「時間、時間」
Die Zeit, die Zeit
(2012年)
<はじめに>
ストーリーテラーとして定評のあるマルティン・ズーター。今回は、タイトルからも分かるように、「時間」をテーマにした物語。ふたりの男が、過去を再現することにより、時間を逆行させ、亡くなった妻に再会することを試みる。
<ストーリー>
仕事からアパートに戻ったペーター・ターラーは、冷蔵庫からビールを出し、それを飲みながら、窓から表通りと、それを挟んだ向かい側の家々を見る。
「どこかが変わっている。」
とペーターは感じる。しかし、彼は何が変わっているのか、明確には言えない。通りを挟んだ真向かいの家には、クヌップという、付き合いの悪い、偏屈な老人が住んでいた。
ペーターは二人分のパスタを作り、ワインを抜いてふたつのグラスに注ぐ。しかし、彼以外にそのアパートに住む人間はいない。彼の妻、ラウラはちょうど一年前、アパートの前で、何者かに撃たれ、殺されていた。犯人の手掛かりは得られていなかった。
彼女の死後、ペーターはアパートの中を何一つ変えず、夕食も二人分準備をしていた。彼にとって、ラウラの死を受け入れることは辛いことだった。彼の精神状態は仕事にも影響を及ぼし、彼は上司に呼ばれ、仕事の能率を上げないとクビにすると警告されていた。
ある朝、ペーターが新聞を見ると、近くで、若い女性が射殺されたという記事が載っていた。その状況が、ラウラが殺されたときと似ていると感じたペーターは、警察のマルティ刑事に電話をする。警察も、同一犯人によるものではないかと疑っているということであった。
毎日窓から外を見ていて、
「どこかが変わっている。」
と感じていたペーターは、デジタルカメラを窓際に据え付けて、毎日写真を撮る。ラウラは、死ぬ前に、同じ角度で写真を撮っていた。その写真と、最近撮った写真を比べてみて、変わっていたのは、向かいの住人、クヌップの植えている植物であることが分かる。クヌップは成長したリンゴの木を引き抜き、もっと若い、細い木と取り換えていた。
ペーターのアパートを掃除しにくる、同じく隣人のゲルファルト夫人は、クヌップをよく思っていなかった。彼女は、クヌップが二十年前に妻を亡くしてから、妻の生きていた頃の状態をそのまま保存しようとしていると言う。そして彼女はペーターに、
「あなたも同じ傾向があるから気をつけた方がいい。」
と忠告する。
警察は、新しい殺人事件の犯行現場の近くで、黒いモペットに乗った男が目撃されていたことを伝える。ラウラがその死の直前に撮った写真にも、黒いモペットが写っていた。
ある日、ペーターがアパートに帰ると、郵便受けの中に、封筒に入れられた写真が入っていた。その写真はアパートの、道路にペーターの部屋を、望遠レンズを使って正面から撮ったもので、クヌップの家から撮られたものであることは疑いようがなかった。彼は、どうしてクヌップが自分の家の写真を撮り、それを送り付けてきたのか、不思議に思う。彼は、直接クヌップを訪れて、その真意を質すことにする。ノックをしたペーターを待っていたようにクヌップがドアを開ける。八十歳を超えているはずなのに、妙に若々しい老人であった。しかし、手の震えを隠すことはできない。
クヌップはペーターに対して、
「あんが俺を観察していたから、俺もあんたを観察していただけだ。」
と言う。また、
「俺が、あんたの奥さんの死と関係していると思っているのだろう。」
と逆に問い質す。それは真実であった。ペーターはこれまで何度も、この奇妙な老人を、犯人ではないかと疑っていた。クヌップはそれを否定した後、更に、
「時間は存在しない。変化だけが存在する。事物が変化するから、人間は時間が経ったと錯覚しているだけである。」
と話し始める。そして、全く同じ光景を再現できれば、その間に経った時間を無いものに出来、「Xデー」戻ることができるという。
老人にとって、その「Xデー」とは、一九九一年十月十一日であった。その日、クヌップは、新しいライカのカメラを買い、家の中の物を大量の写真に撮っていた。その後、クヌップと妻のマルタはアフリカに休暇に行き、マラリアで妻は死亡する。当時、夫婦は休暇にアフリカに行くか、ネパールに行くか迷っていた。結局クヌップがアフリカを選択し、その結果、妻は亡くなったのである。
クヌップは自分の家を、一九九一年当時と寸分違わぬものとすることにより、その間の変化、時間を消し去り、亡くなった妻を呼び戻そうとしていた。クヌップは自分の「プロジェクト」に対して、ペーターの協力を求めるが、ペーターはそれを断る。
