モトのモットー、その一

四月なのに、ロンドンでは珍しく雪が積もった。

 

 最近は時差のある場所を移動すると、その後数週間は身体がおかしい。若い頃は日本からヨーロッパに戻っても、三、四日間眠いだけで、一週間もすれば完全に時差を克服できたのに。昔は数日間、今では数週間。歳を取るにつれて、身体の順応力は確実に落ちている。

 今年一月にガダルカナル島から帰った時と同様、今回も日本から戻った後の二週間、体調不良で苦しんだ。時差ボケだけでも「しんどい」上に、今回は帰りの飛行機の中で喉をやられ、ロンドンに戻ると咳が出始めた。それがだんだん、ひどくなり、帰って三日目の夜には、一晩中咳が出続けて眠れない。不本意ながら、僕は翌日仕事を休んだ。

僕には、いくつか自分に課している事項がある。それを冗談で「モトのモットー」と呼んでいる。その中のひとつに「有給休暇を取った翌週は、病気で仕事を休まない」というのがある。休暇で席を空けている間、他の同僚に迷惑をかけているわけである。また、ホリデーとは本来「心と体のリフレッシュ」の為に取るもの。リフレッシュした後に体調を崩すなんて最悪、社会人として恥ずかしい、と言うわけ。しかし、今回は余りの体調の悪さに、ホリデーの翌週であるが、会社を休んでしまった。あーあ、「モトのモットー」は何処へ。

 二週間近くが経ち、やっと咳も時差ボケも収まった翌週の木曜日の夕方のこと、オフィスを出ようとすると、上司のアンディが僕を呼び止める。

「モト、来週の月曜日から、三日ほどドイツに出張してくれないか。」

随分急な話である。聞くと、ドイツ支店と大手顧客の間で始めることになっている、新しいEDI(エレクトリック・データ・インターチェンジ)をテストしてきてほしいとのこと。会社のドイツ支店では昔一年間「助っ人」として働いたことがあり、言わば僕の第二のホームグラウンドである。体調も戻ってきたので、断る理由はない。

「コミュニケーション、オーガニゼーションだけの簡単な仕事だよ。」

とアンディが強調する。それはいささか眉唾。そんな簡単な仕事ならば、若い連中を派遣すればよいのである。わざわざ「年寄り、ベテラン」の僕に話をもってきた背景には、何か隠された困難があるはず。(実際そうであったのであるが。)

アンディは、僕の身体が二年前の心臓の手術以来、本調子でないこと理解してくれていて、これまで海外出張は極力避けて、オフィスワークに専念できるように配慮してくれていた。良い上司である。僕はアンディに答えた。

「オーケイ、今日はもう帰るから、飛行機はあんたの方で手配してね。」

 実は、妻と僕は翌週の週末、ボンでハーフマラソンを走る息子のワタルを応援するために、ドイツへ行くことにしていた。来週は、月曜日から三日間ドイツにいて、二日間だけロンドンに戻り、週末にまたドイツ。ここ一年以上、ドイツを訪れる機会がなかったのに、ここへきて、一週間に二度もドイツへ行くことになるなんて。偶然とは不思議なものである。

 

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