何となく寂しい旅立ち
下宿人のノラ子さん(左、あ、書かないでも分かるか)と。
二〇〇八年十月十六日僕はロンドンを発ち日本に向かった。
朝六時に家を出て、妻が車でヒースロー空港へ送って行ってくれることになっていた。僕は五時前に起きて、ギリギリまで翻訳の仕事をする。六時直前に「着床前受精卵診断をめぐる倫理的議論」の論文の最後のページに日本語の要旨をつけて、依頼者のイズミにEメールで送り、ホッとした気分で車に乗った。もー、前日までにやっておけば良いのに。子供にはそれを言うのだが、自分ではなかなかできしまへんわ。
一年に一度しか日本へ帰国しないのが常なのだが、今回は秋にもう一度帰ることにした。それは父に会うため。八月に父が入院した。退院してきた後も体調は優れないよう。入院で足が弱り、余り動けなくなり、行動にも制約が多くなり、精神的にも参っているみたいだし。毎週電話はするのだが、八月の退院直後は、父も母も、
「電話で話す心の余裕もおまへん。」
てな感じだった。
それで、八月の時点で、僕はもう一度日本に戻ることに決め、飛行機の切符を手配することにした。ただ、そこは宮仕えの悲しさ、仕事の都合もあり帰国は十月になってからになった。その間、父の容態がどう転ぶかは運を天に任せるしかなかった。
しかし、特に暑かった日本の夏も終わり、(ロンドンの夏は涼しく、最高気温が二十八度であった、そんなん「夏」て言えんるんやろか)京都の気温も下がるにつけ、父も少し食欲が増したらしい。寝たきりになる危険からは脱して、杖を突きながらも歩けるようになり、僕は少し明るい気分で日本に向かうことができる、はずだった。
それが、なんでんねん。出発の数日前、阪神タイガースが、十三ゲーム差をひっくりかえされ、巨人に優勝を許した。これに勝る屈辱が世の中におまっしゃろか。オマー・シャリフ級のショック。僕は優勝決定の夜にはロンドンの阪神ファンが集まって「六甲おろし」を歌いましょうという新聞広告まで、薄給の中から自腹で出していたのに。仕事に一切の私情は挟まない「コンピューター界のゴルゴ・サーティーン」と呼ばれているこの僕も、さすがに巨人に優勝を持っていかれた日には仕事に力が入らず、窓の外を眺めながら悔し涙を流して過ごしたのであった。
九月の前半、僕は主にドイツで働いた。ドイツの同僚がひとり病に倒れたので、ドイツのアベ監督とオイカワ・コーチが、僕をそのピンチヒッターとして指名、十日間ほどメンヒェングラードバッハという町で働くことになったのだ。日曜日、アーヘンという町の近くにある病院に、病気になった同僚を見舞った。心を病んだ彼女との会話は、心にズシッと負担のかかるものであった。その話を延々と五時間も僕は聞いていた。翌日、そのことを同僚に言うと、「おまえ、よう我慢した」という賞賛の声をいただいた。
九月の半ば、ドイツの出張から戻ると、ノラという、ネコみたいな名前の二十三歳のドイツ人のお姉ちゃんが家に下宿していた。妻のドイツ人の友人の娘さんである。金髪でなかなか色っぽい、きれいな女性。そんな女性と一つ屋根の下に暮らしているのは悪い気ではなかった。そのノラ子さんも、数日前にドイツへ帰ってしまった。
「ノラがいないと寂しいね。」
と末娘のスミレに言うと、彼女はジロッとこちらを見て、
「ノラが美人だったからでしょ。」
と言った。完全に見抜かれている。
本当に今年の夏は色々あった、ということで、もうひとつ書いてしまおう。
僕にピアノを教えてくれているドイツ人のピアニスト、ヴァレンティン・シーデマイヤー氏は最近ガンが見つかり、放射線療法を受けている。彼は二ヶ月前、三人の子供を連れて奥さんに逃げられているので、今年はまさに、彼にとって踏んだり蹴ったりの夏であった。一週間に一度、彼の家でレッスンを受けた後、ふたりで一時間ぐらい話し込むことが多くなった。と言うか、彼の愚痴をドイツ語で聞いているのだが。
秋になり、新しいシーズンが始まり、彼もコンサートツアーの準備をしなくてはいけない。彼は、多くの聴衆の前で弾く前に、少数の人たちの前でプログラムを一通り弾いてみたいと言う。それで、僕は自分のレッスンの前や後に、彼のコンサートピースを聞く役割を担うことになった。世界的なピアニストの演奏をたった独りで聴くのは、贅沢な気分でっせ。しかし、僕のような素人相手に弾いて、ホンマに練習になるのかなと思う。素人だから、気軽に弾けて、かえってよいのかしら。
月曜日、レッスンの後で、二週間日本へ帰るからレッスンを休むからと伝えた。彼は、少し寂しそうな顔をして、
「お父さんのこともあり大変だと思うけど、たまには、のんびりしおいでよ」
と言って、僕の肩を抱いた。僕も彼の方を抱いた。放射線療法のせいなのか、心労のせいなのか、彼はここ数ヶ月で細くなったようだ。
今年の夏は色々あった。日本でもまた色々あるだろう。ともかく、話は空港に戻る。妻と別れ、チェックインを済ませ、義弟へのプレゼントの定番「シングルモルト」のスコッチウィスキーを買う。飛行機はフランクフルト経由のルフトハンザ機だ。ヴァレンティンの言葉を思い出し、音楽でも聴いてリラックスしようと、僕はルフトハンザのラウンジに行き、ソファに座って桂吉弥の落語を聴いた。
ロンドン発、フランクフルト行は定時に出発。フランクフルトは雨だった。僕は飛行機が水しぶきを上げながら発着していくのをラウンジの窓から見ていた。フランクフルトから関空行きの便も定時に出発した。ラウンジにあった只のシャンペンを飲みすぎたせいか、父愛用の強力睡眠剤を早めに飲みすぎたせいか、飛行機に乗ると睡魔に襲われ、飛行機が離陸する前に眠ってしまった。気がつくと、乗務員のお姉さんたちが食事を配っているところだ。グースカ八兵衛をきめこんでいた僕の前には、当然食事が置いてない。
「おーい。おいらも食べるからね。忘れんと持ってきてね。」
僕は慌ててドイツ語でお姉さんに頼んだ。間もなく食事のトレーが僕の前にも置かれた。
フランクフルトは雨だった。