。長い歴史を刻む国で、色々得難い体験ができた一週間。美味しいものもいっぱい食べたし。念願の万里の長城にも登れたし。

 

 

「アガサ・クリスティーの故郷を訪ねて」

20197月、英国、トーキー/Torquay)

7月のある週末、土曜日の仕事がなくなり、妻もクルーズに行ってしまった。僕も週末どこかへと考え、アガサ・クリスティーの故郷、海辺の街のトーキーを訪れることにした。

 

「リーマン・トリロジー」

20196月、英国、ナショナル・シアター公演)

戯曲「リーマン・トリロジー (The Lehman Trilogy)」は、一八四四年にドイツから米国に移住したリーマン三兄弟が、会社「リーマン・ブラザーズ」を立ち上げ、その会社が破産する二〇〇八年までの百六十三年間を描いている。何と、登場人物は三人だけ。その三人が色々な役割を演じ分けている。

 

「ボリス・ゴドゥノフ」

20196月、英国、ロイヤル・オペラ公演)

末娘が「父の日」のプレゼントに、ロンドン王立歌劇場で上演されるオペラに、招待してくれるという。そのオペラの名前が「ボリス・ゴドゥノフ」。しかし、不勉強なことに「ボリス・ゴドゥノフ」というオペラはそれまで知らなかった。ムソルグスキーの作曲した十六世紀ロシアを舞台にしたオペラらしい。僕は、入念なリサーチを開始、万全の準備をして(自分ではそう信じて)歌劇場に向かう・・・

 

「馬牧場日記 Part II

20194月、英国、セシル・ホース・サンクチュアリ)

「捨て馬保護センター」でボランティアを始めてから半年。厳しかった冬も終わり、春を迎えた今、少しホッとして、「馬牧場日記」の第二部を書き始める。やればやるほど新しいことが出てきて、改めて馬と付き合うことの奥の深さを知ることに。

 

 

「去りゆく冬と待ちうける春」

20192月、京都、金沢、大宮、松本他)

義父が亡くなり、その納骨に参加するために、可愛い馬さんたちとしばしの別れを告げ、冬の日本に戻った僕。そこで、思わぬ「サプライズ」に出会う。

 

「馬牧場日記」

20191月、英国、セシル・ホース・サンクチュアリ)

自分でも何故から分からないうちに、馬牧場でボランティアをすることになった僕。これまで馬に触ったこともない人間と、馬たちと、馬を愛する人々との交流をレポートする。

 

「海を見ていた午後」

201810月、東京、金沢、京都、備中高梁、比良山他)

英国で住んでいるハートフォードシャーは森あり、湖あり、牧場ありで良い所なんだけど、海からは遠い。三十五年間のサラリーマン生活に終止符を打って、日本で一カ月を過ごすことになった僕。日本でノンビリ海を見つめて、自分を見つめなおすことができるのだろうか。

 

ライン河旅情の歌

20188月‐9月、ドイツ:ノイス、ケーニクスヴィンター、エルツ城)

「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ」

藤村先生の詩にちなんで、川と古城を見て感慨に浸ろうと、ドイツ、ライン河の畔にやってきた僕。地元民の優しい友達に囲まれて、ライン河の旅情を満喫する。

 

「美女の国ポーランド」

20184月、ポーランド、ヴロツワフ)

突然の出張で、久しぶりにポーランドを訪れることになった僕。ポーランドの美女に会いたいという期待は十分に叶えられるだろうか。また、EUに加盟した後のポーランドの変容を見るのも楽しみ。

 

「過去と未来の狭間で」

20185月、ルワンダ)

親友のGさんの働くアフリカ、ルワンダを訪れた妻と僕。シャイでフレンドリーな人々、可愛い子供たち、快適な気候、「千の丘」が連なる美しい風景。しかし、その中、いたる所に過去の忌まわしい事件「ルワンダ大虐殺」の残影残っていた。ルワンダが、過去を克服し、未来に進んでいく過程を観察した旅行記・・・

 

「イギリスをめぐる十の素朴な疑問」

201710月、英国論)

