「カレーソーセージの発見」
Die Entdeckung
der Currywurst
2000年
<はじめに>
ドイツ人が好んで食べる「クリーヴルスト」、つまりカレーソーセージ。カリッと焼いたソーセージをサクサクと二、三センチに切り、そこにカレー味のケチャップをかける。「ポン・フリッツ」(フライドポテト)と一緒に食べるのが作法である。ドイツ人の国民的スナック、「クリーヴルスト」にこんなエピソードが隠されていたとは・・・ 読後感の良い、心温まる物語。
<ストーリー>
「私」は「クリーヴルスト」の発明者が、戦後間もなくハンブルクの港湾地域で屋台の店を出していた、フラウ・ブリュッカーであると確信していた。
故郷のハンブルクを離れた後も、「私」はハンブルクを訪れるたびに、フラウ・ブリュッカーの屋台に顔を出し、彼女の焼いたソーセージを食べるのを楽しみにしていた。
「クリーヴルスト」はどこで始まったかという命題について「私」は知人としばしば議論をした。定説では、一九五〇年代、ベルリンで始まったものだと言う。しかし、「私」の記憶によると、フラウ・ブリュッカーの屋台では、一九四〇年代後半、既にそれが供されていた。とすると、フラウ・ブリュッカーこそ、今やドイツの国民的スナックとなった「クリーヴルスト」の発案者であるということになる。「私」は常々、自説を証明したいと思っていた。
時代は進み、ハンブルクの街も近代化が進む。「私」の住んでいた辺りの店は、洒落たブティックなどに取って代わられ、フラウ・ブリュッカーの屋台も、いつしか姿を消していた。
久しぶりにハンブルクを訪れた「私」は、フラウ・ブリュッカーがまだ存命で、老人ホームに居ることを隣人から伝え聞く。自説の正しさと、「カリーヴルスト」の由来の真実を確かめるべく、「私」はハンブルク滞在の一週間を、フラウ・ブリュッカーを訪れて、彼女の話を聞くことに使おうと決心する。「私」の訪問を受けたフラウ・ブリュッカーは、刺繍の手を動かしながら、「私」に次のようなエピソードを語る。
一九四五年春、ドイツの敗色は濃く、ハンブルクも英米軍の攻撃に晒されていた。当時四十三歳であったレーナ・ブリュッカーはひとりで港の近くのアパートに住み、食糧局に勤めていた。ある日、仕事を早めに終えたレーナは、映画館に入る。そして、隣の席に座っていた若い兵士のヘルマン・ブレーマーと会話をする。彼女は自分の息子ほどのブレーマーに好意を持つ。映画の上映中に空襲警報が鳴り、ふたりは近くの防空壕に避難をする。警報が解除された後、レーナは若い兵士を自宅に連れて帰り、食事を勧める。その夜、ブレーマーはレーナのアパートに泊まる。
海軍に属し、それまでノルウェーのオスロで働いていた二十四歳のブレーマーは、二週間休暇を故郷のブラウンシュヴァイクで過ごした後、今度は陸軍の部隊に配属されることになっていた。そして、その部隊は、明朝ハンブルクの駅前に集合した後、直ぐに前線に送られることになっていた。戦局を考えると、前線に送られたブレーマーが生きて帰られる可能性は、皆無とは言えないものの、極めて低いと言えた。翌朝、部隊に合流するために、起きて一度は軍服を身につけたブレーマーではあったが、結局、またレーナのベッドに戻る。
離脱兵、脱走兵となってしまったブレーマーを、レーナは自分のアパートに匿う。アパートには、ナチス党員で防空係のラマースが住んでいた。彼の突然の訪問をやっとのことで切り抜け、いぶかしがる隣人を何とか誤魔化しながら、レーナはブレーマーを匿い続ける。ブレーマーはレーナのアパートで、日中は息を潜めて過ごす。たまに、窓の外を見るか、古い雑誌の中にあるクロスワードパズルを解きながら。仕事から戻ったレーナは食事を作り、ブレーマーと夕食を共にしたあとで、キッチンに敷いたマットレスの上で、ふたりは抱き合う。
