噂の彼女

 

金沢市、中央公園「緑の朝市」にて。

 

十月十八日。土曜日。午前一時ごろに目が覚めたが、幸い三時から七時ごろまでまた眠れた。日本へ帰ると、「時差ボケの中、いかに睡眠時間を確保するか」がいつも僕の関心事となる。今日は、午後、金沢へ向かうことになっている。朝食後、俳句の会があるとかで、母は外出、僕は父に頼まれた仕事、食堂に電気温熱絨毯を敷いたり、クーラーに埃よけのカバーをかけたりして午前中を過ごす。本来冬支度の作業なのだが、気温は二十度をはるかに超えている中では、どうもしっくり来ない。しかし、手足が冷えるとかで、父は、毛糸のパッチと毛糸の靴下をはき、毛糸の手袋までしていた。

時差ボケの調整には、軽い運動がよいかと思い、十時ごろから近所の温水プールで三十分ほど軽く泳ぐ。身体を動かすとすっきりする。

 

十三時四十分の「雷鳥」に乗るために、昼ごはんを食べている父を尻目に家を出る。バスと地下鉄を乗り継ぎ京都駅へ。京都駅の北陸線ゼロ番ホームの陽だまりで、ミドリに絵葉書を書きながら列車を待っている。汗が出て本当に夏のような気分になってくる。

雷鳥二十三号に乗る。この列車は土曜日と日曜日しか運転されない。僕がこの列車を選んだのには理由がある。行楽シーズンの土曜日、関西から北陸へ向かう列車は混むのだが、不定期列車というのは、結構空いているものなのだ。事実列車は空席が多い。それと、この列車は金沢止まり。これだと、時差ボケの人間が眠り込んでしまった場合、「サンダーバード」のように、目を覚ますと富山や和倉温泉だったなどという心配がない。

 

金沢駅で義父母の出迎えを受け、義父の運転で実家へ向かう。今夜は「サプライズ」があると義母が言った。甥(妻の妹の息子)のカッチのガールフレンドと一緒に、レストランで食事をする計画が立てられているとのこと。若いお姉ちゃんと一緒に食事ができるなんて、中年のおっさんにとっては願ってもない幸せだ。

妻の実家に着いて、仏壇の前で、ちょうど一周忌を迎えた祖母に手を合わせる。この辺り、義父母の前で、「正しい旦那さん」を意識しての行動なのだ。

 

六時過ぎに、甥のカッチが車で迎えにきてくれた。彼は今年の春高校を卒業して、小松の会社で働きだしている。高校時代から付き合っている、なかなか可愛いと評判のガールフレンドがいることは知っていたが、少なくともうちのロンドン家族の中で彼女に会った者はいない。彼女は今短大生で、週末は家の近くの松任のうどん屋でアルバイトをしているという。今日はそのうどん屋での会食が計画されていた。もちろん、彼女の仕事時間が終わってからだ。

カッチの運転で松任に向かう。これから会うお嬢さんの名前、義父母からは「ユカちゃん」と聞かされていた。

「お名前はユカちゃんやったよね。」

と念のためカッチに確認。

「違うぞいね。ユウカ、『優しい』ちゅう字に、華麗の『華』で「優華」。ばあちゃん、名前くらいおじちゃんに正しく教えといてよ。あ、曲がるの忘れた。」

カーナビを付けていたのに彼は道を曲がり忘れた。

「じいちゃんとばあちゃんが要らんことを言うからやぞいね。」

彼はブツクサ言いながら、カーナビの軌道修正を試みている。

 

噂のユウカさんとは、うどん屋の前の駐車場でお会いした。小柄な娘さんだ。うどん屋は立派な門構え、中はお座敷形式になっており、各テーブルについているガスで、うどんを炊きながら食べるようになっていた。ユウカさんは、遠慮しすぎるでもなし、なかなか自然な感じで話せる、気の張らない娘さんだった。来年成人式、うちの真ん中のミドリと同い年だと考えると少し不思議な気がする。これから余程のことがない限り、彼らは結婚することになると思う。僕は本当に若いときに結婚相手を決めることに肯定的である。若い頃に結婚すると、夫婦がまるで兄弟のようになってしまう。それはそれで悪くない。

天ぷら鍋を注文したが、讃岐うどんは「むっちり」めで、天ぷらもカラッしていて悪くない。しかし、僕は、ひとつのミスを後悔していた。カメラは持ってきたものの、バッテリーが入っていなかったのだ。金沢に着いたとき、カメラのバッテリーが「もうぼちぼち危ないですよ」印を示していた。僕はバッテリーを取り出し、チャージャーにはめ込んで、そのまま、カメラだけを持ってきてしまったのだ。カッチのガールフレンドに会ったのに、写真も撮ってこなかったとなると、ロンドンに戻ったとき、スミレあたりから大いに責められそう。

 うどん屋を出て、ユウカさんは彼女の車に乗り、僕と義父母はカッチの車に乗り、しばらく前後して走る。彼女の車のナンバープレートがカッチの誕生日で、カッチの車のナンバーが彼女の誕生日であることをその時知った。

 

翌日、十月十九日の朝、義母とふたりで金沢の街中に出てみる。天気の良い日曜日。二十一世紀美術館というのが、昔の金沢大学付属学校の跡に出来ており、そこの大原美術館展というのを覗いてみることにした。野球好きの父は、家でレイズ対レッドソックス戦を見ていた。前日、レッドソックスが七対ゼロから大逆転をしたので、今日は見逃せない一戦だとのこと。

 美術展は、ムンク、ユトリロ、マネ等の有名画家を網羅しながら、結構質の良い絵が揃っていて、コレクター大原氏の趣味の良さをうかがい知ることができた。金沢大学、市役所、県庁、警察署は郊外に移転し、街中には広いスペースが作られていた。そこの一部で、野菜、鉢植えなどを売る「緑の朝市」みたいなものをやっている。

 

二時過ぎに、実家に戻ると、家の前に、カッチの白いワンボックスカーが停まっているのが目に入った。よく見ると、振袖姿のユウカさんとカッチが家の前に立っている。「前撮り」というらしいのだが、成人式の着物をその前に写真撮影のために一日貸してくれて、着付けまでしてくれるそうだ。紫の着物のユウカさんは美しかった。カッチも隣で得意そう。今日はカメラにバッテリーが入っている。僕らはユウカさんを中心に、色々な組み合わせで、何枚も写真を撮った。

 

カッチとユウカ。

 

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