ドイツ語で読むシェークスピア

「ジュリアス・シーザー」

 

<はじめに>

 

名作だと思う。第三幕のアントニウスの演説は圧巻。しかし、難を言うなら、クライマックスが早く来すぎて、後半がどうも退屈であった。

 

<ストーリー>

 

第一幕

 

 カエサルが凱旋してきたローマ。カッシウスはじめとする、民衆の支持と権力がカエサルに集中することを恐れる人々は、カエサルの暗殺を企てている。彼らは人望の厚いブルートゥスを仲間に引き入れようとしているが、慎重なブルートゥスはなかなか彼らに加味しない。

 カエサルは民衆の前で、アントニウスにより三度王冠を捧げられ、三度拒否をする。

 

第二幕

 

 その夜、ローマは火が降ったり、墓が開き亡者がうろついたり、ライオンが往来に出没するなど、怪奇現象が起こる。

 カッシウスと彼の同調者は、深夜ブルートゥスの屋敷を訪れ、明朝に計画されているカエサル暗殺に加わるように説得する。ブルートゥスもついにそれに同意をする。

 一方、カエサルの屋敷。占い師と、カエサルが殺される夢を見たその妻は、カエサルにその日は元老院に行かないように勧める。カエサルも一度は登院を思いとどまる。しかし、カッシウスの遣いのものに、暗に臆病者と揶揄され、意を翻し、元老院へ向かうことにする。

 

第三幕

 

 カッシウスたちの企みに気づいた、アルテミドルスは、カエサルに警告の手紙を書き、それを元老院に向かうカエサルに渡そうとするが、カエサルは受け取らない。

 元老院に到着したカエサル。カッシウスたちは、ポンペイウスの銅像の前で、カエサルを襲い刺し殺す。信頼していたブルートゥスまでが自分を襲ってくるのを見て、

「ブルートゥス、おまえもか。」

という言葉を残し。カエサルは息絶える。

 ブルートゥスは、ローマ市民たちに、自分たちの行いの正当性を訴える演説をしようとする。アントニウスが、カエサルを追悼する演説を続いて行いたいと言ったとき、カッシウスは反対するが、ブルートゥスはそれを認めてしまう。

 「カエサルの暗殺は、私憤によるものではなく、ローマを愛するが故に行った行為である。」とのブルートゥスの訴えに、一度は市民たちも納得する。しかし、次に演壇に立ったアントニウスは一枚上であった。アントニウスは、表向きはブルートゥスを持ち上げながら、巧みに市民を扇動する。最後に市民たちはブルートゥス、カッシウスを反逆者と叫び、暴徒と化す。そして、ブルートゥスらを殺すために彼らの屋敷に向かう。ブルートゥスはほうほうの態でローマから逃げ出す。

 

第四幕

 

 シーザーの暗殺を知り、急遽ローマへ戻ったオクタヴィウス(カエサルの甥で養子、後の初代ローマ皇帝アウグストゥス)は、アントニウスと会う。ふたりは、シーザーを暗殺した輩を徹底的に追跡し、殺害することで同意する。

 一方、逃亡中のブルートゥスは、カッシウスと会う。カッシウスはブルートゥスの優柔不断をなじり、ブルートゥスはカッシウスの目的の為には手段を選ばない態度をなじる。ふたりは剣を取る寸前まで行くが、最後は和解する。

 

第五幕

 

 数年後、ブルートゥスとカッシウスに、アントニウスとオクタヴィウスの軍勢が迫る。ブルートゥスはカッシウスの提案を蹴り、フィリッピの平原で、堂々と戦うことを主張する。

 ブルートゥスとカッシウスは、一度はアントニウスとオクタヴィウスとの会談に臨むが決裂し、戦いの火蓋が切られる。いよいよ敵に追い詰められたブルートゥスは自殺をする。

 戦いの跡で、アントニウスとオクタヴィウスは、ブルートゥスの人柄を偲ぶ。

 

 

<感想など>

 

 英語では「ジュリアス・シーザー」であるが、一応、ドイツ語で読んだということで、ドイツ語式に「ユリウス・カエサル」と表記させていただく。以下、「ブルータス/ブルートゥス」、「キャシャス/カッシウス」、「アントニー/アントニウス」も同様。

 

この戯曲の題は「ジュリアス・シーザー」だが、主人公はユリウス・カエサルでは決してない(と私は思う)。舞台は大部分がカエサルの死の前日と当日であり、エピローグとして、数年後の出来事が語られる。そして、初めから終わりまで登場するのが、ブルートゥス、カッシウス、アントニウスの三人。登場頻度、台詞の数から言っても、主人公はブルートゥスであろう。最初から最後まで登場するだけではなく、彼の性格が事細かに語られる。その意味では、カエサルは脇役である。前半に登場するだけで、読んだだけでは、カエサルの性格がいまひとつ分からない。もうひとり重大な役割を果たす、副主人公を挙げるならば、カエサルの死後、有名な演説をするアントニウスか。

 

では、「主人公」のブルートゥスについて。

カッシウスとその仲間に誘われて、カエサル暗殺に加わってしまう。しかし、ブルートゥスは大義名分を大切にする男である。そこが手段の為には目的を選ばないカッシウスとは根本的に違う。

先ず暗殺の前、ブルートゥス、アントニウスも一緒に殺してしまえというカッシウスの提案に反対する。また暗殺の後、カッシウスの反対を押し切って、アントニウスにも演説の機会を与えてしまう。その結果、アントニウスに先導された市民たちによって、ローマを追われる運命を辿ることになるのであるが。

ブルートゥスは考えようによっては、詰めが甘い、この上もなくお人好しな人物とも言えよう。現実主義者のカッシウスの言う通りに行動していれば、彼らの目的は果たせたかもしれないのである。

しかし、シェークスピアは、極めて好意的にブルートゥスを描いている。決して反逆者の頭領としてではなく、他人に利用され、歴史に飲み込まれた男として。

アントニウスは演説の中で、

Brutus ist ein ehrenhafter Mann.

