「死の罠」

作者:Anders Roslund & Börge Hellström

(アンデシュ・ルースルンド、ベリエ・ヘルストレム、スウェーデン)

原題:Edward Finningans Upprättelse「エドヴァルド・フィニガンの矯正」

ドイツ語題:Todes Falle「死の罠」

2006

 

<はじめに>

 

 マンケルのヴァランダー・シリーズ、シューバルとヴァールーのマルティン・ベック・シリーズに次ぐ、スウェーデン警察小説。スウェーデンの小説は、余り民族色が強くないので、万人に読みやすく、受け入れやすい気がする。

 

<ストーリー>

 

物語は米国のオハイオと、スウェーデンのストックホルムにおいて並行して進む。

七年前。冬。オハイオ、マーカスヴィル刑務所、死刑囚を収容する棟「デス・ロウ」の中で、ジョン・メイヤー・フライは朝を迎える。彼は死刑判決を受けてから、もう十年近く、「デス・ロウ」に収容されている。今日もひとり、隣の房の囚人が、死刑執行を受けるために、連れ去られて行った。立会人として、刑務所をエドヴァルド・フィニガンが訪れる。彼は、ジョンの房の前で、

「今度はお前の番だ。」

と叫ぶ。看守長のヴァーノン・エリクセンはその光景を複雑な思いで見ていた。

 

 七年後。スウェーデン。正確に言うと、スウェーデン、フィンランド間を通うフェリーの船上。ホールでは乗客がダンスに興じ、舞台ではバンドが演奏をしている。舞台の上で歌うジョン・シュヴァルツの視線はホールの中の二人に注がれていた。ひとりは若い女性。彼はその女性にかつて愛したエリザベスと、現在の妻のヘレナの面影を見つける。もうひとりは酔っ払いのフィンランド人。酔っ払いは執拗に女性に付きまとい、下半身を女性に押し付けている。ジョンは舞台を降り、男に殴りかかる。そして、倒れた男の顔を踏みつける。

 フェリーがストックホルムに着く。船内での騒動の様子は警備員から警察に通報され、岸壁では警察が待機していた。ジョン・シュヴァルツは、乗客に紛れて下船し、警察の目を眩まして、妻と幼い息子の待つ自宅へと向かう。

 ストックホルム警察の警視エヴェルト・グレーンスは、仕事中も歌手、シヴ・マルムクヴィストの六十年代のヒット曲を大きな音で聴いている。彼は毎週、アニーの居る病院に彼女の見舞いに出かける。アニーは二十五年前の事故で植物人間状態になっていた。グレーンスが、警察署の廊下に出ると、ソファに酒の臭いをさせ、耳から血を流した男が横たわっていた。グレーンスは、その傷の重大さを直感し、部下に男を病院に運び、その男に危害を加えた人物を逮捕するように命じる。部下のマリアナ・ヘルマンソンとスヴェン・スンドクヴィストは、ジョン・シュヴァルツの家に向かい、彼を逮捕する。

 米国、オハイオ。知事の補佐官を勤めるエドヴァルド・フィニガンは、十八年前の事件を今でも忘れられずにいた。彼と妻アリスの一人娘、エリザベスは、十七歳のとき、自室で射殺された。そして、ボーフレンドのジョン・メイヤー・フライが容疑者として逮捕される。ジョンの精液がエリザベスの体内から見つかり、彼の指紋が多数彼女の部屋から発見されたからである。ジョンは死刑判決を受ける。彼は十年間マーカスヴィル刑務所の「デス・ロウ」で暮らした後、死刑執行の直前に心臓病で死亡していた。フィニガンは、ジョンに死刑が執行できなかったこと、娘の復讐ができなかったことを、七年経った今も、悔しく思っていた。

 ジョン・シュヴァルツはカナダのパスポートを持っていた。しかし、そのパスポートは偽造されたものであることが分かる。エヴェルト・グレーンスは、男の身元を、国際警察機構、インターポールに問い合わせる。その問い合わせのファックスがワシントンに到着。写真の顔に見覚えのある警察官がいた。その警察官は自分の目を疑う。その写真の男は、七年前に「死亡した」死刑囚、ジョン・メイヤー・フライであった。彼はそのことをFBIに連絡する。FBIの調査官サットンは、ジョン・メイヤー・フライの故郷であり、彼の過ごした刑務所のある場所でもあるマーカスヴィルに急ぐ。サットンはジョンの父、ルーベン・フライを訪れる。サットンは、父親が何か秘密を握っていると直感する。