レーナには夫と子供がふたりいた。密輸で儲けたものの、それが見つかり刑務所暮らしをしていた船乗りの夫「ゲイリー」は現在行方不明。(彼のあだ名はゲイリー・クーパーに似ていることに由来する。)息子はルール地方の工場に動員され、娘も結婚をして家を出ていた。一方、ブレーマーには故郷のブラウンシュヴァイクに、妻と生まれたばかりの子供がいた。
ブレーマーは海軍であったが、「騎馬勲章」を持っていた。もともとブレーマーの父が馬を飼っていた関係で、彼は馬の世話に詳しく、上官の軍馬の巧みに世話して、その勲章をもらったのだと言う。戦争末期、ドイツ軍内では勲章が大安売り、誰も勲章に慣れっこになっていた中、海軍の兵士が「騎馬勲章」を持っていることを、皆が面白がり、それがブレーマーの自慢のひとつになっていた。
一九四五年五月、ブレーマーがレーナのアパートに匿われるようになってから約二週間後、ベルリンは陥落、ヒトラーは自殺する。町の守備隊も降伏をし、ハンブルクの街は英米軍に明け渡される。連合軍による空襲と砲撃は終わりを告げたのである。
しかし、レーナは戦争の終結を、ブレーマーに告げなかった。彼女は、ブレーマーが故郷に妻と生まれたばかりの子供を残していることを、彼の持っている写真を見て知っていた。もし、戦争の終結を彼に伝えたならば、彼は故郷に戻って行く。そう思うと、レーナはブレーマーに真実を話せなくなってしまった。彼女は、自分で色々な話を作り上げ、それをブレーマーに聞かせる。ドイツが新たに英米軍と組んで、ソ連軍と戦うことになったこと。そして、架空の戦線の状況など。ブレーマーはレーナの話を信じ、地図にその日の戦線について書き込んでいく。
しかし、ブレーマーが真実を知る日が来た。レーナが嘘をついていたことを知った彼は、激高して、アパートの鍵を手で叩き壊して出て行こうとする。手を負傷したブレーマーを、レーナは介抱し、ブレーマーの好きな料理を作ってやる。しかし、ブレーマーは食事の味を感じなくなっていた。
レーナは、同僚でコックのドルティンガーにブレーマーが味覚を失ったことについて相談をする。ドルティンガーは、香辛料が刺激となり、味覚を失った者が味覚を取り戻すことがあるということをレーナに話す。レーナはいくつかの香辛料を試みるがブレーマーの味覚は戻らない。
ブレーマーがレーナの家に来てから二十六日後、レーナが仕事から戻ると、アパートにブレーマーの姿はなかった。レーナの夫のグレーの背広が消えており、代わりに洋服ダンスには彼の「騎馬勲章」のついた海軍の青い軍服が掛けられていた。
戦争が終わり、息子と娘が家に戻ってきた。息子は失業中であり、娘は乳飲み子を抱えている。娘の夫は戦線で行方知れずとなっていた。レーナの夫、ゲイリーもロシアの収容所から戻ってくる。しかし、帰ってきたものの、口うるさく、女にうつつをぬかす夫を、レーナは叩き出す。
レーナは食糧局をクビになる。彼女は暮らしていかなければならない。夫はもう頼りにできず、彼女はおまけに息子と娘と小さな孫という扶養家族を抱えていた。おりしも、港で屋台の店を出していた老人が病気になり、その屋台が売りに出ていることをレーナは知る。レーナはその屋台を引き受けることを決心する。しかし、屋台で食べ物屋を始めるにしても、材料を仕入れなければならない。彼女にはそんなまとまった金がなかった。
彼女は、友人を通じて、勲章を集めている英国人の将校がいることを知る。その英国人将校は、ブレーマーの残した「騎馬勲章」に興味を示し、それを薪と交換してすることを持ちかける。レーナはブレーマーの残した軍服を自分用に縫い直し、それを着て、友人、知人、知らない人の間を奔走する。そして、複雑な物々交換の鎖の後で、ソーセージ、トマトケチャップ、食用油を自分用に手配することに成功する。
しかし、ソーセージとケチャップは手に入ったが、手違いで食用油の代わりに「カレー粉」が来てしまう。おまけに運搬中にケチャップのビンが割れてしまう。割れたケチャップのビンと、こぼれたカレー粉。捨てるのももったいないと考えたレーナは、それを指ですくって舐めてみる。その瞬間、レーナの顔がバラ色に輝いた・・・
