合掌造り
つづれ折りの道を下って、島の南側へ向かう。時々車を停めて、山の方を見上げる。先ほどまでいた山の頂上が、時にははっきりと見え、時には雲に隠れている。一度海岸近くまで降り、それからまた山をひとつ越え、昼過ぎに目的のサンタナという村に着いた。
村の入り口に二等辺三角形の家が見えた。これが、この辺りの名物らしい。三角形の鋭角の屋根は、白川郷や五箇山の合掌造りの建物を思い出させる。しかしながら、こちらは幅が数メートル、高さも五、六メートル。規模的には日本の合掌造りと比べると格段に小さい。しかし、私はこれを「マデイラの合掌造り」と呼ぶことにした。大きさの他に、日本の合掌造りがモノトーンであるのに対して、こちらの合掌造りは、白、青、赤のペンキで彩られているという違いもある。
村の真ん中に、観光客用に解放された、数軒の「合掌造り」の家があった。妻が一軒の家に入り、中の観光案内所の人と話をしている。日本人と言うことで、珍しがられているようである。これまでヨーロッパの色々な所で休暇を過ごした。その中には、スコットランド、フランスのブルターニュ、スペインのコスタ・デル・ソル、北アフリカのチュニジアなど、日本人には余り馴染みのない場所もあった。それでも、どこかで一度は日本からの観光客に出会った。しかし、マデイラに来て以来、他の日本人には一度も会っていない。ここでは、土地の人たちも、日本人と言うと無邪気な興味を示す。こんな土地がまだヨーロッパにあったのかと思う。(マデイラをヨーロッパと呼ぶには異論があると思うけれど。)
サンタナを出て、フンシャルに帰る道として、私は北の海岸線に沿ってサオ・ビンチェンテまで走り、そこから昨日も通った南北接続トンネルを通ることにした。その辺りが、首都のフンシャルから距離的に一番離れていて、マデイラの中でも一番辺鄙な場所のような気がしたからだ。
果たして私の予感は当たっていた。そこからはたまに小さな部落があるだけ。切り立った崖と、岬と湾に沿っての曲がりくねった道であった。一生懸命自然の地形に沿って道をつけたけれど「もう限界」という感じで時々短いトンネルがあった。しかし、そのトンネルも単に岩を掘っただけ。内側をセメントで固めてあるわけではない。ボコボコとした壁から、ポタポタと水が滴っている。
「これをマデイラでは天然の洗車施設と言うんだって。」
と妻が観光案内書を紐解きながら言った。
運転していて、私はその日の午後の景色が一番気に入った。観光客向けの飾りの全てを取り去った、この島本来の景色を見たような気がした。
「パパあれ見て。」
とポヨ子が叫んだ。見るとある一軒の民家の屋根に、数十個のカボチャが乗っていた。干してあるのだろうか。しかし何のために?車を停めて写真を撮っていると、後から来た数台の観光客の車が同じように停車して、人々が屋根のカボチャ写真を撮りだした。