「ロゼアンナ」
原題:Roseanna「ロゼアンナ」
ドイツ語題:Die Tote im Götekanal 「イェーテ運河の死体」
1965年
<はじめに>
作者ペール・ヴァールー(Per Wahlöö)は一九二六年スウェーデンのルンドに生まれ、妻のマイ・シューヴァル(Maj Sjöwall)と共に、マルティン・ベック(Martin Beck)シリーズを執筆した。「ロゼアンナ」はその第一作である。一九六五年というから、今から四十年前の作品であるが、読んでいて全く古さを感じさせない。ドイツ語訳で読んだのだが、はきはきした文章と、よく練られたストーリーで、結構楽しめた。同じスウェーデンの作家、ヘニング・マンケルの「クルト・ヴァランダー」シリーズとも共通点があり、マンケルの作品の原点となるべき作品だという印象もした。
<ストーリー>
一九六一年七月、ストックホルムとイェーテボリを結ぶ運河を浚渫(しゅんせつ)している船があった。運河の底に溜まった泥の中から若い女性の死体が発見される。その死体は絞殺されたものであった。ストックホルムからベック、コルベリ、メランダーの三人の刑事が派遣され、地元モタラ市警察のアールベリ等と共に捜査が開始される。
捜査は難航する。死体の身元が確認できないのである。周辺の町だけではなく、スウェーデン全土で、該当するような若い女性が行方不明になったという報告もなく、捜査願いも出されていない。外国人の可能性も考えられるため、海外の警察にも協力が要請される。しかし、何の手掛かりも得られないうちに二ヶ月が経ってしまい、派遣された刑事たちはストックホルムに戻る。
死体の発見から二ヵ月後、思わぬところから死体の身元が判明する。それはアメリカ・ネブラスカ州警察の警部カフカからの届いた電報であった。そこには、死体はおそらく、ネブラスカに住む図書館司書、ロゼアンナ・マクグロー、二十七歳のものであると記されていた。
ロゼアンナ・マクグローは当時ヨーロッパを旅行中であり、友人に、ストックホルムより「これからスウェーデンの運河を通って旅行を続ける」と書かれた絵葉書を出していた。そして、その後消息を絶っていた。彼女は、ストックホルムから、運河を通ってイェーテボリに向かう船に乗り、その途中に何者かに殺され、運河に投げ込まれたものと推理された。
ベックと彼のチームは、ロゼアンナが乗っていた船を特定して、その乗務員、乗客、合計八十五人のリストを作り、その身元を特定する作業に入る。しかし、乗客の中には外国人観光客も多く、身元の確認は難航する。犯人らしき人物を特定できないまま、更に数ヶ月が過ぎる。
年が改まり、誰もが事件の迷宮入りを考え始めたとき、ふたつのきっかけから、捜査がようやく進展を見せ始める。
ひとつは、アメリカのカフカ警部の送ってきた、ロゼアンナの女友達と、元ボーイフレンドの証言である。その証言により、殺されたロゼアンナの意外な性格が明らかになる。
もうひとつは、外国人観光客が多いという事は、船中で撮られた写真が多いはず、その写真に何か手掛かりが写っているかも知れないという、ベックの思いつきである。ベックとそのチームは、当時の乗客に、船中で撮った写真の提供を呼びかかる。世界各国から沢山の写真が届く。果たして手掛かりは、写真の中で発見されるのであろうか。
<感想など>
結論から言って、大変面白く読めた。ミステリーの古典と言われるだけあって、よく出来ている。一九六五年の発表であるが、少しも古さを感じさせない。
多くのミステリーが、なかなか緊張感に満ちた始まり方をしながら、尻すぼみになっていく傾向が強い中で、この小説は、逆に静かな冒頭ではあるが、最後まで緊張を持続させている。特に、最後に犯人を逮捕するために、ベックと彼のチームの打つ大芝居、その緊迫感は何とも言えない。
主人公、マルティン・ベックは、仕事熱心ではあるが、出世コースから外れてしまっている中年男。家庭では、妻や子供たちから、既に粗大ごみ扱いを受けている。仕方なく、彼は家で模型の船を作る事に熱中している。季節の変わり目には必ず風邪を引くが、絶対に仕事を休まない、さえない、しかし、一徹な人物である。
事件の解決は、ベック独りの腕というよりは、彼のチームワークの勝利であると言える。彼のチームにはなかなか多彩な人物が揃っている。
コルベリ:いつもシニカルな冗談を言う。仕事中にクリップで鎖を作っていたりする。
メランダー:ソーセージと水で生きていると言われる節約家。
アールベリ:モタラの刑事。苦労人で好感の持てる人物。
ルンドベリ:指名手配の男を偶然発見し、絶妙の尾行をする。
しかし、今回の最大の功労者は、アメリカ・ネブラスカ州のカフカ警部であろう。彼は、殺された女性の身元を発見し、的確な人物を尋問する。彼の送ってくる情報が、スウェーデンでの捜査の、最大の推進力となるのである。
ベックは一度カフカの電話を受けるが、その場面は笑いを誘う。英語の会話はそのまま英語で書かれている。犯人はまだ捕まっていないのかというカフカの問に対して、ベックは、
‘In
a short time, I hope, not yet.’
と答える。ベックの下手な英語と、回線の悪さから、カフカは誤解して、
‘Yeah,
I hear, you shot the bastard.’
つまり、ベックが犯人を撃ち殺したと思い込む。ベックは、その誤解を必死で解こうとするが、そのときに電話が切れてしまう。それを傍で聞いていたコルベリが、
「やけに怒鳴っていたな。もう少しで、電話なしでもアメリカまで聞こえるところだったぜ。」
と言う。これは、電話でも大声で話す人物に対して、私も何回か使った皮肉である。
ベックは、捜査が全然進展しないときに、自分にこう言い聞かせる。これが、いわばベックの信条ともいえるべきものであろう。
「マルティン・ベックは自分の身を正した。もし彼が事件解決の希望を捨ててしまったら、事件全体が引き出しに入ったまま日の目を見る事ができなくなってしまうのだ。警察官として持つべき、三つの大切な特徴を自分が持っている事を忘れてはいけない。それは、粘り強いこと、論理的に考えること、そして落ち着くことだ。(47ページ)」
ベックは同僚のコルベリと、正しい推理を導き出すために、一人が考えられる限りの可能性を出し、もうひとりがそれに対してコメントを加えていくという、一種のゲームをやる。(121ページ)これは、マンケルの小説の中でも、ヴァランダーが女性の同僚、アン・ブリットを相手によく用いられる手法である。これは、警察では結構ポピュラーな方法なのだと、興味深かった。
結果的に、ロゼアンナの女性としては奔放な性格が、彼女の運命を変えてしまうことになるのである。今では当たり前の性格が、当時は珍しかったのである。そこに初めて、四十年の間の、世相と人々の物の考え方の変化を感じた次第。
とにかく、面白かったので、しばらく、シューヴァルとヴァールーの、「マルティン・ベック」シリーズを追いかけてみることにする。
(2005年3月)