中学校の同窓会で「授業」を頼まれた僕。良く知られているようで、良く分からないことも多い何か不思議な国、イギリスについて話すことにした。イギリスに関する十個の質問を勝手にこしらえ、自分で答えるという方法で話を進めた。このエッセーはそのときの説明を文章にしたものである。

 

「日系日本人の見た日本、Part 2

20176月、京都、金沢、亀岡、彦根)

国籍は日本だけど、これだけ長く海外にいるともう日本人とは言えないかも。そんな微妙な立場の僕が、日本を訪れて感じたこと。

 

「トンネルを抜けて」

20175月、英仏海峡トンネル列車カーフェリー搭乗記)

僕と上司のMさんは、車を乗せて英仏海峡を渡る列車「ル・シャトル」でフランスに出張することになった。Mさんは何度か利用したと言うが、僕は初めて。どんな風に行くのか興味津々で英国側のターミナル、フォークストンに向かう・・・

 

「バナナと火山の島」

20172月、カナリア諸島、ラ・パルマ島)

特に厳しかった冬の寒さを逃れて、一週間温暖な場所で過ごすことを計画した妻と僕。ヨーロッパ人の避寒地として「定番」カナリア諸島の中でも比較的マイナーな、ラ・パルマ島へと向かう。そこはバナナと火山の島だった。

 

「旅を旅して」

201612月、日本列島を一日で縦断する鉄道の旅)

新幹線が北海道まで開通して、函館から鹿児島まで、新幹線を使って一日で行けるようになった。理論的には可能だが、馬鹿馬鹿しくて誰もやらない旅に挑戦してみた。

 

「ベルギーの休日」

201611月、ベルギー/ゲント、ナミュール、ディナン)

フランスとベルギーでの仕事の合間、ベルギーで週末を過ごすことになった僕。怠惰な旅行者の僕にしては珍しく、土日で出来るだけの沢山のベルギーと出会う努力をする。

 

「フラダンスの犬、あ、違った、フランダースだった」

20167月、ベルギー・アントワープ)

出張のついでに、ベルギーはフランドル地方のアントワープを訪れた私。そこで、幸運なことに三年か四年に一度しか開かれない、帆船のフェスティバルに遭遇する。

 

ウィンブルドンへの道

20166月、ウィンブルドン)

英国に住んで二十五年経つのに、まだ一度もウィンブルドンの全英テニス選手権を生で見たことがなかった妻と僕。今年は友人から切符を手に入れ、二食分の弁当を持って会場に向かう。テレビで見るのと、どこが一番違うのだろう。

 

「麺を究める」、シンガポール、タイ、麺喰い紀行

20166月、シンガポール、プーケット)

シンガポールに住む息子を訪ねることにした妻と僕。面食いではないが麺喰いの僕は、その旅を、アジアの麺類探索の旅にすることに決めた。

 

日本のコメディーとお風呂についての一考察

20163月、京都、金沢、大阪、有馬温泉)

コメディーを生で見る、できるだけ沢山のお風呂に入る、そんな目標を持って、二週間の日本滞在に旅立った僕。日本人のルーツとも言える喜劇と風呂を体験、考察を加える。

 

明日ありと思う心の仇桜

2015年、京都、金沢、黒部、宇奈月温泉)

僕が永らく昼休み食堂に現れないので、クビになったのじゃないかと心配していたインド人の同僚スニタ。久しぶりに会った彼女に、お弁当を食べながら日本での出来事を語る。

 

小便小僧とビリケンさん

2015年、ベルギー・ブリュッセル/ブリュージュ)

二週間北フランスで働くことになった僕。週末を利用して、国境を越え、ベルギー侵入を試みる。ビールとレース編みとチョコレートの国というイメージの他にはこれまで印象の薄い国、ベルギー。そこで僕が発見したものは・・・

 

ドナウの真珠・ブダペスト

2015年、ハンガリー・ブダペスト)

ノルウェーでの休暇を終えた翌日から、ビジネスでハンガリーを訪れることになった僕。フィヨルドの岸を散歩した後にドナウ河の岸を散歩できることを期待しつつ、ブダペストへ飛ぶ。

 

