華麗なる一族
連合軍兵士の墓。墓石の間にバラが植えられている。
妻と子供たちが出て行った後、少し昼寝をする。その後洗面所で洗濯をする。Tシャツはまだ代えがあるが、パンツがもうなくなってきた。Tシャツとパンツを石鹸で洗って、ベランダに干す。ドボドボのシャツは、二時間後にはもうすっかり乾いていた。今回ロンドンから持ってきて、全然必要ないのが靴下。ゴージ・トレッキングの際に一足履いただけ。この天気、この気候、このライフスタイルでは靴下は必要ない。
四時ごろに階下に下り、プールで泳ぐ。泊り客が入れ替わるのは毎週火曜日。今日は水曜日。プールサイドには新しい顔が多い。
部屋に戻ると、携帯に、
「夕食は食べないで帰るから作っておいてね。」
とワタルからテキストが入っている。近くの「イン・カ」スーパーマーケットで冷凍のタコとエビ買い、酢のご飯、タコとキュウリの酢の物、エビの入ったサラダ等を作る。
七時ごろに三人が戻ってくる。ドイツ軍、連合国軍、両方の共同墓地へ行ってきたという。ドイツ軍兵士の墓地の方が、管理も行き届いてきれいだったという。
後日、「クレタ島の戦い」ついて、文献を読んだ。
「一九四〇年、イタリアがギリシアに侵攻。ドイツ軍の援助もあり、一九四一年、ギリシア本土は枢軸軍に占領される。英国等の連合軍は、クレタ島まで撤退し、そこを死守する構えを見せる。しかし、クレタ島はドイツ軍にとっても戦略的に重要な場所だった。一九四一年五月、ドイツ軍のパラシュート部隊が、島への上陸を試みる。激しい戦闘となり、連合軍の戦死者は千人を数えた。最終的に、ドイツ軍はクレタ島の占領に成功する。しかし、ドイツ軍はこの作戦で六千人という兵士を失った。上陸作戦に参加した兵士の四人にひとりが犠牲になったことになる。これはドイツ軍にとって、余りにも大きい代償であった。」
日本軍が最終的にガダルカナル島を奪取できなかったことを除けば、ガダルカナル攻防戦とよく似た話だ。
三人はプールへ泳ぎに行き、彼らがプールから戻ってきてから、遅い夕食となった。夕食の後、ベッドに横になる。本棚を見ると、妻が持って来た、山崎豊子著「華麗なる一族」第一巻が目に入る。何となく読み始める。物語は、伊勢、英虞湾の高級ホテル、新年の晩餐に万俵一族が集まるところから始まる。「華麗なる一族」の晩餐会での会話は、突然英語になったりフランス語になったりする。
「これは我が家と同じやん。」
そう思った。うちの家族の会話も、日本語、英語、ドイツ語が入り乱れている。向こうは英虞湾、こちらはエーゲ海、これも良い勝負。同じくシーフードを食べている。ここまで一緒。しかし、次に万俵家の面々の着ている物についての描写があった。男性はタキシード、女性は高価な和服がイブニングドレス。そのとき、ワタルと僕は、上半身裸の半ズボンでベッドに横たわっていた。なかなか完全に一緒とはいかないものだ。
「クレタ島の戦い」の様子を伝える案内板。