コセコセ、ヴェネチア人

 

港の風景。本当にベニスに似ている。

 

昼から近くの比較的大きな町、ハニアに行くことにした。一時五十分発ハニア行きのバスをスーパーの前で待つ。どうせ田舎のオンボロバスが来ると思っていたら、冷房付きの立派な観光バスが向こうからやってきたので驚く。数年間に出かけたコルフ島では、本当に「良く走っているね、ご苦労さん」と言いたくなるような古いバスばかりだったのに。この違いは、コルフとクレタ島の経済力の差なのだろうか、それとも時代が進んだのだろうか。ともかく、バスは島の「モーターウェイ」(高速道路)を通り、二十五分ほどでハニアの町に着いた。クレタ島には何と「高速道路」が、北の海岸線に沿って、ハニア、レシムノ、イラクリオンの三つの大きな町を結んで走っているのだ。

ハニアは島の首都イラクリオンに続くクレタ島第二の町。クレタ島はヴェネチア(ベニス)の植民地だった時代が長く、文化的にその影響を受けているとのこと。バスターミナルから細い通りを抜けて港に出ると、なるほど、そこはヴェネチアのサン・マルコ広場を彷彿とさせるような場所だった。石畳の船着場を石造りの建物が取り巻き、城砦と灯台が見える。ここでも、海の色はあくまで青い。風が強く、その青い海に白い波頭が立っている。

各国の学校が夏休みに入る七月や八月に地中海のリゾートを訪れると、人ごみと暑さでげんなりすることがあるが、まだ六月、風は涼しく、街や海岸も空いていてよい。ヴェネチア人が築いたという海に面した城壁を回り、同じくヴェネチアに似た雰囲気の、狭い路地を歩いてみる。ヴェネチア人は本国が狭いせいか、どこへ行っても、コセコセとした街の作り方をしたようだ。

一軒の店で、青い陶器のワイングラスを売っていた。青い下地に、波の砕けるような白い模様。今見た海と同じコンビネーションだ。気に入ったので買うことにする。店のお姉さんに、

「どこから来たの。」

と英語で聞かれる。日本からと答えるべきか、英国からと答えるべきか迷う状況。日本人と答えた方が、お姉さんにとっては珍しいかと思い、

「日本から。」

と答える。

「『サンキュー』が日本語では『ありがとう』、ギリシア語では『エフカリストウ』、似ていると思いません。」

と彼女は言った。そう言われると似ていないこともない。クレタの印象についてお姉さんは尋ねてきた。

「もっと暑いと思ってたんですが、それほどでもないので安心しました。」

そう言うと、

「でも風が強いでしょう。こんなことは滅多にないんですよ。」

なるほど、今日は例外的に風が強いらしい。

 

ハニア旧市街にて。意味も無くジャンプするポヨ子さん。

 

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