フィヨルドと滝の国

2015年、ノルウェー)

夏至の日を選んで、僕は妻と末娘と一緒にノルウェーを訪れた。前世紀にタイムスリップしたようなホテル、カラフルな三角屋根の家々、壮大なフィヨルド、そしてフィヨルドを流れ落ちる無数の滝。ノルウェーはちょっとシュールな国であった。

 

ダンケルク滞在記

2015年、フランス、ダンケルク)

「まさか自分がこの場所に来るとは思わなかった」そんな場所を偶然のいたずらから訪れるというのはよくある話。歴史に名を残すが、実際訪れる人は少ない北フランスの海辺の町に、偶然のいたずらで滞在することになった筆者の随想。

 

日本のお正月

201415年、京都、金沢)

二十ン年ぶりに、日本で新年を迎えることになった「私」。英国に住む友人に、日本の「お正月」の雰囲気を紹介します。

 

張り切って行くハルキディキ

2014年、ギリシア、ハルキディキ半島)

村上春樹さんがノーベル賞を取れなかった後、晩秋の英国を離れ、結婚三十周年記念に張り切ってギリシア北部のハルキディキを訪れた妻と僕。ギリシアとは言え、冬は寒いのだ。ゴーストタウン化した村に驚きつつも、カスパー・ダヴィット・フリードリヒ的な景色を堪能した一週間の記録。

 

早春の天草、雲仙の旅

2014年、熊本、天草下島、雲仙)

ニュージーランドから英国に戻る途中、思わぬ事態が起こり、日本で足止めを喰った筆者。ポッカリ空いた時間を利用して、九州は天草下島を訪れる。

 

地球の反対側で出会ったもうひとつの価値観・ニュージーランド滞在記

2014年、ニュージーランド南島)

仕事を辞め、人生の「リセット」のためニュージーランドに旅立った筆者。そこで、全く別の価値観を持った人々と出会う。

 

ドイツのクリスマスマーケット

2013年、ドイツ、フランクフルト、マーブルク)

201312月、突然の有休休暇の消化に迫られた筆者。ドイツの伝統的で格調の高いクリスマスマーケットを訪れることを思い立つ。

 

暑さ寒さも彼岸まで

2013年、京都)

20139月、今年も中学校の同窓会で「授業を」受けるべく、台風の爪痕の残る京都に向かう。ソウル・インチョン空港で、珍しくも楽しい経験をした。

 

京都の桜

2013年、京都、金沢)

20133月、直前の入院騒ぎから何とか立ち直って、父の一周忌に参列するために日本へ旅立った僕。京都で待っていたものは、満開の桜。「この下には死体が埋まっている」、そう確信するほど、美しい光景だった。

 

「船で渡る大西洋」

2012年、大西洋、カリブ海)

201211月、妻のマユミと僕は大西洋を船で渡るという、今時考えられない旅に参加した。英国、サウスハンプトンを出た船は、九日間かけて大西洋を横切り、カリブ海に浮かぶ西インド諸島に向かう。その船旅の記録。

 

「卒業写真・三十五年ぶりに出席した中学の同窓会」

2012年、京都)

何と、三十五年ぶりに中学の同窓会に出ることにした筆者。ロンドンから京都に着いた翌日、話題はあるかな、言葉は通じるかなと心配しながら、中学校へ向かう。

 

「ヘンリー五世は豊臣秀吉か」

2012年、ロンドン、グローブ座)

ロンドン・オリンピックの始まった土曜日の午後、僕は、テムズ河畔のグローブ座へ「ヘンリー五世」の舞台を見にいくことした。今回は下準備も万端。カリスマ的な王様の話。シェークスピアの戯曲の中ではちょっとマイナーだが、新聞の演劇批評欄ではとても評判が高い。それだけに楽しみ。

 

「正しいマヨルカ島の歩き方」

2012年、スペイン、マヨルカ島)

寒かった英国の冬、雨ばかりの英国の春。有給休暇を全て父の見舞いに注ぎ込んだこの一年。久々の「本当の」休暇、太陽を求めて、スペインのマヨルカ島に旅立った筆者。ノンビリしようと思っても、そこは日本人。マヨルカ島の魅力を求めてあちこちと動き回る。「正しい」マヨルカ島の姿は見つかったかな

