ポヨ子さんの手記、男の子たち
自分より年上の男子生徒たちと。
英国で、たまに同年代の男の子と話すと感じるのだが、十代後半においては、女性の方がはるかに精神的に成熟している、つまり「大人」であると。それに対して男の子は、良く言えば「無邪気」、悪く言えば「ガキ」だと思う。同じ印象をソロモンでも持った。最初にベティヴァツ学校に来て、わたしより頭ひとつ以上大きく、いかつい顔をして、頭の毛がモジャモジャの、二十ン歳の「男子生徒」を見たとき、わたしは正直恐怖心を覚えた。そのうち、彼らが全く無邪気な存在であることが分かってくるのだけれど。
「国際文化交流」の一環で、日本の学校に送るために撮ったビデオがあった。そのビデオをわたしはリツコさんに見せてもらった。生徒たちは、自分の好きなこと、毎日の生活、将来の夢をカメラに向かって話している。男の子は皆、ちょっと困惑した表情に照れ笑いを浮かべながら話を始め、時々言葉に詰まりながらトツトツと話をし、最後は恥ずかしそうに微笑んで話を終わっていた。誰も乱暴な言葉を使わない。誰もが学校教育がいかに自分の役に立っているかについて述べていた。そのビデオを見たとき、わたしは男の子たちの別の一面を見たような気がした。
男の子たちに比べて、女の子は、成熟していて、もっと自分に自信を持っているように思えた。そしてよく働く。村の広場で男の子たちがサッカーに興じている間も、女の子たちは水汲みに行ったり、料理を作るのを手伝ったり、小さい弟や妹たちの子守をしている。
ともかく、ソロモン諸島を訪れて、一番良かったことは、わたしの「人を見る眼」、人間を観察する力が育ったことだ。そして、ソロモンの人たちは、わたしがこれまで出会った中で、一番フレンドリーな人々だった。
学校で教える以外、村での生活も、わたしはエンジョイしていた。電灯がないので、夜は九時には眠り、朝は七時に起きていた。不思議なもので、そんな環境にいると、身体のリズムが順応し、毎日九時間とか、十時間とか眠れるのだ。わたしは川で身体を洗ったり、洗濯をするのも苦にならなかったし、川で泳ぐのは何より気持ちがよかった。わたしは、ホストマザーのメアリーが料理を作っている間、台所になっている小屋の中で彼女と過ごすのも好きだった。外に目を向けると、男の子たちが、黄色いテニスボールを蹴っ飛ばしてサッカーをしていた。どこの国でも、男の子のすることは同じなのだ。特に暑い日、わたしたちは外で昼食を取った。昼食の後、わたしは一番年下のトシの相手をして遊んだ。
わたしには、村のシンプルな暮らしが気に入っていた。無邪気な子供たちに囲まれて過ごすのは特に幸せな気分だった。トーマスは時々、仕事をしていて現金収入のあった頃は、ガソリンが買え、発電機が回せたし、物質的にもっと豊かな生活をしていたのに、とわたしにこぼした。正直言うと、わたしは村にはこのままであってほしい。変わってほしくない。例えば、将来ガスコンロが使えるようになることにより、若い世代が火の起こし方を忘れてしまうのは寂しい気がする。しかし、何もかもが揃っている「文明」の中からやってきたわたしがそんなことを言うのは、間違っているかもしれないが。とても難しい。
女の子たちは、小さい兄弟の子守をしている。