シルヴィオ・トッディ
Silvio Toddi
「ヴェニスまでの往復切符」
ドイツ語題:Einmal Venedig und Zurück
原題:Validità Giorni Dieci「有効期限、十日間」
1955年
<はじめに>
シルヴィオ・トッディは名前の如くイタリア人である。読み終わって、作者についてインターネットの検索エンジンで調べてみる。出てくるのはドイツ語のサイトのみ。しかも、この「ヴェニスまでの往復切符」に纏わる記事のみ。トッディって、本国のイタリアでは読まれてないの。この本しか書いてないの。そんな疑問が湧き上がる。何時、何のきっかけで買ったのかも忘れた本。(ヴェニスに関係のある本と言うことで、ドナ・レオンの警視ブルネッティ・シリーズと抱き合わせで買ったのであろうか。)ともかく、読む本が枯渇したので、読んでみた。その結果は、意外にいけるじゃない、という印象。
<ストーリー>
ローマの映画会社に勤める、パオロ・ルビーニ、二十五歳、男性。アメリカ映画の翻訳の仕事をしているが、安月給でいつも財布の中身の心配をしながら生活している。最近は仕事へのモティベーションも落ちている。
彼は初春の天気の良いある日、会社をずる休みすることを考える。会社へ行く途中、バールに立ち寄ったパオロは、「病気で休む」旨を会社に伝えるべく電話をかける。あいにく会社の電話は話し中。ふと見ると、電話の横に緑のカードが置かれていた。それはローマ・ヴェニス間一等車の往復切符であった。彼はウェイターに、彼の前に電話をかけていた人物の人相を聞く。黄色いトランクを提げ、毛皮のコートを着た中年の紳士。彼はその人物に切符を持ち主に届けるために、ローマ・テルミニ駅へと向かう。
ローマ行き特急列車の一等車コンパートメントを、パオロはひとつずつ見て回り、黄色いトランクを持った紳士を探す。しかし、見つからない。ふと気がつくと隣の列車が動いている。しかし、実際動いているのはパオロの列車であった。列車は彼を乗せたまま発車したのである。このような理由で、パオロはヴェニス行き一等車の乗客となった。
最初の停車駅で降り、ローマに戻ろうと考えたパオロ。その駅までまだ時間があるので、彼は食堂車に行き食事をことにする。食堂車の隣に座った、どこか気になる若い女性。彼女がハンドバッグを落としたのを、パオロが拾ってあげる。女性は、「オゥ」という声を発する。彼はその発音から、彼女がアメリカ人または英国人であることを推測した。
次の停車駅で、パオロは下車する。走り去る列車の窓から、先ほどの若い女性と目が合った。女性はまた軽い「オゥ」を発したように思えた。復路の切符を使い、ローマ行きの列車に乗ろうとしたパオロ。しかし、その往復切符は特殊なもので、ヴェニスでの下車印が押されなければ、復路の切符は有効にならないと駅員から聞かされる。つまり、パオロは、一度ヴェニスまで行かなければ、ローマに戻れないのである。パオロは仕方なく、次のヴェニス行きの特急に乗った。彼は先ほど、食堂車での食事で、所持金の殆どを使い果たしていた。しかし、寒い懐具合と裏腹に、彼は社中で彼は先ほどの「オゥ」の若い女性を思い出し、楽しい気分になりつつあった。
ヴェニス。パオロはほぼ一文無しで駅に降り立った。しかし、日常から離れ、この独特の街を訪れることは、悪い気分ではなかった。教会に入った彼は、訪れた観光客に映画の翻訳で仕入れた知識と弁舌をもってガイドをする。そして、チップを受け取る。その金で食事をしたパオロは、満ち足りた気分で水上バスに乗る。彼は午後の列車に乗り、翌朝ローマに戻る予定でいた。その水上バスの上で、彼は、列車で出会った若い女性を見つける。彼は発車しようとしている水上バスから飛び降り、迷路のようなヴェニスの街で彼女の後を追う。