<感想など>
カレーとチョコレートを生まれて初めて食べた人は、誰でも衝撃を受けると思う。どちらにも、人間を幸せにする、不思議な魅力のある味である。実際、チョコレートには「人間を幸せにする」物質が含まれていると、最近の新聞記事で読んだことがある。私はカレーにも、きっとそんな物質が含まれていると思うのだが。
酒を飲んだ後、あるいは映画などを見て少し遅くなり小腹が空いたときなど、日本人はよく麺類を食べる。うどんとか、そばとか、ラーメンとか。(最近の若い人はハンバーガーかも知れないが。)ドイツ人は、まさにそんなシチュエーションにおいて、「インビス」(屋台)でソーセージを食べる。そして、その中でも「クリーヴルスト・ミット・ポンフリッツ」(カレーソーセージとポテトフライ)は、最も好まれているものではないかと思う。つまり、関西で言うと「きつねうどん」に相当する代物である。
関西に大昔からあるように思える「きつねうどん」の起源が結構新しく、明治も半ばになってから発明されたように、「クリーヴルスト」も結構新しい時代の物のようである。この物語の主人公レーナ・ブリュッカーが実在の人物ではないにしても、「クリーヴルスト」が戦後のものであることは私にとっては驚きであった。
ドイツでは「クリーヴルスト」用に、カレー味のケチャップを売っている。一度これを使い出すとやめられない。ところが、このカレーケチャップ、「ハインツ」という大手メーカーが作っていているのだが、英国では手に入らない。それで、私や息子などがドイツに出張や友達を訪ねて行くとき、妻はいつも、
「お土産に、カレーケチャップ買ってきてね。」
と言う。「ハインツのカレーケチャップ」は我が家では、ドイツ土産の定番になっている。
決して読みやすい文体ではない。「私」の台詞、レーナの台詞、レーナの物語の中の登場人物の台詞が混ざり合って、三回くらい読まないと、この台詞を言ったのは誰なのか分からない所もある。
しかし、実に心温まる話である。読後感もとても良い。戦後、ブレーマーが再びハンブルクを訪れ、レーナの店を訪れるシーンなど、読んでいて涙が出た。ブレーマーがカレーソーセージの誕生と、一体どんな関係にあるのが、なかなか分からない。そして、最後に「なーんだ、そうだったのか」と感心し、何となく嬉しい気分にさせられる。読み終わった後、思わず微笑まずにはいられない、そんな結末。
一にも二にも、レーナのキャラクターで持っている作品である。彼女は典型的なドイツの「肝っ玉お母」なのであるが、強いだけではなく、優しく、正義感が強く、機転が利く。実に魅力的なキャラクターである。
最初にブレーマーと出会うシーン。戦局も生活もどうしようもなく逼迫しているが、彼女は「春」に誘われて短いスカートを履いて通りに出る。戦争中も、隣人が「ハイル・ヒットラー」と挨拶をするのに対して、頑なに「グーテン・ターク」と挨拶をし続ける。レーナは自分を主張できる女性なのである。
また、肉体的にも、精神的にも強い。真実を知ったブレーマーが鍵を破って部屋から外へでようとしたとき、レーナは彼を腕力で押さえつけてしまう。また、ブレーマーの残した軍服を仕立て直した服を着てソーセージを手配しに行く途中、動けないほど満員の列車の中で、彼女はおしっこを漏らしてしまう。びっくりしてレーナを見つめる周囲の男たちを前で、彼女はそれを笑い飛ばしてしまう。その度量には恐れ入る。
どうしても、屋台の店の原材料を手に入れたいレーナ。そこには食糧を持っている者、毛皮を持っている者、勲章を持っている者、薪を持っている者、様々な供給がある。そして食糧が欲しい者、毛皮の欲しい者、勲章の欲しい者、薪の欲しい者、様々な需要がある。レーナはその需要と供給を巧に繋ぎ合わせて、自分の欲しいものを手に入れるのである。その機転と行動力には脱帽してしまう。
ともかく、「普通のおばさん」でいてそれでいて「スーパーウーマン」であるところが素晴らしい。
(2007年2月)