ポヨ子さんの手記、再び村へ
延々四時間トラックを待つ。右がトーマス。
その日の午後、わたしは「ドミ」から、もうひとりのボランティア、ハルミさんの家に移った。リツコさんは、引き続き教会のコンベンションのお手伝いをするため、午後に村へ戻って行った。会話療法士として働いておられるハルミさんは、わたしがソロモン諸島で出合ったなかでも一二を争う親切な人だった。そして、きれい好きな人だった。彼女の家では、全てが完璧に整頓され、片付いている。わたしは同じようにいつもきれいに片付いている金沢の祖母の家を思い出した。
ハルミさんの家での二日間、わたしは本を読んだり、眠ったり、洗濯をしたり、リラックスして過ごした。一度、サヤカさんという日本大使館にお勤めの女性が来られてお話をした。(ホニアラは一応首都なので、「大使館」があるのだ。)ハルミさんの家で、わたしは、自分の中に力が回復してくるのを感じた。
月曜日、わたしはちょうど町に出てきていたホストファーザーのトーマスと、タケオさんという日本人の男性と村へ戻った。タケオさんは、かつてJICAのボランティアとして、リツコさんと一緒にパラグアイで働いていたとのこと。今は日本にいる彼は、一週間の休暇を利用してソロモンに来ていた。(自分の四週間の日程でもハードだと思うのに、一週間でソロモンと日本を往復するなんて、ちょっと信じられない。)タケオさんは、彼はわたしと同じ村に二晩滞在することになっていた。わたしたちは四時間待った後、トラックに乗ることが出来た。まずベラハに着き、そこから歩いて村に戻った。
村に戻った翌日から、またわたしは学校で教え始めた。いくつかのクラスでは、わたしは手応えを感じ始めたが、いくつかのクラスでは、わたしが生徒たちに何を求めているのか、何をしてほしいのか、彼らはそれさえも分かっていないのではと思えるくらいの状態だった。
わたしは「フォーム二」のクラスとは、結構良い関係を築きつつあった。おそらく彼らは十五歳から十七歳の間で、わたしと同じような年齢だったからだと思う。十三歳から十五歳の生徒の集まる「フォーム一」では、生徒との関係もまだまだという感じだった。でも、今考えてみると、皆チャーミングでフレンドリーで、いつも微笑んでいて、ときどきクスクスと笑って、気持ちの良い子供たちだったと思うが。
最初に不思議に思ったことは、どの生徒も最初わたしが話しかけると、当惑の表情を浮かべることだった。わたしがひとりの生徒に、手助けをしようとして話しかけても、その生徒はクスクス笑い、わたしの注意を逸らそうとするのだ。しかし、次第に彼らの心理が分かってきた。
わたしは英国では女子校に通っている。従って、他の共学校の女子生徒のように、男の子が周りにいることに慣れていない。たまに、男の子がわたしの許容範囲以内に侵入してきて、話しかけられたりすると、わたしは、日本人の先生に話しかけられたソロモンの生徒と似たような反応をすると思う。要は慣れていないのだ。
リツコさんと、日本から一週間でソロモン往復を果たしたタケオさん。