「ブルートゥス君は、人格高潔の士であります。」

と繰り返す。それは、百パーセント皮肉ではないと思われる。ブルートゥスは市民たちの意識の中でも、きっと「人格高潔の士」であったのである。その人望ゆえに、カッシウスも、彼にどうしても暗殺計画に参加してもらわざるを得なかったのであろう。

 塩野七生さんの「ローマ人の物語」を読んで、当時の社会情勢を知りえた。団体による民主主義、ローマの共和制は、その限界に来ていたのである。誰が初代の王、皇帝になるかというだけで、専制君主制度が始まる機は熟していた。共和制の崩壊は、時間の問題であったのである。(事実、カエサルは王にはならなかったが、彼の養子、オクタヴィウスが帝位につくことになる。)

ブルートゥスは、共和制を守るために戦った。そして、力尽きた。そういう意味では、この戯曲、時代の流れに対して、最後まで抵抗した男たちの物語と言うことができる。

 

幕切れで、アントニウスは、ブルートゥスの死骸を前に、以下のように呟く。

Dies war der edelste Römer von ihnen allen. Alle Verschwöreraußer ihm alleintaten, was sie taten, aus Neid auf den großen Caesar. Er allein schloß sich ihnen an mit ehrenhaften Absichten für die Allgemeinheit und besorgt um das gemeinsame Wohl aller. Sein Leben war edelmütig – und die Elemente in ihm so gemischt, daß die Natur sich erheben und der ganzen Welt sageb konnte: “Dies war ein Mann!”.

「彼(ブルートゥス)は、カエサルを殺した仲間の中でただひとりの高貴なローマ人であった。彼を除いた他の者たちは、偉大なカエサルに対する単なる妬みから事に及んだ。ひとり彼だけが、全体に対する高邁な意図を持ち、民衆の幸福を考えていた。彼の生涯は、勇気に満ちていた。彼の中の人格にはと自然さえ立ち上がり、『彼こそ真の男である』と世界中に言わしめるものがあった。」

これが、シェークスピアの最終的に下した、ブルートゥスへの評価でもあると思う。

 

この物語の最大の山場は、カエサルの暗殺後、ブルートゥスとアントニウスが行う演説である。ブルートゥスの演説は見事である。彼は、カエサル暗殺の正当性を一度は市民に納得させてしまう。

Wenn dann dieser Freund fragen sollte, warum sich Brutus gegen Caesar erhob, so ist dies meine Antwort: nicht weil ich Caesar weniger liebte, sondern weil ich Rom mehr liebte.

「なぜ私がカエサルに反抗したのかと人に問われれば私はこう答える。カエサルを愛していなかったのではなく、ローマももっと愛していたからだと。」

彼の論点は、自分がローマとその共和制を愛するが故に、それを守ろうとしたが故に、愛するカエサルにも死んでもらねばならなかったと言うことであろうか。

しかし、後に演壇に立った、アントニウスは、演者として、ブルートゥスよりも一枚役者が上であった。彼ら、数十分前にブルートゥスに心酔していた市民たちを、ブルートゥスを追うものに変えてしまう。彼のレトリックは現代でも十分に通じる。現代の政治家の中には、このアントニウスの演説を分析、研究した人が、少なからずいると思う。

ともかく、第三幕のこの演説の応酬は、面白い。しかし、それが面白いだけに、第四幕、第五幕が、なんとなく「おまけ」みたいで、読んでいて「だれて」しまった。第三幕で、終わっても、十分通用する話である。

 

「ブルータス、おまえもか!」

余りにも有名な台詞である。

Et tu, Brute?

フランス語である。英語の原文を見ても同じくフランス語。ここでフランス語を使ったときの効果、ニュアンスが、日本人にはなかなか理解し難い。しかし、英国人は、ちょっと気取ったとき、おどけたときに「セ・ラ・ヴィ(それが人生というものさ)」などと、フランス語を混ぜる。カエサルの最後の言葉が、そのちょっと「気取った言い回し」であるのも、非常に興味深い。

 

 シェークスピアの戯曲は、例えそれが「ハムレット」などの悲劇でも、「笑わせる要素」があり、思わず笑ってしまう台詞があちこちに散りばめられている。しかし、この物語にはそれが少ない。いや、ない。

敢えて挙げるならば、冒頭の、カエサルの行列を着飾って見に行く民衆を、役人たちが制止する場面。どうして、祭日でもないのに、仕事を放り出して出歩いているのかと問われたひとり市民が、

「私は靴屋。皆の靴の底が減って、商売が繁盛するように。」

と答えるシーン。それ以外は思いつかない。

 

20069月)

 

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