越後湯沢経由宇都宮
16分だけ滞在した越後湯沢にて。
午後三時前に鉄道博物館を出た。帰りはシャトル電車に乗らず、JR東日本大宮車両工場に沿って歩いて大宮駅へ向かう。塀にはかつて活躍した列車の絵が描いてあり、それを見ながら歩くのも楽しい。
まだ宇都宮へ行くのは早すぎる。従姉妹のサチコはまだエアロビクスをやっている時間だ。さて、どうしようか。その時、列車に乗り、三時間で行けるところまで行って、また戻って来ようという考えが閃いた。「天下御免」のJRパスを持っているのであるから。
大宮駅で「元時刻表少年」の頭脳が回転する。上越新幹線の「とき三二七号」に乗ると、越後湯沢に十五時四十九分に到着する。十六時五分の「マックスたにがわ四一八号」でトンボ帰りをすれば十七時十四分に大宮に戻れる。そこから十七時三十四分発の「マックスやまびこ一二五号」に乗れば、十七時五十八分に宇都宮に着く。今日一日だけで、「ひかり」、「なすの」、「とき」、「たにがわ」、「やまびこ」と五つも違う新幹線の列車に乗ることになる。完璧な計画。しかし、越後湯沢での滞在はわずか十六分という馬鹿げた計画でもある。
列車名の前に「マックス」と付いているのは、全車両二階建てであることを現している。グリーン車は必ず二階であるから、良い景色を期待していた。しかし、関東平野を離れると、トンネルまたトンネル。残念ながら外の風景はほとんど見えなかった。
越後湯沢では五分ほど外に出た。新潟県に足跡を残す。駅の周辺にはまだ雪が残っており、スキーやスノボーを持った乗客がいたりして、北国の風情がする。
大宮での乗り換えはややこしかった。東北新幹線はたいていふたつの列車がおつなぎになっているが、違う列車間は行き来ができない。僕の乗る「マックスやまびこ」も新庄行きの「つばさ」を連結している。間違った車両に乗ったら、次の停車駅までそのまま動けない。足元に案内板が埋めてあるのだが、数が多すぎて良く分からない。これは大いに改善の余地があると思った。
大宮から電話してあったので、宇都宮駅にはサチコが迎えに来てくれていた。一年ぶりの再会。ただ、彼女はクリスマス前にドイツにいたので、そのとき電話では話していた。
「今日は、ドイツの土産話をさんざん喋るから、覚悟しててね。」
彼女は言った。薄暗くなった宇都宮の街を、ポプラ並木に沿って歩く。
彼女のアパートに着くと、ご主人のワダさんは、もう帰宅しておられた。僕はワダさんに会ったら是非聞きたいことがあった。それはオートマティック車(AT車)のギアチェンジの仕組みである。AT車にもギアはあるようなのだが、どうして自動的にそれが切り替わるのか、ずっと不思議に思っていた。ワダさんはホンダの技術研究所にお勤めのエンジニア。そして僕と同じ熱狂的な阪神タイガースファン。
夕食の前後に、サチコは生まれて初めての海外旅行だった、ドイツの友人訪問の旅の写真や土産物を見せてくれた。彼女がありとあらゆるものを持ち帰っているのに感心する。明日は、土曜日。ドライブに連れて行ってくれるそうだ。
こんな板がいっぱい有りすぎて、結局どこへ行けばよいのか分からない大宮駅のホーム。