ゴンドラの降り場でパオロは再度、彼女を発見する。別の女性と二人、彼女はゴンドラの漕ぎ手と何かを言い争っていた。パオロはふたりの女性に近づき、英語で「何かお手伝いできますか」と尋ねる。彼女は「オゥ」と叫び、その後二人の女性は急に大笑いを始め、その場を立ち去る。パオロは後を追うが、雑踏の中でふたりを見失ってしまう。
ローマ行きの夜行列車の発車時間が近づく。しかし、パオロはそれに乗らないで、彼女を探し出す決意をする。彼は、「ヴェニスで誰かに会いたかったら、サンマルコ広場で待て」という鉄則を思い出し、サンマルコ広場に向かい、そこの野外カフェに座って、彼女が現れるのを待つ。
サンマルコ広場でパオロに親しく話しかけてくる男がいた。パオロはそれが誰であるか思い出せない。男に誘われるがまま、その男と食事にでかけ、酒を飲み、気がつくと翌朝、高級ホテルの一室で寝ていた。ホテルの従業員から、昨晩彼を誘った男が、カバリエール・アンセルミという名前であることを知る。しかし、その名前にも聞き覚えがない。
その日の朝、アンセルミは外出する自分の代理で、アメリカ人のミスター・ゴーウェンにその投宿中のホテルで会い、アポイントメントを取ってきてくれるようにとパオロに依頼する。昼前にホテルをでたパオロは、途中、運河の向こう側に例の「オゥ」の女性を見かける。慌てて傍にいたゴンドラに飛び乗り、向こう岸に渡るが、目指す女性は歩き去った後であった。
がっかりした気分で、パオロはミスター・ゴーウェンの泊まっているホテルに着く。フロントで用件を告げた彼の前に、ミスター・ゴーウェンの秘書と名乗る赤いドレスを着た若い女性が現れる。顔を上げたパオロはその女性秘書の顔を見る・・・
<感想など>
「ラブコメ」「ロマンティック・コメディー」と言われるハリウッド映画のジャンルがある。この本は、まさにその世界を活字化したものである。言うなれば、普通では考えられないような偶然が次々と重なり、出会いがあり、曲折があり、若いカップルが誕生するとストーリー。映画と言えば、主人公のパオロは、ローマの映画配給会社「オープンド・マウス・カンパニー」に勤め、英語の映画を翻訳している。従って、映画との関係において必然性はあるのである。
この本の魅力。それは、無声映画の弁士のような饒舌、軽やかな語り口であろう。随所に織り交ぜられるユーモアで、「こんなこと実世界では有り得るわけないよな」と思いながらも、笑いながら読み進んでしまう。
しかし、最初にも書いたが、不思議な本である。書かれたのが一九五五年。いくら洒落た小品と言っても、それが五十年たった今でも出版され、手に入り、読まれているである。そのことから、結構有名な作家の、有名な作品かと想像していた。
しかし、作者のシルヴィオ・トッディをインターネットで検索しても、イタリア語のサイトには行き着かない。ドイツ語のサイトばかり。つまり、現在、この作品はドイツ語でしか読まれていないのである。しかも、他の作品には一切言及されていなくて、この「ヴェニスまでの往復切符」のみが、現在も出版されている。
五十年前の本であるが、不思議に古臭い感じはしない。もちろん、今では、ローマ・ヴェニス間の特急列車は近代的になり、所要時間も短いかもしれない。食堂車はついていないかも知れない。しかし、ヴェニスという街を舞台にする限り、五十年やそこらで基本的に変わりようがないのである。橋を渡り島に渡る。駅を降りると、車はないし、乗り物は水上バスかゴンドラだけ。変わらない街、それがヴェニスの魅力のひとつでもある。
お腹に応えるご馳走の中で、ちょっと「箸休め」をつまんだような気分になる本であった。
(2007年8月)