最初、クヌップの言うことを馬鹿馬鹿しいと思うペーターだが、そのうちに自分のやっていることも、同じようなものだと思うようになる。ペーターはラウラの死後、家の中を全然変えていなかった。クヌップから、新たな写真が届く。それは、モペットの男性を撮ったものだった。
ペーターのアパートに小包が届く。ラウラ宛である。開けてみると中に「時間の誤謬」という古い本が入っていた。
「お探しでした本が見つかりましたので、お送りいたします。」
と書かれた手紙の差出人は、「骨董書籍業、ルイゼ・ノイシュミット」となっていた。その本の著者はヴァルター・ケルベラーという人物で、一九七六年にその本を出版後、一九八八年に死亡。本は彼の死後絶版になっていた。ペーターはその古本屋を訪れる。そこの女主人ノイシュミットは、数か月前にラウラがその本を注文するために店を訪れたと言う。その日は、ラウラが殺された数か月後のことであった。ラウラが「時間」に興味を持ち、本まで注文していた。ペーターはラウラの新しい一面を知ったような気がし、生前の彼女のことをもう少し調査してみようと決心する。彼は、ラウラの親しい友人たちに会う。しかし、誰も、ラウラが「時間」に興味を持っていたことを知らない。
ペーターはクヌップに協力することにする。クヌップがラウラの死について何かを知っていると感じたペーターは、彼を助けることで情報を得ようとしたのだ。クヌップはペーターが協力してくれるなら、それに対して少しずつ情報を提供することを約束する。クヌップの提供したモペットの男の写真では、男はヘルメットを被っていて、人相は分からない。しかし、大柄で、長身、黒い髪とひげを持っていることは分かった。
ペーターはラウラに送られてきた、「時間の誤謬」の本を手に取る。そこには、「時間は存在しない、変化だけが存在する」という理論の証明として、電動のこぎりの事故で片腕を失った米国の男、バトンポンドの例が挙げられていた。
クヌップとペーターは庭の測量を始める。隣人たちはそれを奇異の目で見る。ペーターは死んだはずのラウラが注文した本が送られてきたことをクヌップに告げる。クヌップはラウラの生前、彼女と路上で雑談をし、その際「時間は存在しない」という話をしたと述べる。
庭の測量を続けるクヌップとペーターはその結果を図面に記入していく。ペーターはラウラの死後失っていた人生に対する目標がまた出て来たことを感じる。クヌップは、モペットの男がよりはっきりと写っている写真をペーターに渡す。その男こそがラウラの殺人犯人だと考えるペーターは、その写真を隣人たちに見せ、見覚えがないかと聞き歩く。しかし、誰も知る物はいない。
クヌップは、昔とそっくりそのまま同じように再現する場所を、自宅から二十メートルの範囲と区切っていた。いかにクヌップとしても、町全体を昔に戻すことは不可能だと知っていた。ふたりは庭の植物の再現を始める。二十年間に伸びた枝を切って、昔のサイズに戻すのだ。また園芸会社を訪れ、必要な木や花を提供してくれるように要請する。しかし、その手付を払ったクヌップに、もうほとんど金は残っていなかった。
警察のマルティ刑事がペーターに連絡してくる。最近の起こった女性殺人事件の犯人が分かったという。同僚の元同僚で、関係のもつれから女性を殺し、自殺していた。その殺人事件が、ラウラのものと似てはいるけれど、無関係であることが分かった。
ペーターは、過去に近所に住んでいた人物から、モペットの男に見覚えがあるという証言を得る。彼は、クヌップを脅し、更にそのモペットの男の写った写真を出させ、その男が頻繁に自分たちのアパートを訪れ、数時間過ごしていたことを知る。モペットの男こそ、ラウラの愛人で、殺人の犯人ではないか。男を招き入れていたのはラウラではないかとペーターは疑い始める。ペーターはラウラの予定表を調べる。その写真が撮られた日、ペーターは出張で留守にしていて、ラウラの手帳には「K」というイニシャルと、「花火」のマークがついていた。
モペットの男の写真を見た、ゲルファルト夫人は、同じようなモペットが近所の「フラットシェア」の家の前に停まっていると告げる。ペーターはその家を訪れる。果たして、そこには使われなくなったモペットが停まっていた。それは写真に写っているものと同じタイプであった。ペーターがその家を観察すると、住人のひとりが、写真の男に酷似していることが分かる。その男の名前は「クルト」と言い、ラウラが手帳に書いていた「K」というイニシャルと一致する。ペーターはクルトと名乗る男こそ、ラウラの愛人で、殺人犯人であると確信し、彼の家を見張る。
一九九一年当時と寸分違わない光景を再現するには、植物の他に、家の壁、駐車中の車、ゴミ箱等、再現が難しく、多額の金がかかるものがあった。クヌップの貯金は既に底をついていた。雨の中で見張りをして、風邪を引いたペーターを、クヌップが食事を持って訪れる。そこで二人の間に、初めて融和が生まれ、ふたりは「du」(おまえ)で呼び合うようになる。
