小さなコンサート

 

 金沢の叔母のかかりつけの医師、北山先生が、アマチュアのテノール歌手であるとのこと。「歌う医師」のリサイタルが、日曜日の午後にあった。切符を買った叔母はその日の午後、あいにく都合が悪くなり、余った切符一枚が私のほうに回ってきた。そんなわけで、祖母を病院に見舞った後、義母と私は、金沢駅前にある音楽堂へ、リサイタルを聴きにでかけた。金沢駅前に音楽堂があると言うことを、実はその日まで知らなかった。最近金沢では、やたら新しい道路や、建物が造られており、知らないところに新しい建物や道路が忽然と出現している。金沢ほどの中規模な町に「観光会館」、「厚生年金会館」、それに「音楽堂」と三つもコンサートホールがあるというのは、少し多すぎるような気もするが。

 そのリサイタルは「日本の歌」と題されていた。プログラムを見ると、実に多彩な選曲。高校野球の歌「ああ栄冠は君に輝く」から「蘇州夜曲」、六十年代の反戦歌まで多岐に至る。会場は、音楽堂の中の「邦楽ホール」という小ぶりのもの。北山先生の奥様の司会。和服姿の彼女が、曲にまつわる色々なエピソードを紹介。ピアノと鼓弓の伴奏で、北山先生が歌うという段取りであった。

 北山先生の歌は、アマチュアの域ということで、声量の点で少し物足りない。しかし、熱意は伝わってくる。それ以上に伴奏ピアノには感激してしまった。先週の金曜日、ヴァレンティンのレッスンを受けたとき、指だけで弾かないで、腕、手首全体を使って弾けと言われたが、その日のピアニストを見て、その意味がよくわかった。しなやかな腕全体が、「カワイピアノ」の鍵盤の上を駆け回り、時には穏やかに、時には激しく、音が奏でられていく。上手な人の演奏を見ることは、自分で練習すると同じくらい大切なことだと、そのときつくづくと思った。

 最後の曲は「死んだ男の残したものは」。七十年代の反戦歌だが、これはよかった。涙が出た。「死んだ兵士の残したものは・・・平和ひとつ残せなかった。」このフレーズはすごい。ピーター・ポール・アンド・マリーの「花はどこに行った」の、「兵士たちは皆どこに行ったの。」「墓場へ行った。」このフレーズを最初に聞きドキリとしたのと同じ気分、同じ感動である。

 アンコールが「さとうきび畑」。これも一種の反戦歌。こんな歌に私は弱い。「ザワワ、ザワワ、ザワワ、広いサトウキビ畑で」の、「ザワワ」の部分が、聴衆参加となっている。北山先生が聴衆を指揮して、「もっと大きく、もっと大きく」と、このフレーズを歌わせるのである。ウィーンフィルのニューイヤーコンサート、最後のアンコールで指揮者が客席の方を向いて、「ラデツキー行進曲」の手拍子の指揮をするのに似ている。最近は、聴衆参加アンコールと言うのが流行りなのかも知れない。

コンサートは思いのほか良かった。北山先生にお会いして、良かったですよと伝えようと思ったが、機会がなかった。それで、ロンドンへ帰ったら「ファンレター」を書こうと思う。向こうも日本から手紙が来るより、ロンドンから来たほうが嬉しいと思うから。

 

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