ある狂女の死(The Marshall and the
Madwoman / Tod einer Verrückten)
(1988年)
八月のフィレンツェ。多くの住人が海岸や山に避暑に出かける。シャッターを下ろした店が並び、会社も、官庁も、正常に機能しない季節である。ガルナシアは巨体から汗を吹き出させながら歩き回り、妻のテレサはどの店も閉まっているため、食料品の調達に苦労をしている。ただ、彼らのふたりの息子たちは、故郷のシチリアに帰っており、久々に夫婦水入らずの生活を楽しむことができる季節でもある。うんざりするくらいの暑さを除けば。
ガルナシアが妻に運転の練習をさせているうちに、ある街角で人だかりに出くわす。ガルナシアが車を降りて行ってみると、あるアパートの上階で、裸体にボタンがとれた上っ張りを羽織っただけの中年の女性が、隣人と罵り合いをしていた。仲裁に入ろうとしたガルナシアは、隣人の夫から顔に一発ゲンコツを食らってしまう。
騒ぎは間もなく収まり、そのアパートの前にあるバーで手当てを受けたガルナシアは、そこの主人フランコから話を聞く。喧嘩をしていた半裸の女性はクレメンティーナという名前で、気が狂っており、毎日夕方になると箒を持って通りに出て、あちこちを掃除して回るという、その界隈の名物女であることを知る。(彼が騒ぎに関わっているうちに、車とともに路上に取り残されたテレサは、交通渋滞を引き起こしているのであるが。)
数日後、ある休日の夕方、彼はバーの亭主フランコから電話を受ける。フランコはクレメンティーナが死体で発見されたことを告げる。ガルナシアは急いで駆けつける。クレメンティーナはガスオーブンの中に頭を突っ込んで死んでいたと言う。
クレメンティーナの死は、表向きは自殺として処理される。
ガルナシアは彼女の部屋を調べる。赤貧洗うが如しという生活ぶりが伺える。ガルナシアは二つの点に不審を抱く。ひとつは彼女の部屋に、写真や手紙等、彼女の過去を示すようなものが一切ないこと、もうひとつは、家屋の賃貸契約書、家賃の受け取り等、アパートの賃貸に関する書類も一切ないことである。
フランコは、クレメンティーナが前日、プロパンガスのボンベにもうガスが残り少なくて料理ができないことをこぼしていたと語る。残り少ないガスで自殺を図るだろうか。ガルナシアの不審は強まる。
果たして、検視の結果、彼女の死因は他殺であった。彼女の部屋に、過去や、住居に関する点を示すものが一切ない。犯人が証拠隠滅のために持ち去ったのではないかと、ガルナシアは推理する。
クレメンティーナの過去、身寄りの捜査は困難を極める。彼女が十年前まで、ある精神病院に収容されていたことが判明し、ガルナシアはその病院に向かう。公には廃止されたが、行き所のない患者を抱え、まだ細々と存続する病院。そこには確かにクレメンティーナのカルテが残っていた。しかし、ガルナシアが一番知りたい、何故、誰によって、彼女が最初病院に連れてこられたかを示す書類は、前日訪れた「身なりのいい中年男」が持ち去っていた。
ガルナシアは、今回の殺人が、殺された狂女の過去と、深く関わっていることを確信する。また、何者かが、おそらく犯人が、彼女の過去を葬り去ろうとしていることも確信する。
今回の背景は「八月」と「地域社会」であろう。
イタリアの八月。働く気力をなくすほど暑く、皆が一斉に休暇をとってしまうため、社会の機能が大幅に低下する季節。諦めの気持ちで、ひたすら「夕立」と「九月」を待ちわびる人の姿がそこにはある。
また、フィレンツェに限って言えば、町の中のひとつの地域が、村のように独立した社会を形成しているようだ。そこには村長とも呼ぶことの出来る「まとめ役」の人間がおり、人々は助け合って生きており、「よそ者」には警戒の目を向ける。バーの亭主フランコは「村長」であり、狂ったクレメンティーナは、人々に助けられて暮らしていた。
助け合いと言えば、捜査を通じて、ガルナシアは殺された狂女の階下に住む、若いロッシ夫妻と知り合う。ひとりの人間だけが住んでよいという契約のアパートに彼らは赤ん坊と三人で住んでおり、それがばれて立ち退きを要求されることを極度に恐れている。ガルナシアはなりゆきで、彼らを助けることになる。
また、捜査で訪れたクレメンティーナが掃除婦をしていた会社で、そこで働く女性からも、相談をもちかけられ、彼女を助ける約束をしてしまう。
たださえ忙しいのに、他人のやっかいごとまで引き受けてしまったガルナシア。最後にはそれが幸いする。貴重な情報提供者が現れるのであるが、彼女がガルナシアに情報を提供しようと思ったきっかけは以下のように語られる。
「『お礼の言いようもないくらいです。』
ガルナシアは情報提供者に感謝する。
『自分のできる最低限のことをしたにすぎませんわ。正直に言います。最初あなたにお電話をするかどうか迷ったのです。でも、そのあとロッシ夫人からの訴えを受け取りました。あなたはただでさえやることが山ほどあるのに、その上にこの若い夫婦を助けようとなさったでしょう。それなのに、もし私がここであなたのお手伝いをしないで、単に自分の仕事だけ型どおりにやっていたとすれば、後で私は自分を恥じるでしょう。』」
「情けは人のためならず」と言う言葉を、しみじみ感じる台詞である。
クレメンティーナの家に侵入した男を捕捉し、彼を尋問するガルナシアに、彼の真骨頂がある。喋らない。黙っていて、相手に喋らすのである。
ガルナシアは拘置所の男を訪ねるが、一言も言葉を発しない。
「男は単純でおそらく感受性が強すぎる性格らしかった。・・・ガルナシアの予期せぬ沈黙に耐え切れなくなって、男が最初に言葉を発した。
『俺はあんたに言うことは何もない。』
『では、口を閉じていればいいではないか。』
ガルナシアは男を見つめたまま言った。
『俺は、言うことは全て言った・・・・』
そんなきっかけで、「単純で感受性の強すぎる男」は語るに落ちてしまうのである。
気の狂った女性の過去が、いろいろな人の証言で、だんだんと暴かれていくという過程に緊張感があり、暴かれていく事実も面白かった。ナブの作品のなかでも上位に入る作品だと思う。
(2006年11月)