石山の石より白し

那谷寺。雨に濡れた苔が美しい。

 

 ホテルのチェックインの時間は午後三時から。そのまま行くと早く着きすぎるので、近くの名跡、那谷寺(なたでら)へ立ち寄ることになった。もともと那谷寺は紅葉で有名な場所。

「今頃行っても、たいしたことないわいね。」

という義父の論点に、僕がまだ言ったことがないという義母の論点が勝ち、立ち寄ることになった。入場料を払い境内に入ったのは、義母、叔母と僕。タクシー運転手時代、それこそ嫌になるほど来ている父は、車の中でテレビでも見ながら待っているという。 

那谷寺は先にも言ったが紅葉の名所。確かにカエデが多い。しかし、新緑の季節もなかなか良かった。連休の後で境内は静かだし、境内を覆う苔が霧雨に濡れ、実にしっとりとした雰囲気を醸し出している。寺には火山活動で出来た「奇岩」があり、その岩の隙間に、石仏が祭られている。岩に刻まれた階段を登って行ったが、雨に濡れた滑りやすい石段を登り、そこへ辿り着くのは至難の業だった。とにかく境内を覆い尽くす「苔」を見るだけでも価値があった。

芭蕉も奥の細道の旅の中でここを訪れ、この奇岩遊仙郷を見て句を読んでいる。

「石山の 石より白し 秋の風」

この旅行記で、芭蕉と曽良の句を引用するのも三回目になってしまった。

ホテル「山下家」は巨大な建物だった。十三階建、一番上が天守閣のようになっている。十年前なら、こんなホテルに泊まるのには、最低でも二万五千円はしただろう。

義母がチェックインを済ませている間、ロビーで待つ。ロビーには、浴衣コーナーというのがあり、そこで自分の背丈に合った浴衣を借りる。僕はブルーの身長百七十センチ用を借りる。鍵を貰い、部屋に向かう。案内の仲居さんはいない。何せ館内が広いので、エレベーターを二回乗り換えなければならない。

そうして辿り着いた部屋は、玄関、和室が二つ、洋室、トイレ、浴室がセットになった、俗に言う「スイートルーム」。布団が既に和室のひとつに敷かれている。通行の邪魔になるので、布団をふたつほど別の和室へ引きずっていき、スペースを作る。冷蔵庫はあるが、中は空だ。何か買ってきて、自分で入れなさいという意味か。浴衣は階下で借りてきたが、帯は赤いのが四本あるだけ。

「赤い帯なんて恥ずかしゅうてできるかい。」

という義父のために、叔母がフロントに電話をかけ、青い帯を取り寄せている。

 義父とふたりで大浴場に行く。連休明けで泊り客が少ないせいか、大浴場は義父と僕で貸切り状態。広い温泉を見て、

「孫が小さいとき、温泉に連れてくるいつも泳いどった。」

と義父が懐かしそうに言った。僕は蒸し風呂に入る。アムステルダムのホテルでアンディといつも一緒に入った「ミストサウナ」を思い出す。温泉で連れ合いがいるのは良いもの。それから義父と僕は恒例、「背中の垢こすり」を互いにした。

 

芭蕉も感心した那谷寺の「奇岩」。洞穴の中には小さな石仏がある。

 

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