 

 舞台は再び七年前に遡る。ルーベン・フライは看守長のヴァーノンと共に、オハイオ州の首都コロンバスに向かう車の中にいた。彼らはコロンバスの病院で数人の医者と会う。その医者たちは、死刑制度廃止を訴える組織の活動家たちであった。ルーベンとヴァーノンは医者たちにジョンの冤罪を訴える。医者たちは協力を約束する。彼らは、ジョンを死刑房から救い出す計画を立てる。

 

 死亡したはずの死刑囚が、国外脱出を果たし、スウェーデンで生きていたことは、オハイオ州の州政府へも報告される。威信を傷つけられた州政府は、スウェーデン外務省に対して、速やかにジョンの引渡しを要求する。ストックホルム警察のグレーンスは、担当検察官のオゲスタムを通じて、捜査の中止を命じられる。

 しかし、グレーンスはそう簡単に操作を中止することができなかった。彼は、米国から送られてきた、ジョンのエリザベス・フィニガン殺害の状況と、ジョンの逮捕の状況、裁判の経過を既に読んでいた。グレーンスはジョンが余りにも希薄な証拠で有罪となり、死刑判決を受けたことに驚く。

 グレーンスは、ジョンの妻へレナを警察に招き、ジョンに対して、妻に真相の全てを語るようにと諭す。ジョンは、妻と、グレーンス、検察官オゲスタム、ヘルマンソンとスンドクヴィストの前で、彼の過去を語りだす。グレーンスはジョンの話を聞き、彼の無罪を信じ始める。

 一方、エドヴァルド・フィニガンは、自分の娘を殺したジョンが、まだ生きていること聞いて狂喜する。今度こそ、娘の復讐が果たせると。彼は、上院議員と、ワシントンポストの新聞記者に働きかけ、ジョンの即時引渡しをスウェーデン政府に要請するように画策する。

 スウェーデン政府にも悩みがあった。EUと米国相互間の取り決めによると、米国で罪を犯した者がEU国内で逮捕された場合は、速やかに米国に引き渡されることになっていた。その者が米国で死刑になる場合を例外として。スウェーデン政府の高官は、米国との友好関係と、取り決めの間で悩む。その結果、ジョンを、スウェーデンに入国する前に経由したロシアに送り返すことに決定する。ロシアから米国に送還される可能性は極めて高いが、ともかく、スウェーデンは死刑になると分かっている人物を、直接米国に送り返さなかったということでメンツが立つ。

 ジョンのロシアへの送還は、グレーンスに命じられた。グレーンスは、自分が無罪と信じる人物を、殺されために送り出さなくてはならなくなる・・・

 

<感想など>

 

 いくら死刑制度のある州でも、十七歳の少年が死刑判決を受けてしまったという設定に、不自然さを感じた。しかも、証拠が、被害者の体内に残された精液と、被害者の部屋に残された指紋だけであるという。ジョンは殺されたエリザベスのボーイフレンドであったのだから、それらは当然の帰結である。作者の方でも、その辺りが問題になることを意識してか、「何故ジョンが死刑判決を受けたか」という点の説明には、かなりのページを割いている。

 まず、過去にジョンの素行に問題があり、二度少年鑑別所に送られていること。次に、被害者は土地の権力者の娘で、事件を迷宮入りさせることは、州の警察、検察の沽券に関わること。また、オハイオ州の陪審員は、死刑制度に反対する者が最初から排除されていることなど。しかし、十七歳という年齢と、初犯であることを考えると、どう考えても、この設定には無理があるような気がする。

 

 ストーリーの前半の興味は、死刑囚のジョンがどのようにして、処刑を免れ、スウェーデンに逃げおおせたかという点であろう。そして、後半の興味は、強行にジョンの引渡しを要求してくる米国政府に対して、スウェーデン側がどのように対応するかという点。二つとも、結構意外な結末が待っていた。