 

「お葬式」

2012年、京都)

日本でお葬式も出したこともないどころか出席さえしたことのない僕。父が亡くなり、そこでの重要な役割を期待されつつ、急遽ロンドンから京都へ戻る。葬儀はしめやかながらも楽しく終了。(ホッ)しかし、その後、色々な手続きが待ち構えていた。

 

「開聞岳と桜島」

2011年、鹿児島、金沢、京都)

今年三度目の日本への帰国。主目的は病気の父の見舞いだが、父は幸い小康状態。それで、今回は京都の他に少しは別の場所へ行けることを期待しつつ。結局、何と鹿児島まで足を伸ばすことに。青空に聳える開聞岳、煙を上げる桜島、心に残る風景だった。

 

「京都、夏」

2011年、京都)

父の看病のために京都へ戻ったときの記録。父があの後すぐに亡くなっていたらおそらく陽の目を見なかったと思う。いわゆる「看病物」、明るい気分にはなりません。それでも良い方だけお読み下さい。

 

「ミーはおフランスに行ってきたざんす」

2011年、フランス/パリ・ヴェルサイユ)

これまで、ミーは仕事では何度もおフランスはパリを訪れながら、空港、ホテル、会社の「魔の三角地帯」から逃れることが出来なかったざんす。今回も出張でおフランス行ったざんす。幸い二日間の休日ができたので、パリの観光に挑んだざんす。おフランスは良い所ざんすよ〜

 

「幻の島、コルシカ」

2011年、ドイツ/ダーラム/京都)

タイトルに惑わされて、コルシカ島の旅行記だと思って読まれるとガッカリします。実は、コルシカへは行けなかったのです。その顛末を書いた、ドイツと日本への旅行記。

 

「ラインの畔、死海の畔」

2011年、ドイツ/ヨルダン)

20112月から3月にかけて、2週間のドイツ滞在と1週間のヨルダン滞在をした筆者。住み慣れた国と、初めての国で、それぞれ色々な人達と会い、何を感じたのか。

 

「ウェディング&トロピカル・クリスマス」

2010年、京都/マレーシア・ペナン島)

201012月、姪の結婚式の披露宴でピアノ連弾をすることになった筆者。まずは日本へ。そこからボルネオ経由でマレーシアのペナン島へ向かう。ペナン島でのクリスマス、それは「熱帯のクリスマス」だった。

 

「冬の遠足」

2010年、英国、ノリッチ)

おやつは二百円まで、バナナはおやつに入りませんというルールを守りつつ、厳寒の時期にノリッチに「遠足」を敢行した僕達三人。ノリッチはどんな街だったのだろう。

 

「ミュージカルの都」

2010年、ロンドン、ミュージカル各劇場)

冬のロンドン。今年こそ「ミュージカルの虜」になるぞと変な決心をした筆者。「ミュージカルの都・ロンドン」で劇場巡りを始める。

 

「ロードス、どうどす?」

2010年、英国、ダーラム/ギリシア、ロードス島)

201010月、一週間のうちに二度、ダーラムとロードスシティーという世界遺産に指定された町を訪れることになった。今回は歴史との旅。

 

「モーツアルトと携帯電話」

2010年、ロンドン、ロイヤル・オペラ・ハウス)

娘のポヨ子に誘われて、久々にオペラに出かけた筆者。演目はモーツアルト。しかし、そこには想像もしない舞台が待っていた。

 

「石との遭遇」

2010年、英国、ストーンヘンジ)

八月のある日、突然一日だけ普通の日に休みが取れることになった。それで、ずっと考えていた、ストーンヘンジ行きを敢行。妻はあいにく不在、「妻以外の女性」と一緒に。フフフ・・・

 

 

「巫女の巣?巫女の酢?」

2010年、ギリシア、ミコノス島)

エーゲ海シリーズ第三弾!まだ夏の観光シーズンが始まる前にミコノス島を訪れたマユミと僕のふたり。ビーチで有名なミコノス島の様々な海岸を歩き回る。

 

