息子とはそう言うもの
桜にはまだ早いが梅は見ごろである。相国寺にて。
京都に戻って、僕の一日は「規則正しい」ものになった。
午前六時半頃、起床、鴨川まで散歩。
午前八時、父母と朝食。
その後、居間のソファに寝転がって、本を読むか、高校野球を見るか、居眠りをする。
正午前後、今出川新町のプール、「レギーナ京都」で泳ぐ。
その後、居間のソファに寝転がって、本を読むか、高校野球を見るか、居眠りをする。
午後五時、銭湯「船岡温泉」へ。
午後五時五十五分、銭湯の前のコンビニでビールを二缶買う。
午後六時、買って来たビールを飲みながら父母と夕食
午後八時半、特にやることもないので、父が床に入るのとほぼ同時に眠る。
この合間に父とボソボソと話をするくらいである。
三月二十四日の朝、朝食の後、僕は家から歩いて数分のゲンシ君の両親のお宅を訪れた。僕は年末年始、高校の同級生で親友のゲンシ君をソロモン諸島、ガダルカナル島に訪れていた。父に見せるためガダルカナル島で撮った写真を持って帰っていたので、ゲンシ君の写っている分を、ご両親に進呈しようと思ったのである。
「息子さんは写真をご両親に送られていると思いますが、その中に加えていただければ。」
そう言って、ゲンシ君のご両親に写真を差し出すと、
「息子は写真なんて全然送ってきませんわ。川合くんの書かはったホームページを読んで、初めて息子の様子が分かったようなもんです。」
とお母さんはおっしゃった。僕自身、そして僕の息子を思い出し、男の子なんてそんなもんであると、自戒も含めて思った。便りのないのは良い便り、親にはそう思ってもらおう。
ゲンシ君の家から戻ると、イズミから電話が入っていた。お母さんが腕の骨を折られたとのこと。その騒動のため、この前から電話が通じなかったのである。忙しそうなので、とりあえず彼女と会う約束は、彼女の身辺がもう少し落ち着くまで待つことにする。
昼前、三十年物の父の自転車に、五十年物の空気入れで空気を入れ、今出川新町のホテル、「レジーナ京都」へ向かう。ここには一回千円で泳げる、二十五メートルプールがある。最近、「食っちゃ寝」の生活をしていたので、更衣室の鏡に自分を映すと腹が出ているのが分かる。ゆっくりと千二百メートルを泳ぐ。
プールから出て、自転車置き場へ行くと、前輪の空気が抜けていた。何せ父が自転車に乗るのをやめてから、ここ十年間に誰も乗っていない自転車である。ゴムも大いに劣化しているであろう。幸い自転車屋はすぐに見つかった。タイヤにもヒビが入っていると言うので、タイヤもチューブも全部交換して四千二百円とのこと。これなら安い自転車を一台買えるかなと思いながらも、僕は修理を頼んだ。帰って父にそのことを言うと、もう捨ててきてよかったのにと言いながら、何と四千二百円を返してくれた。父らしい。
和服で京都観光をする若い女性をよく見かけた。