入院中の人々
東京から戻った翌日、金曜日の朝、私は再び病院を訪れた。今回は循環器科の医者に、心臓の動きを超音波で撮影してもらった。その結果も嬉しいことに「異常なし」であった。ただ、この病気、一度かかると再発し易いと医者は言った。
「どうしたら、再発を防げるのですか。」
私が聞くと、
「そんなことをクヨクヨ考えないことが一番の再発予防法やね。」
と、分かったような、分からないような返事。
実家に戻ると、父がベッドの横に座って本を読んでいる。何の本かと見ると「ダヴィンチ・コード」。もうすぐ映画が上映されるので、日本ではこの本がどこの本屋でも平積みになっている。あの長大な本を読む気概があれば、父もまだまだ大丈夫だと、私は思った。
その日の午後、私は妻の実家のある金沢に向かった。金沢の義父母に会うと同時に、入院中の祖母の様子も見ておきたかったからである。九十二歳の祖母はアルツハイマーが進行している上に、昨年暮れに大腿骨を折り、ずっと入院中。義母と叔母が交替で病院に顔を出している。
日曜日に、私は義母とともに祖母を病院に訪れた。昨年、少しくらいは歩けた祖母も、今は全く歩けなくなっている。病室に行くと、ベッドから落ちると危ないからとのことで、床に畳を敷いて、祖母はその上で寝ていた。先ほど、動こうとしてどこかに頭をぶつけて、タンコブを作ったらしい。
「おばあちゃん。こんにちは。元博です。」
と、耳の遠い祖母に大声で叫ぶ。
「遠いところを。ひとりか。」
祖母はつぶやいた。これが祖母と交わした唯一の「会話」であった。
祖母を車椅子に乗せ、食堂に連れて行く。祖母を抱えて車椅子に乗せるとき、意外に重いのに驚いた。こんなことを毎日していたら、腰を痛めることになるかも知れない。
義母が食堂で、もう独りでは食事を取れない祖母に、昼食を与え始めた。見ると、一人の外国人が、テレビの前で、ポツンと食事をしている。私は英語で話しかけた。彼はピーターという名前で、アイルランド人。金沢の高校で英語の教師をしていると言った。少し前に痛めた膝に水が溜まり、入院中であるとのこと。私がロンドンから来たと言うと、彼は、現在の英国のサッカー、プレミアリーグの順位を尋ねてきた。チェルシーがトップで、マンUが二位だと伝える。彼は、日本語が殆ど分からないと言った。英語がある程度は話せる私でも、英国で入院しているときは心細かった。言葉が殆ど分からない彼とって、入院生活は、私の何倍も心細いに違いない。時々、同僚の日本人の英語教師が、お見舞いと通訳に来てくれるらしいが。彼は、言葉の通じる人間が自分の傍にいることが、とても嬉しそうであった。祖母が昼食を終えるまでの半時間、私はピーターと話していた。