「心の旅」

2010年、京都、高知、山代温泉、金沢等)

一年ぶりの日本。今回は阪神タイガース春季キャンプを訪問、真弓監督と選手に「喝」を入れに行く。旅行記が半分。旅行中に頭を巡った「よしなしごと」が半分。

 

「エーゲ海の真珠」

2009年、ギリシア、サントリーニ島)

エーゲ海シリーズ第二弾!6月にクレタ島を訪れて、エーゲ海の島にスイッチが入ってしまったマユミと僕のふたり。何とか休みをやりくりして、「二度目の夏休み」、「二度目の銀婚式記念旅行」と銘打って「エーゲ海の真珠」サントリーニ島に向かう。

 

「シェークスピアは四百年前の吉本新喜劇である」

2009年、ロンドン、グローブ座)

二〇〇九年九月、シェークスピアの喜劇をグローブ座で見る。四百年を経てなお健在なシェークスピアの笑いのエネルギーに感嘆。笑いの本質というものは、洋の東西、時代を超えて存在することを、改めて実感。

 

「三本足のネコ」

2009年、ドイツ、メンヒェングラードバッハ)

クレタ島から帰って以来、休暇モードからなかなかスイッチが戻らない僕。呼ばれるがままにドイツの昔の職場に向かう。

 

「エーゲ海の碧い風」

2009年、ギリシア、クレタ島)

クレタ島日記。2009623日〜77日。挿絵付です。

 

「コンコルド追想」

2009年、マンチェスター)

仕事でマンチェスター空港へ向かう。そこで引退した超音速ジェット旅客機、コンコルドと会えることを秘かに期待しながら。

 

「日本海側温泉三昧」

2009年、木津温泉、山代温泉、他)

二〇〇九年の一時帰国。結果的に、ずっと行きたいと思っていた温泉を、二度も訪れることになってしまった。しかも、なかなか音楽に対するインスピレーションにも富んだ旅。まずはお読みくだされ。

 

「何しとる、ブリストル」

2009年、ブリストル)

寒い冬もやっと終りを告げ春めいてきた三月のある日、大学見学に招かれた末娘と義母のお供で、ブリストルへ向かう。そこは伝統的なものと現代的なものがごちゃまぜになった、不思議な街だった。

 

「入出エジプト記 あるいは ピラミッドを見て死ね」

2009年、カイロ)

留学中のユキを訪ねて、妻と末娘、それに僕はカイロに旅立った。死ぬまでに一度見てみたかったピラミッドとスフィンクスとの対面を夢見て。そして、着いた場所は・・・喧騒とカオスの支配する場所だった。

 

「アムステルダム、冬」

2009年、アムステルダム)

真冬のアムステルダムで二週間を過ごすことになった。

今年の冬はひときわ厳しい寒さ。

そこでオランダ人と一緒に働きながら、寒い国での冬の過ごし方について考察。

 

「諸行無常、日本の旅」

2008年、京都、金沢)

高齢化社会、気がつけば自分もその入り口に立っている。高齢の父を訪れる今回の旅で、その実態の一端を知ることが出来ただろうか。

 

「ポヨ子さん、ソロモンを行く」

(2008年、ソロモン諸島)

地球の裏側にあるソロモン諸島、ガダルカナル島の学校でボランティアをすることになったポヨ子さん。期待と不安に満ちた旅立ちの後に彼女の見つけたものは・・・

 

「思い入れ、ドイツ」

2008年、ドイツ:メンヒェングラードバッハ、ケルン、ボン)

しばらくドイツにはご縁がなかったのに、一週間に二度も往復することになってしまった。久しぶりに訪れて、ドイツとドイツ人に対する思い入れの深さを再確認する筆者であった。 

 

「元時刻表少年、日本を行く」

2008年、日本:京都、金沢、大宮、日光、越後湯沢)

時刻表を座右の書として育った筆者。今回日本を訪れたときに、時刻表から得た知識を発揮することができたのであろうか。 

 

「ガダルカナル島訪問記」

2007年−2008年、ソロモン諸島、オーストラリア)

