美術館と黒澤明

 

 レース翌日の月曜日、夜九時半の飛行機に乗ることになっていた。午前中は洗濯に精を出した。ベッドのシーツやらタオルやら、昨日の汚れ物などを洗濯機と乾燥機に放り込んだ。

 昼前に、またメトラでダウンタウンに出てみた。マラソンのスタートのすぐ傍に、「アート・インスティテュート・オブ・シカゴ」つまりシカゴ美術館があるのだが、前日そこを通りかかったとき、ロートレックの特別展をやっているのを知った。ダニエル・バレンボイムは無理でも、ロートレックに会っていくのも悪くはないなと思った。

 電車を降りて、マディソン通りの売店で新聞「シカゴ・トリビューン」を買う。中に「シカゴマラソン特集」のページがあった。最初がスタートする群集の写真、その後トップランナーの結果、そして、全完走者の名前が載っていた。ちなみに完走者は約三万二千人、僕は四千百八十九位であるという。僕の後ろにまだ二万七千人もいたと思うと、少し慰めにはなる。

 美術館へ行ってみたが、ロートレック特別展の当日券は売り切れ、常設展のみ入場可ということ。この美術館、前にも一度来たことがあるが、フランス印象派のコレクションが充実している。モネとかマネとかセザンヌとかスーラとか。それをまた見るものいいかなと思い、僕は七ドルを払って中に入った。確かに、絵画は最高だった。しかし、それを見る僕の足が最悪だった。昨日無理をしたせいで、筋肉痛がひどいのだが、おまけに踵まで痛くなってきた。僕は一時間ほどで外に出て、ベンチの上で足をマッサージした。「マラソンの翌日は美術館巡りに向いていない。」僕はそう思った。

 昼過ぎに、メトラでまたNさんの家に戻る。Nさんは黒澤明のDVDをたくさん持っている。僕は冷蔵庫からビールを出し、それを飲みながら、そのDVDを見始めた。僕が到着する前、Nさんの台所の冷蔵庫の中はビールでぎっしりだったのだが、この四日間ですっかり空になってしまった。最初に見たのが「虎の尾を踏む男たち」。ふーん、有名なエノケンと大河内伝次郎ってこんな演技をするのか。次に見たのが「素晴らしき日曜日」。ニッセイのおばちゃん、中北千枝子さんの若い頃。両方とも面白かった。五十年以上前の作品だが、少しも古さを感じない。シカゴ美術館の絵にしろ、芸術は時代を超越するのだと改めて思った次第。「マラソンの翌日は映画鑑賞には向いている。」

 Nさんが帰宅。軽く食事をした後、Nさんが、オヘア空港まで送ってくれた。お礼を言って、四日間お世話になったNさんと別れる。チェックインを済ませて、ラウンジに入る。ヤンキーズ対エンゼルスの試合をやっている。ヤンキーズは負けている。今日負けたらアウトだ。松井選手がバッターボックスに立ったが内野ゴロ。そんなシーンを見ながら、僕は眠ってしまった。気がつくと九時。出発の二十五分前だ。僕は慌てて搭乗口に向かい、飛行機に乗り込んだ。隣の席のオレゴン出身という青年と言葉を交わす。「オレゴン」ってどこだっけと考え、結論が出ないままに僕はまた眠ってしまった。 (了)

 

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