「最後のヴァインフェルト」

Der letzte Weynfeldt

2008

 

<はじめに>

 

 「料理人」の中で描かれた料理の世界など、毎回いろいろな世界を勉強させてくれるズーターの小説だが、今回は美術品の世界。美術品の愛好家と、それを相手にするオークションハウスの舞台裏が分かって面白い。

 

映画化もされた。ヴァインフェルトはバーでロレーナと出会う。

 

<ストーリー>

 

アドリアン・ヴァインフェルトはスイスのオークションハウスで美術アドバイザーとして働いている。五十代で独身、裕福な父母から相続した不動産を基に、金には不自由しない生活を送っている。彼は、自分に規則を課し、ルーチンに従った生活を送っている。決して保守的というわけではない。その方が、時間がゆっくりと過ぎると信じているからである。

 ある土曜日の夜、彼はロレーナという三十代の女性と、バーで知り合う。酔っ払った彼女を、行き掛り上、自分のアパートに連れ帰る。翌朝、ロレーナはバルコニーから飛び降りて自殺しようとする。言葉も掛けられず、助ける行動も取れないヴァインフェルトだが、突然泣き出した彼を見て、ロレーナも自殺を思い留まる。ロレーナは、住所も、電話番号も、苗字も告げずにヴァインフェルトのアパートを立ち去る。

 ヴァインフェルトの古くからの友人、クラウス・バイアーは六十八歳。バイアーもヴァインフェルトと同じく裕福な両親から財産を受け継いだが、次々に事業や投資に失敗。最後に残った財産が、画家フェリクス・ヴァロトンの描いた「ストーブの前にいる裸の女」であった。バイアーはその絵に、非常な愛着を持っていた。しかし、彼はその絵も手放さざるをえなくなり、ヴァインフェルトにその絵を競売にかけてくれるように依頼する。ヴァインフェルトはその絵を預かり、自分のアパートに持ち帰る。

 ヴァインフェルトは、木曜日の昼食を、イタリアレストラン「アウグストーニ」で、友人たちと一緒に取ることになっていた。ある木曜日、レストランにいる彼にロレーナから電話が架かる。

「誤解を受けてるの。直ぐに近くのブティックに来て、私を助けて欲しい。」

という電話であった。ヴァインフェルトは急いで、言われたブティックへと向かう。

 ロレーナは、そのブティックで、万引きをしようとして、見つかったのだった。彼女は、

「服を恋人に見せようとしただけだ。」

と言い張る。ヴァインフェルトは、その「恋人」役を演じることになった。ブティックに現れたヴァインフェルトは、ロレーナが万引きしようとした服だけではなく、他の高価な服も惜しげもなく買ってやる。店を出た後、ロレーナは、

「どうしてそんなことをしたの。」

とヴァインフェルトに尋ねる。

「あの日曜日の朝以来、きみは僕の生き方に責任を担っているから。」

と彼は答える。

 木曜日の昼食会に現れるメンバーの中に、ロルフ・シュトラッサーという若い画家がいた。彼は極めて高度な技術を持っていてが、自分のスタイルを確立できないことに悩んでいた。ヴァインフェルトは彼にこれまで金銭的な援助をしていた。金策のためにヴァインフェルトのアパートを訪れたシュトラッサーは、アパートに飾られている「ストーブの前にいる裸の女」の絵が、偽物であるという。怒ってバイアーを訪れたヴァインフェルトは、バイアーが愛着のある絵を手放したくないために、精巧な模写を作られていたことを知る。

ロレーナはヴァインフェルトとの夕食の約束をすっぽかす。彼女はその間、ペドローニという男と会っていた。彼はブティックの店員で、ロレーナの万引きを見つけた人物であった。一度大学に入った彼女だが、アルバイトで始めたモデル業で金の味を覚え、大学を中退したあと、しばらくはモデルとして、ブランド品に囲まれた生活を送った。しかし、最近はモデルとしての働き口も少なくなり、一緒になろうとした男からは騙され、その日の生活にも困る暮らしに陥っていた。

バイアーの家の掃除婦の証言から、ヴァインフェルトは贋作の作者がシュトラッサーであることを知る。彼は、バイアーに本物の絵を持って来させる。彼のアパートには、寸分違わぬ絵が二枚並ぶことになった。バイアーはヴァインフェルトを、偽物を競売に出してくれと頼むが、ヴァインフェルトは断る。

タクシー代に困り、ヴァインフェルトのアパートに来たロレーナは、ちょうどヴァインフェルトと出てきたバイアーに出会う。バイアーはヴァインフェルトがロレーナの言うことなら何でも聞くことを知っていた。バイアーはロレーナに、偽物を競売に出すことをヴァインフェルトに納得させたら、金を払うことを提案、ロレーナもその話に乗る。ヴァインフェルトを訪れたロレーナは、

