地獄八景亡者戯聞き比べ − 閻魔の出御
亡者たちは閻魔の庁の奥深いところに入ってきます。もう私語をするものはなく、ゾロゾロと足音だけが聞こえ、遠くの方から、罪人を責める音がかすかに聞こえてきます。
「暗がりにキラキラ光っているのは浄玻璃の鏡。見る目嗅ぐ鼻。善悪の首。罪の重さを調べる秤。紙の橋。舌を抜く釘抜き。血のついた大ノコギリ。ぞっとするような責め道具が並んでおります。」
まず、浄玻璃の鏡、これは閻魔の横に置かれており、亡者の生前の所行を映し出すものらしいですね。次に、見る目嗅ぐ鼻、これは「閻魔の庁にある男女の頭を乗せた幢(はたほこ=法会などで寺の庭に立てる小さい旗を先につけたほこ)。男(見目)は凝視し、女(嗅鼻)は嗅ぐ相を示す。これによって、亡者の善悪を判断するといわれる」なのだそうです。善悪の首、これは、見る目嗅ぐ鼻と同じというのが一般的な解釈です。紙の橋。文我はヘビー級の同僚の米平を、米朝は反対に弟子の文我と桂春蝶、相撲取りの小錦を使って説明しています。亡者たちは紙で作った橋を渡らされ、罪のあるものは体重には関係なく下へ落ち、罪の無いものはどんなに重くても渡り切れるそうです。
さて、一同が平伏しているところで、地獄の主人公、閻魔大王が威厳を持たして出てまいります。閻魔は、それはそれは怖い顔をして、唐服というのを身にまとい、「王」というマークの入った冠をかぶり、手には「笏(しゃく)」と言うものを持っています。
「閻魔の出御(しゅつぎょ)、下に居ろう。」
という声とともに、五人の演者とも、そのときの「閻魔の顔」を演じています。CDでは、どんな顔をしていたのか、本当なら分からないところですが、幸い、五人が五人ともCDのカバーにその顔を載せています。と言うことは、この顔こそ、この落語のクライマックスと言うことなのでしょうね。写真だけではなく、CDに入っている拍手喝采でも、どんなに「怖い」顔なのかは想像がつくというものです。米朝は、
「これやると、顔がしばらく元に戻りまへんのやが・・・」
と言って、二度笑わせています。閻魔大王は、鬼に尋ねます。
「本日の亡者、その数いかほどじゃ。」
「その数は、・・・もじゃもじゃと参っております。」
と鬼が答えます。吉朝は、すかさずそこで、「笑点」は三遊亭円楽の雰囲気で一言。
「座布団をやれ。」
閻魔は帳面を調べます。浄瑠璃の好きな家主に引き止められて「中受け」となっている亡者がいます。これ、枝雀が言っているのですが、何のパロディーなのでしょうね。落語の「寝床」でしょうか。家主の浄瑠璃の会を欠席する口実に、長屋の連中は死人が出たことにします。しかし、家主がごねたので、死人が生き返ったことにするというエピソードでした。また、死後、腎臓、肝臓などを提供し、「腎抜け」「肝抜け」となっている亡者がいて、閻魔は「世の中が進むと、帳面がややこしくなって困る」と嘆きます。