地獄八景亡者の戯れ聞き比べ − 物語について
テレビ版の枕で、枝雀はこの物語をついて以下のように紹介しています。
「地獄を舞台にしていると言っても、別段怖い噺ではございません。上方落語独特の『旅ネタ』でございますね。旅の先が地獄になっただけのことでございます。」
上方落語には、「東の旅」、それに「西の旅」などの旅ネタがあります。旅先の土地土地で起こる色々な出来事を順々に扱った、いわゆるリレー落語、シリーズ落語、チクルス落語とでも申せましょうか。「地獄八景」は、「旅ネタ」のひとつなんですね。例えば「東の旅」は伊勢参りを扱った一連の「旅ネタ」です。
私事ながら、小学生の頃、京都の小学校の修学旅行と言うと、ほぼ九十九パーセント「お伊勢さん」でした。しかし、私の小学校だけは少し臍曲がり、いや進歩的で、修学旅行は「中部、東海」でした。それで、私は伊勢に修学旅行に行き、名物赤福餅を「ええじゃないか」と両親と親戚の土産に買うという、当時の京都の小学生なら誰でもする経験ができなかったわけです。
特に信心深い私でもありませんので、そのままいくと、一生伊勢神宮にお参りしないで死んでしまうところでしたが、大学の時、陸上競技をやっていた私は、一度だけ、全日本大学駅伝(名古屋の熱田神宮から、伊勢神宮まで)に参加できて、何とか伊勢の地に足を踏み入れることができたのでした。(駅伝の結果?断トツでビリでした。)
ともかく、日本人でも、「お伊勢さん」を見ないで死ぬ人は大勢いるでしょう。しかし、誰もが必ず一度はするのが、冥土への旅。しかもそこから帰ってきた人は誰もいません。従って、どんな旅だか分からない。そこに、想像力を働かせる余地が大いにあるのでしょうね。
この噺の主人公は・・・そんなもの、この噺にはないのです。「ここにございます我々同様という、いたって気楽な男」が乗っけに出てきます。彼は知り合いからもらった鯖を食べ、それに当たって死ぬのですが、その男の出てくるのはホンの最初だけ。次から次へと新しい登場人物が現れ、絵巻物のように、オムニバス風に話が展開していきます。
最初は死人がとぼとぼと歩く冥土へと続く道です。そこで鯖に当たって死んだ男が知り合いの隠居と出会い、色々と話をします。「冥土ツアー」を試みた金持ちの若旦那の率いる、陽気な一団も通り過ぎます。
次は三途の川の渡船場、ここでは昔いたと伝えられる脱衣婆のその後のエピソードが語られます。亡者たちはそれから、渡し舟に乗り込みます。鬼の船頭と亡者の間で、船賃の応対が行われます。
三途の川の向こう岸に着いた亡者たちは、六道の辻の「観光案内所」で地獄の冥土についての案内を受けます。それから亡者たちは念仏を買い求め、閻魔の庁へと向かいます。
閻魔の庁での「お裁き」の結果、四人の亡者、医者、山伏、軽業師、歯抜き師の四人だけが地獄行きとなります。地獄で四人の亡者は、熱湯の釜、針の山、人呑鬼(人を食べてしまう怖い鬼)などのお仕置きを受けることになります。四人の亡者の運命やいかに・・・
以上が、ごくごくざっくりとした粗筋です。