「蝿と永遠」
ホカン・ネッサー Håkan Nesser
原題:Flugan och evigheten
ドイツ語題:Die Fliege und die Ewigkeit
1999年
<はじめに>
ホカン・ネッサーという作家を初めて読んだ。まず、舞台がどこの国か見当をつけるのに戸惑いながら。しかし、最後に、どこの国でもないことが分かった。それでいて、このリアリティーは何なのだろう。話がちょっと哲学的過ぎて、ついていけないなと思いつつも、この作家の作品をまた読んでみようと思うほど、十分な感触を得た。
<ストーリー>
メーテンスは三十七歳、市の図書館で司書をしている。彼は殺人罪で十四年間の刑を務めた後、この町に住むようになっていた。一月の終り、霧に包まれた陰鬱な日、彼のアパートの電話が鳴る。彼は受話器を取る。電話の相手は無言である。電話を切る。再び電話が鳴る。無言。そんなことが三度繰り返された。メーテンスは電話の向こうの人物が誰であるか察しがついていた。
メーテンスは孤独な暮らしを続けていた。趣味と言えば、刑務所の中で会ったイタリア人、ランゴブリーニに教えられた、古今の文学の名作を書写することか。メーテンスにはビルテという女性がいた。彼らはメーテンスがまだ刑務所にいるときに結婚した。出所してから、二人は一緒に暮らし始めるが、何故か彼が刑務所にいる時のようにはうまくいかなくて、ふたりは別れる。しかし、まだ時々肉体関係を持つ仲である。ビルテはメーテンスの書写した文学を、彼自身の作であると信じている。ビルテは新しい男友達が出来て、結婚を前提に付き合いだしたので、メーテンスとの関係を終わりたいと言ってきていた。
彼は、唯一の友人と言ってよい、チェス仲間のベルナルドと、彼の車に相乗りして通勤している。毎金曜日に、彼らは行きつけの食堂、フレディーの店でチェスに興じていた。サッカーが好きで、自分の上司、マリー・ルイゼ・ケンプに恋心を抱く、お喋りのベルナルドを、メーテンスは時には鬱陶しく思うこともあった。
メーテンスは乳首のところに「しこり」ができているのを感じていた。ビルテもそれに気づき、医者に行くように勧める。図書館に勤めるメーテンスは、自分で医学書を調べ、それが悪性のガンであることを知る。
ビルテに別れ話を切り出されたその日から、メーテンスは日記を付け始める。数日後、彼は新聞記事で、哲学者であり大学教授でもある、トマス・ボルクマンの死を知る。雨の降る土曜日、メーテンスはボルクマンの葬儀の営まれる教会に向かう。出来るだけ目立たないように教会に入ったメーテンスは、ボルクマンの未亡人マルレーネと視線が会う。メーテンスが殺人罪に問われたのは、このマルレーネの父親を殺したためであった。
葬儀の席で、ひとりの若い女性がメーテンスの目に留まる。メーテンスは葬儀の後、彼女の後を追い、呼び止める。ナディアと名乗るその若い女性は、自分は死んだボルクマンとは何の関係も無いこと、彼女の趣味は「人間を観察すること」、葬儀はその絶好の場であるため、時々無関係な葬儀に参列していると述べる。メーテンスは彼女と話しながら、彼女に好意を持ち始める。また、彼は、三度の無言電話の主が、ボルクマンであることを確信する。
葬儀の数日後、ボルクマンの未亡人、マルレーネがメーテンスの職場、市立図書館に現れる。マルレーネは昼休みにメーテンスを誘い、外に出る。マルレーネはメーテンスを「レオン」と呼ぶ。彼は刑務所を出る際、名前を変えていたのであった。彼女は、亡くなった夫の遺言について述べる。それは、メーテンスが一週間マルネーネの家に滞在し、ボルクマンの残した書籍の中で、気に入ったものを持ち帰るという、奇妙なものだった。メーテンスは承諾し、数日後列車で海辺の町にあるボルクマンの家へと向かう。メーテンスは刑務所での一年間について一冊ずつ、計十四冊の本を選んで持ち帰ろうと考えていた。
メーテンスはボルクマンの家に着く。ボルクマンは亡くなる前、包みをひとつメーテンス宛に残していた。その包みを開くと、中からふたつのサイコロが出てきた。それは、各々一と六の目しか出ない、イカサマのサイコロであった。
マルレーネと二人きりの暮らし、それは不思議なものであった。マルレーネと暮らすうちに、メーテンスは、過去に起こった出来事を、彼女に打ち明けていく。
レオン・デルマス(メーテンスの本名)は、古い城壁で囲まれた街、グロテンブルクの大学で哲学を専攻していた。レオンの家は貧しかったが、裕福な叔父の遺言により、彼は叔父の遺産で大学に進むことができた。彼は三年間の大学生活を終え、一年を残すだけになっていた。季節は夏。大部分の学生が帰省してしまう中、レオンは下宿に残り、毎日哲学書を読むことに没頭していた。
ある夏の夜、彼はトマス・ボルクマンと知り合う。トマスは司教の息子で、他の大学で三年間を過ごした後、最終学年を過ごすためにグロテンブルクに来たばかりであった。知り合った夜、二人はワインを飲む。ワイングラスの中にいたアブに舌を刺されて苦しむレオンを、トマスは病院へ連れて行く。そして、病室でふたりは一夜を明かす。その夜をきっかけに、ふたりは親友となる。
学期が始まる。トマスは学部で常に話題の中心となり、リーダーシップを発揮する。トマスは「我々と蝿」という文章を発表し話題を集める。ふたりは親友であると同時に、良きライバルとして卒業試験に向けて準備を進める。