20071219日より、200812日まで、僕はソロモン諸島、ガダルカナル島を訪れる旅に出た。美しい自然との出会い、今も残る第二次世界大戦の爪痕との出会い、島の人々との出会い、そして過酷な条件の中で働く日本人の皆さんとの出会い。これらの「出会い」を通じ僕は多くを学び、この旅は僕の人生観をも変える大切なものとなった。 

 

「遥かなるケンブリッジ、ポヨ子さん大学下見の巻」

2007年、英国:ケンブリッジ)

200711月、ある日曜日、僕たちはケンブリッジに向かった。名目は「ポヨ子さん大学選択のための下見」。友人のY君の案内の下、僕たちは大学のカレッジを廻る。

 

「脱線、スペイン、コスタ・ブランカ旅行記」

2007年、スペイン:コスタ・ブランカ)

200710月、筆者は、例のごとく妻とポヨ子を引き連れて、いや、彼らに連れられて、太陽を求め、スペイン、コスタ・ブランカに旅立った。スペインとは何の関係もない話題が満載の、それでもスペイン旅行記。

 

「アミダ籤式京都の歩き方」(2007年、日本)

 

二〇〇七年五月。僕は一年ぶりに日本へ向かった。場当たり的で、突き当たったところで、次の行動を決めるというアミダ籤式の行動。楽しいが、少し気疲れする旅でもあった。

 

「山と海と虹とポヨ子」(2006年、ポルトガル:マデイラ島)

 

200610月、大西洋はアフリカの沖に浮かぶ絶海の孤島マデイラで、妻と末娘(通称ポヨ子)と過ごした8日間の記録です。

 

日本はやっぱりええとこや 

2006年、日本)

20064月、一年ぶりに日本を訪問。父の病気見舞いが目的なので、今回は大人しくしてようとは思っていた。しかし、今回も結構色々なことをしてしまった。「祭り」、「歌舞伎」、「お遍路」など日本の伝統に触れ、「ジャズ」、「歌」、「美術館」など芸術に接し、「病院」、「老人ホーム」も訪問、日本の高齢化社会の問題も勉強したぞ。今考えると、二週間であれだけのことをよくやったと自分でも感心。日本を去るとき思った。「日本はやっぱりええとこや、隠居したらここに住もう」って。でも、「日系外国人」になっている私に果たしてそれが可能かな。

 

「死のロード」の記録(2005年、ケルン、アムステルダム、メンヒェングラードバッハ、シカゴ)

 

20059月、四週間の間に二回の国外マラソンと二回の国外出張という予定になってしまった。「これって、阪神タイガースの『死のロード』と一緒やん」と呟きながら、体調に幾分かの憂いを残しつつ、僕は今日も空港へ向かうのだった。

 

沈まぬ太陽を求めて (2005年、スウェーデン、ストックホルム)

Looking for the Midnight Sun (「沈まぬ太陽を求めて」英語版)

マルティン・ベックの足跡を追って、また夏至の沈まぬ太陽を求めて、僕はストックホルムへ向かった。妻と結婚20周年旅行も兼ねて。でも、何故か娘のミドリも付いてきた。ストックホルムは本当に「クリーン」な街だった。

 

地平線の見える国 (2005年、オランダ:アムステルダム)

二〇〇四年、オランダの会社と契約した筆者は、一年の半分をオランダで過ごすことになる。オランダはどこからでも地平線が見える雲のきれいな国だった。そして、そこには実に色々な人たちが住んでいた。

 

 

ボンで貰ったベートーベンのメダル (2005年、ドイツ:ボン)

日本から帰国して十日後、僕はドイツのボンに旅立った。マラソンを走るためだ。体調は最悪。でも、否定的なことばかり考えていても仕方がない。とにかくスタートすることによって、道が開けることを信じて、僕はマラソンのスタートラインに立った。

 

僕って日本人? (2005年、日本:福岡、大阪、京都、金沢、東京)

日本に戻り、地震を体験。野球と相撲を見物。新幹線で東京に出て泡盛を飲み、雪を頂いた富士山の姿に感動する。銭湯で汗をながし、着物姿の若い女性を見てゴックンと唾を飲み込み・・・これって、ひょっとして完全に外国人旅行者の世界じゃない?こんなことをしている僕って本当に日本人なのかな?