数日後、彼は、家の中のラウラの物を全て捨て、軍隊から預かっているピストルを持って、外に出る。彼はクルトに家に入り、彼にピストルを突き付ける。しかし、彼の同居人に背後から反撃され、負傷する。クルトは、
「自分が関係を持っていたのは、あんたの奥さんではなく、同じアパートに住むケラー夫人だ。」
と告げる。家で仕事をしているラウラは、その関係に気付き、それを日記に書き付けていただけなのだ。ペーターはラウラを疑ったことを後悔する。ラウラの犯人捜しはまた振り出しに戻る。
夏が終わろうとしていた。ペーターは、クヌップに十月十一日までに過去を再現するには、時間も金も足らないことを告げる。クヌップは泣き崩れる。ペーターはある決心をする。彼は、映画のセットの会社と、同僚のパートナーが経営する車の会社に、作業と、車の調達を依頼する。金に糸目をつけない人海戦術で解決しよういうのだ。そして、前から頼んでいた園芸会社も含め、請求書を自分の会社宛てに発行するように依頼する。彼は、その請求書の支払いを、上司には内緒で行う。また、彼は、「映画の撮影をする」という理由で、隣人たちを説得し、金で釣り、隣人たちの家の壁や窓を、二十年前の状態に戻す。
十月十一日は刻々と近づき、準備は遅々として進まない。また、ペーターの会社が受け取った請求書に対して、会社の同僚が疑惑を持ち始める。果たして、クヌップの奇妙な「プロジェクト」は完成するのであろうか・・・
<感想など>
ズーターの描く物語はどれも面白く、その証拠に「スモール・ワールド」、「リラ・リラ」など、多くが映画化されている。毎回新しい材料を使い、料理法も変わっていて、それでいて美味しい料理を作る料理人のようである。それなりに楽しめ、当たり外れのない作家である。
クヌップの奇妙な「プロジェクト」の根底となっているのが、ヴァルター・W・ケルベラーという人物が唱えた理論である。もちろん、ケルベラーは架空の人物で、そんな理論が本当にあるのかは分からない。ともかく、その理論とは、
「時間は存在しない。変化のみが存在する。人々は、何かが前と変わっていることにより、そこに、時間が経ったと錯覚するだけである。」
つまり、今見た光景と、次に見た光景が、寸分違わなければ、そこに時間は存在しないということになる。クヌップは、自分の家と、その周辺を、二十年前と全く同じ状態にすることにより、その間の時間をなかったことにし、その間に亡くなった妻を甦らせようというのである。まあ、「時間」というものは常に謎で、本当に説明し切れた理論はまだないと思うので、こんな一見荒唐無稽な理論が出て来ても、「ひょっとしたら、そうかな」と思ってしまうところが、この物語の出発点である。作者のズーター自身が「あとがき」で書いているが、彼はこのアイデアをアンリ・サールという人が提唱する「グラヴィモーション」という、現在の物理学とはまた違った理論から得たという。
しかし、そのプロジェクトに参加しているペーター・ターラーでさえも、
「原因があるから結果がある。結果だけを再現できるのか。」
と疑問を抱いている。家の壁面が汚れているのは、何年にも渡る雨や風のせいで、その汚れだけを再現しても、本当に再現したことになるのか、ということ。これは、読者が皆感じるところであろう。
クヌップの妻、マルタは休暇でアフリカへ行った後、マラリアで死んだという設定である。実際、アフリカに行きたかったのはクヌップで、妻はネパールへ行きたがっていた。それをクヌップが説得して、旅先をアフリカした。それをクヌップは非常に後悔し、
「もし、時間を巻き戻すことができるのなら、ネパールに休暇に行く。」
というのが、彼が時間の逆行を企てた理由になっている。かなり、強い動機と言える。また、クヌップが、当時、新しいライカのカメラを買って、何百枚もの写真を同じ日に撮ったということが、「完全に過去を再現する」ことの前提となっている。この辺り、読者が不自然だと思うだろうことへの、作者の予防線は周到である。
さて、この物語の興味は、
@ クヌップのプロジェクトは成功するのかしないのか
A ラウラを殺した犯人はだれか
B ペーターがプロジェクト遂行の金を得るためにした業務上横領は何時バレるのか
の三点であると思う。
この興味を、今回ズーターは「最後の最後の最後」まで未解決のまま引っ張っていっている。そして、最後の一ページで結論を出すという構成になっている。
今回もそれなりに楽しめたが、時間の理論にだけはついていけず、そこがこの物語に完全に浸り切れない原因でもあった。
(2015年4月)