最終学年の担当は、ホックシュタイン教授。彼は、学部で絶対的な権力を持ち、学生からも他の教官からも恐れられている存在であった。卒業後、大学に残り、研究職に就くには、ホックシュタインによる推薦が不可欠であった。そして、その推薦を得るには、卒業試験で、一番の成績をとること、それも高得点をマークすることが必要であった。
復活祭の休暇を、ふたりはトマスの郷里で過ごす。グロテンブルクに戻り、あるレストランを訪れたふたりは、二人連れの女性と会い、同席をする。トマスとレオンの両方とも、ふたりのうちマルレーネという名の女性に恋心を抱く。マルレーネは何と、ホックシュタインの娘であった。全てに対してそつのないトマスは、積極的に、かつ効果的にマルレーネにアタックしていく。レオンは彼女に好意を抱きながらも、引いてしまう。
卒業試験もいよいよ近づいたとき、トマスはホックシュタインの屋敷に侵入し、試験問題を前もって知ることを提案する。トマスは、マルレーネを通じで、教授の屋敷の内情を熟知していた。また、前もって、下見をして、試験問題がどこに隠されているかも知っていた。
ふたりは屋敷に侵入する。しかし、外出しているはずのホックシュタインが突然帰宅し、ふたりは見つかってしまう。ホックシュタインは明朝、ふたりを大学の査問委員会にかけると告げる。消沈して家路に向かうふたり。そこで、トマスはレオンに、ホックシュタインを今晩のうちに殺してしまうことを持ちかける・・・
<感想など>
読み始めて最初に思ったこと、舞台はどこ? グロテンブルク(トマスとレオンの通っていた大学のある町)、ヴュルガウ(トマスの故郷)という地名が出てくるので、思わず「グーグル」で検索をしてみた。グロテンブルク、何となくドイツ語の響きがするが、そのような名前の町はドイツにない。ヴュルガウというのはスイスで発見した。そこで、どうやらこの小説に出てくる町は架空のものであることが分かってきた。
では、どこの国?もちろん、作者がスウェーデン人であるので、舞台はスウェーデンであることを前提に読み進んだ。ん?しかし、どこか違う。次に、登場人物や土地の社会的な背景を考えると、ドイツではないかと思った。しかし、土地、人物の名前等が、ドイツ語とぴったりこない。例えばトマスは「Tomas」と書かれているが、ドイツ語では「Thomas」が一般的である。話も最後に近づいていて、「舞台は架空の国の架空の町」であるとの結論に達した。
「ロード・オブ・ザ・リングス」は作者トールキンの考えだした、架空の土地を舞台にしている。現実に存在しない土地を舞台にすることにより、読者に距離感を感じさせるという犠牲を払いながらも、非現実的な物語にリアリティーを与えるということに成功している。しかし、ネッサーは、架空の土地を使いながらも、読者に距離感を感じさせないのだ。反対に、それは、誰もが(と言ってもヨーロッパに住んでいる人だけであろうが)距離感なく、物語と接していくことに役立っている。不思議な作風であると言わざるを得ない。
タイトルの「蝿と永遠」は、トマスが学生の頃に書いた、「我々と蝿」という論文によるものである。ご丁寧にも、一章を割いて、その論文の全文が紹介されている。さすがにこれを読むのは、なかなか骨が折れる。
論文は、自分と机の上に留まっている蝿が対峙しているところから始まる。筆者、トマス・ボルクマンは蝿と我々は同等の存在であろうかという疑問を持つ。人間に個性があり、その個性により人間が識別できるように、蝿にも個性があるのだろうか。ブーンと群れなして飛んでいる蝿にも、よくよく見ると人間と同じような個性は存在するのだろうか。プラトンは、「程度の高い者ほど個別化が進む」と述べているがそれは本当なのであろうか。そのような論議が十ページに渡り延々と進められていく。
もちろん、作者がこの論文の全文を載せたのにはそれなりの意味があるのだろう。よくよく読み込めば、この論文の内容と、物語の接点が見つけられるのかも知れない。しかし、いくら哲学科の学生が主人公とは言え、ここまで哲学的になるには、少しやりすぎのような気がする。他の書評を読んでも、「哲学臭が過ぎる」という意見が多かった。
トマスは考えてみればとんでもない輩である。本来は共犯であるはずなのに、殺人犯で起訴された親友を見殺しにし刑務所に送り、ふたりともが好意を抱いていた女性を独占し、自分は大学に残り、教授としての人生を送ってきた。しかし、不思議とトマスが加害者で、メーテンス、つまりレオンが被害者であるという感じがしない。どちらかと言うと、残りの人生を「自分は裏切り者」と常に考えながら過ごしたトマスよりも、刑務所で罪を償ったメーテンスの方が、安らかに人生を送ったように思えてくる。
トマスの妻のマルレーネは、徐々に真実を知るに至る。そして、彼女が最後にとる行動はショッキングであるが、この物語の結末にふさわしいものであった。
トマスがメーテンスに残したイカサマのサイコロ。これが、トマスの性格と、彼自身の自責の念を端的に語っている。
「観察する女」、ナディアの存在が、イマイチよく分からない。ビルテが、メーテンスの書写した「戦争と平和」を読んで感動し、出版を勧めるところは出色である。
(2008年12月)