毛布の行方
今宮神社御旅所、祭りの最中だと言うのに、父と僕しかいなかった。
京都に滞在中は毎日父を訪れていた。冬物の衣料を片付けるなど小さな用事をする。それと転ぶと危ないので、なかなか外に出られない父の散歩のお相手。八十八歳になった父の歩くスピードは昨年に比べ、ぐっと遅くなっていた。従って、散歩すると、父に合わせゆっくり歩くことになる。しかし、ゆっくり歩くことにより色々なものが眼に入り、かえって楽しいこともある。しかし、京都西陣の細い道を、車やバイクや自転車までが、かなりのスピードで走っている。父が転ぶことより、道を横断するのに時間が掛かるので、その間に車や自転車にぶつかることの方が心配だ。父はもう咄嗟には避けられない。
今宮神社の御旅所まで散歩した。五月の一週間ほど、今宮神社の神輿が御旅所に安置されている。昔は賑やかで、沢山の露店が並び、見世物小屋まで出ていた。今はたこ焼き屋など、屋台が四件あるだけ。平日の昼はそれも閉まっている。境内には父と僕の他誰もいなかった。
その他の時間は、食堂のソファに並んで腰掛けて、父と話をして過ごした。
父が終戦後の引き上げのときの話をしてくれた。一九四五年八月、中国の上海で終戦を迎えた父は、翌年の三月、米軍の上陸用舟艇に乗って、一昼夜かかり、博多に上陸している。門司まで貨車に乗り、そこから列車で京都に戻った。電報も打てず、手紙も出せなかったので、何の予告も無く母(僕の祖母)の待つ家に着いたという。兄と弟は、フィリピンで戦死していた。父にとっても祖母にとっても、劇的な再会だったろう。
引き上げ船や、列車の中では暖房もなく、ずっと毛布に包まっていたという。
「お父ちゃん、その毛布今どこにあるか知ってる。」
と僕は聞いた。
「知らんなあ。二階の物置にでもあるんやろ。」
と父は言う。
「実は今、ロンドンにあるねん。」
今度は僕が父に説明する番だ。高校生の頃、僕は書道を習っていた。少し上達し、半紙から条幅と言って、畳を縦に半分に切ったくらいの長い紙に書くようになったとき、大きな下敷きが必要になった。古い毛の抜けた毛布が、書道の下敷きには誠に「持って来い」なのだ。
「おとうちゃん。どこぞに捨ててもいいような、古い毛布ない。」
と僕が聞くと、父は、
「わしが軍隊で使っていた毛布がある。」
と言って、それを僕にくれたのだ。僕はその毛布を、今も下敷きとして使っている。ロンドンの補習校に「入学式」や「卒業式」の看板書きをいつも頼まれるのだが、そのときには父の毛布の出番だ。補習校の先生が言った。
「なかなか年季の入った下敷きですね。」
毛布を僕にくれたのはもう四十年も前。記憶力の良い父も、さすがに忘れていたらしい。
これも天神さん。記念撮影をする女性観光客。