「偽物を売っても誰も困らないんじゃない。」

と彼に誘いをかけるが、

「それは僕にとって単に『オーケイ』じゃない。」

と、ヴァインフェルトは言う。しかし、その後、ヴァインフェルトは本物と偽物の唯一の違い、署名の後の「ドット」を絵具で書き加える。

 ヴァインフェルトはロレーナに利用され、弄ばれていることが分かっていた。しかし、自分にはないロレーナの「直接的」な一面に触れ、彼女を忘れられない。彼は、生まれて初めて携帯電話を買って、彼女からの連絡を待つ。

 ロレーナは昔のモデル友達、バルバラから一緒にマヨルカ島への休暇に来てくれるように頼まれる。しかし、彼女は、バルバラが若い男と休暇を夫に内緒で過ごすための「隠れ蓑」に使われたに過ぎなかった。彼女は、休暇に必要な金を、ペドローニに借りる。休暇中、自己嫌悪に陥り、再び飛び降り自殺を考えた彼女だが、

「生きていれば、それなりに報われることがある。」

というヴァインフェルトの言葉を思うだし、自殺を思い留まる。

 ヴァインフェルトはある夜、ロレーナから電話を受ける。

「借りた五千フランを返さないと、とんでもないことになる。」

とロレーナは言う。ヴァインフェルトは現れた男にその金を払ってやる。ロレーナはヴァインフェルトに感謝の言葉を述べ、彼のアパートに行き、ふたりは夜を過ごす。翌朝、ロレーナは、まだ一万二千フランの金を男から借りているとヴァインフェルトに言う。その金もヴァインフェルトは払ってやる。

 いよいよオークションの当日となる。ロレーナもその会場を訪れる。そこでシュトラッサーと会った彼女は、オークションに出品されている「ストーブの前にいる裸の女」の絵が、偽作の方であることを知る。競売が始まる。絵は予定価格の三倍以上の高値で、電話で競売に参加した人物により競り落とされる。それはマスコミの間でも話題になる。

 数日後、ヴァインフェルトは匿名の手紙と、留守電に遺されたメッセージを受け取る。

「あんたの売りに出したのは偽物だ。」

そこにはそんな言葉が示唆されていた・・・

 

 

<感想など>

 

この物語の中心となる画家フェリクス・ヴァロトンと、一九〇〇年に描かれた「ストーブの前にいる裸の女」は実際に存在する。ヴァロットンは十九世紀末から二十世紀初頭にかけて活躍したスイスの画家であり、なかなかソフトな温かいタッチの絵を描いている。この物語では、「ストーブの前にいる裸の女」は個人所有となっている。

オークションハウスの役割、オークションのシステムが述べられており興味深い。私事だが、昔ロンドンのボンドストリートで一年ほど働いていたことがあった。そこに有名な「サザビー」というオークションハウスがあり、昼休みなど、何度かフラリと訪れたことがある。競売のない日は、誰が入ってもよいのである。そこで当時まだ健在だったエリザベス女王の母上にお会いしたことを思い出す。ともかく、私とは縁遠い「ボッシュ」、「ハイソ」な世界であったことを思い出す。この物語でも、ヴァインフェルトは、有り余る金を持つ人物として描かれている。

ロレーナという女性、元モデルで外見は良いが、自殺は企てるは、嘘はつくは、万引きはするは、恐喝はするは、とんでもない女性なのである。「奔放」という言葉を、大きく通り越している。しかし、彼女が「悪人」でないことを、ズーターは実に丁寧に描きこんでいる。そして、読んでいる誰もが、最後、ヴァインフェルトとロレーナが和解し、理解し合い、愛し合うことを分かっている。その辺り、意外性という点ではちょっと物足りない。しかし、いつもながら、ページ数と言い、構成と言い、過不足なくきれいにまとめられている。本当にマルティン・ズーターという人は、一種の職人だと思う。

アドリアンは裕福で名門のヴァインフェルト家の一人息子である。両親は既に亡くなり、独身で子供もいない。「最後のヴァインフェルト」の意味は、彼が名門の家系の最後の人物であることを意味している。この題名を見たとき、ジェイムス・フェニモア・クーパーの「Der letzte Mohikaner(モヒカン族の最期)」を思い出した。作者はこの有名な小説の題名を絶対に意識していると思う。どうしてヴァインフェルトが独身で、子供がいないかは、彼の若い頃に知り合ったダフネという英国人の女性のエピソードで説明されている。

ヴァインフェルトは、「毎日同じことをする」ことを大切にする人物である。毎日パジャマを着替え、どの日にはどのパジャマを着るのか、それが決まっており、決してその規則を破ろうとしない。「毎日同じことをしている方が、時間がゆっくりと発つ」というのがその理由。僕は毎日に色々違うことをした方が時間の発つのが遅く感じられると信じていた。ヴァインフェルトの言葉に少し考えさせられた。

ともかく、きれいにまとまり、抵抗感なく読み進められる作品であった。

 

201310月) 

 

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