 

 これまで死刑制度の不条理さと、その廃止を訴えることを目的に書かれた小説を何度か読んだこともある。その意味では、この小説も、死刑制度に対する不条理を訴えていると言ってよい。グレーンスの部下、スヴェン・スンドクヴィストは、ジョンの送還が決まってから、心の晴れない時間を送っている。幼い息子の前でも、ジョンのことをつい考えてしまう。以下はスヴェンとその会話である。

「彼(ジョン)は別の国に住んでいるんだ。USAっていうんだけど知ってるかい。そこには誰かを殺したと思われる人がいっぱいいる。それで、誰かを殺したら、その人間も殺されてしまうんだ。」

彼は息子に死刑制度についてそう説明する。

「その人間を殺してもいいって、誰が決めるの。誰かが決めなくてはいけなくない。」

「裁判所、そして裁判官。知ってるだろ、裁判所。テレビで見たことあるだろ。」

「裁判所、裁判官、それって人間なの。」

「もちろん、普通の人間だ。」

「じゃあ、裁判所と裁判官を誰が殺すの。」

「誰も殺しはしない。」

「でも、人を殺したら殺されなくてはいけないなら、その裁判所と裁判官も殺されなくてはいけないじゃない。そうじゃないパパ。どうもよく分からないよ。」

「人が人を殺す権利があるのか」という点を、単純ながら鋭く突いている会話である。

 

 主人公と言ってよいのだろうか、警視エヴェルト・グレーンス、不思議な人物である。

警察官になって既に三十四年というから、五十代も半ばの人物であろう。とにかく、家に帰りたがらない。何日間も、警察署の自分の部屋のソファで眠ることを厭わない男である。食生活も滅茶苦茶で、警察署の自動販売機で買ったジャンクフードとコーヒーで命を繋いでいる。夜中、早朝を構わず、部下や上司に電話をかけまくる。上司には平気で盾を突く。と言っても、仕事人間というわけではなく、勤務時間中にカセットレコーダーから大音量でシヴ・マルムクヴィストの六十年代のヒット曲を聴いている。聞いているだけではない、時々踊っている。

 彼も過去を引きずって生きている。二十五年前に事故で、最愛のアニーを植物人間状態にして、そのアニーを週に一度訪れることを最大の喜びとしている。詳しくは述べられていないが、二十五年前の事故は、彼の責任、過失によるものらしい。

 彼は最近、マルメーの警察署から引き抜いたマリアナ・ヘルマンソンを部下にした。ヘルマンソンは、何故グレーンスが自分をわざわざ遠くから呼び寄せて部下にしたのかを疑問に思っている。その理由は、どうやらヘルマンソンがアニーに似ているということらしい。

 かなりよく似た設定であるにもかかわらず、不思議なことにエヴェルト・グレーンスとクルト・ヴァランダー(同じくスウェーデンの作家、ヘニング・マンケルの警察小説の主人公)は重ならない。何故か全く異質の人物のように思えてくる。ヴァランダーは良くも悪くも直情径行型の人物であるが、グレーンスは陰にこもる、かなり屈折した人物のように思える。考えてみると、ヴァランダーはポピュラー音楽ではなく、オペラのファンであった。複雑で、多面的で、一筋縄でいかないグレーンスの性格が、この物語に不思議なリアリティーを与えてくれている。

 

 また、十七歳で死刑判決を受けた、ジョンの人物描写、心理描写もなかなか説得力がある。特に喋りすぎないところが良い。この手の小説は、突然登場人物が聞かれてもいないのに、どんどん喋りだすことが多いのであるが、それが抑えられており、小説のリアリティーに対して一役買っている。

 それに対して、部下のマリアナ・ヘルマンソンはかなり類型的な人物で、少しがっかりする。どうして、この手の警察小説には、若くて、美しくて、聡明で、しかもやり手の女性刑事が登場するのであろうか。映画化されたときに、若い女性が登場しないと、客が取れないからであろうか。

 

 推理小説と社会小説のミックスと言うことでは、考えさせられる点もあり、かなり成功している作品であると思う。

 

20088月)

 

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