走り終わって

 

 午前十一時半、走り終わった僕は、預けた荷物を受け取り、ミシガン湖畔、バッキンガム噴水の近くの芝生の上に寝転がった。タイムを考えると悔しい。正直、自分ではもっと速く走れると思っていた。しかし、初めての海外遠征、出張続きの後だ。おまけに、わずか二日の時差調整。自分に最高のパーフォーマンスを期待するのは、無理だったのかも知れない。たとえ一分でも、自分の人生の中で一番速く走れたことに、満足すべきかも知れない。僕はシカゴの青い空と白い雲を見上げながらそう思った。

その時、僕の横で、悲鳴をあげた人がいた。見ると、走り終わったお兄ちゃんが足に痙攣を起こし苦しんでいた。彼はガールフレンドらしき若い女性に、処置を指示しているが、ガールフレンドはこれまで痙攣を起こしたランナーの手当てをした経験がないらしく、(普通の人は誰もそうだが)おろおろしている。僕は、そのお兄ちゃんの靴を脱がせ、痙攣を抑えるストレッチを幾つか施してあげた。

「息を吐いて、力を抜いて、はい、二十秒間このままの姿勢、どう楽になった。」

僕が尋ねると、

「うん、とっても楽になった。」

と彼は答えた。

「グッド・ボーイ。」

「サンキュー、ドクター。」

もちろん冗談。

二時半の「メトラ」に乗るために、僕は駅へ向かって歩き出した。途中何回か足に痙攣が起こり、道端にしゃがみ込む。見上げると、シカゴ交響楽団の旗が道の両側にかかっている。「ダニエル・バレンボイム指揮」。彼って、確か早世した天才チェリスト、ジャクリーン・デュ・プレの旦那だったよな。僕はふくらはぎを伸ばしながらそんなことを考えた。

Nさんの家に戻ると、Nさんはアストロズ対ブレーブスの野球の中継を見ていた。風呂から上がった僕は、Nさんに、今日は早起きしてもらったし、晩飯は僕が奢りますよと言った。ふたりとも結構空腹だったので、じゃあ、野球が終わったら、近くの日本料理店に食いに行こうという事に決まった。しかし、野球はなかなか終わらなかった。球史に残る延長十八回。アストロズのマウンドにロジャー・クレメンスが登場した。もう後に誰も投手はいない。劇的なサヨナラホームラン。アストロズの勝利で幕を閉じた時には、既に七時近かった。

僕とNさんは、僕が最初の夜を過ごした日本料理店に行った。大将も、女将さんも、僕の顔を見るなり、マラソンはどうでした、と聞いた。

「何とか、最後まで走りましたよ。」

僕は答えた。その会話を聞いた店にいる日本人客の軽い尊敬を背中に感じながら、僕とNさんは大いに飲んで食った。

 

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