 

 

ヴァランダーを追いかけて (2005年、スウェーデン:スコーネ地方)

旅から旅への日々だった2004年。僕はスウェーデンの作家ヘニング・マンケルの本をいつも携えていた。スウェーデン最南端、イスタドの町に住む中年男、警視クルト・ヴァランダーの物語。僕は彼と旅をしていたと言ってよい。シリーズ全11冊を読み終えた年の暮れ、僕は彼の住むイスタドを訪れることを決意していた。

 

 

ヴェネチアは文字通り水の都だった (2004年、イタリア:ヴェニス)

2004年のクリスマス休み、久しぶりに家族5人での旅行が実現した。行き先はヴェネチア(ヴェニス)。筆者にとってはお気に入りのドナ・レオンの小説「警視ブルネッティ」の足跡を辿る旅でもある。地球の温暖化に伴う海面の上昇により、いつまでヴェネチアが生き永らえることができるか分からないので、ともかくあるうちに見ておこうと考えた、そんなわけではないけど、それを予感させる体験だった。

 

 

ロジャー・クレメンスのリクライニングシート (2004年、アメリカ:ロサンゼルス)

「怠惰な旅行者」にいよいよ磨きがかかった筆者。二度目のロサンゼルス訪問。

 

白と青の休日 (2003年、イタリア:アルプス)

本場アルプスで、ほぼ10年ぶりにスキーに挑戦する筆者。転んでばかりだが、転びながら、スキー場に集まる人たちをじっくり観察。

 

海の向こうの怪物たち、アメリカ大リーグ観戦記 (2003年、アメリカ:シカゴ他)

子供の頃から野球大好き少年だった筆者。ヨーロッパで野球から隔離された生活を送っていた。その禁断症状を癒すべく、今回、アメリカへ野球観戦の旅にでる。どのような野球がそこに待ち受けていたか・・・

 

日系日本人の見た日本 (2003年、日本)

中にいると分からないけど、一度離れて外から見ると、日本ってやっぱり不思議な国。海外生活二十年の筆者による「日本人による日本旅行記」。

 

It Never Rains in Carifornia2002, Los Angeles, USA

「カリフォルニアの青い空」、英語版。

Moto flew from cold and rainy London to hot and sunny Los Angeles at the end of November 2002.

 

カリフォルニアの青い空 (2002年、アメリカ:ロサンゼルス)

暗くて寒い十一月のロンドンを離れ、気温三十度、青い空に太陽の輝くロサンゼルスへ飛んだ筆者。まずその落差に衝撃を受ける。現地に住む幼馴染の「Y子さん」をパートナーに、街とそこに住む人たちをじっくりと観察。カリフォルニアの気候が住人の「おつむ」に与える影響も考察。

 

マブダペストの夜 (2002年、ハンガリー:ブダペスト)

「ドナウの真珠」ブダペスト。ある秋の夜、数時間だけ訪れただけで、それでも感動しながら、無責任に書いた旅行記です。

 

コルフ島の二週間 (2002年、ギリシア:コルフ)

チャーター便で南の島へ。格安ツアーを利用した、典型的英国庶民のホリデー。旅行産業の敷いたレールの上、ギリシアの島で過ごす二週間。青い空と青い海以外は何にもないところで、果たして心の洗濯はできたか。

 

南インドの結婚式  (2002年、インド)

同僚の結婚式に参列するため、南インドの小さな町に出かけることになった筆者。もちろん初めてのインド。悠久の歴史を刻む、これまでの筆者の「常識」の通用しない国で、何を感じたか。旅行記です。

 

初めてのアメリカ (2001年、アメリカ:シカゴ)

地球上の二十カ国以上に足を踏み入れた筆者。でもアメリカ合衆国だけは何故か縁がなかった。時もテロ事件の直後、四十四歳にして始めて訪れたアメリカは、一体どんな国だったのか。

 

 

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MabelB