オラは死んじまっただ
アパートのベランダからの眺望、左側に岩山が見える。
アリカンテ。実は、この町の存在を、僕は三日前まで知らなかった。
目的地に着いて、レンタカーを借りたら、その運転はいつもお父さんの仕事。今回もそれが分かっていたので、いささか付け焼刃ではあるが、地理を頭に入れ土地勘を養うため、妻が図書館から借りてきた「コスタ・ブランカ」旅行ガイド付録の地図を、飛行機の中で仔細に眺めていた。
スペインの地中海岸は、シブラルタルからバルセロナまで、ほぼ右上がりの海岸線が続いている。アリカンテはそのちょうど真ん中辺り。ヴァレンシアの少し左下。この辺りは「コスタ・ブランカ」と呼ばれている。「白い海岸」と言う意味。海岸の美しさが期待できる、なかなか魅力的な名前だ。
前日に予約していたのに、レンタカーを受け取るのに手間取る。結局一時間近くかかってしまった。車はグレーの「ルノー・シーニック」。新車だ。天井が高く中が広い。キーがカード式。ロンドンで自分のBMWを運転しているときは、車が完全に自分の手足になった感じで、実際は運転していながら、自分が運転していることを全然意識していない。しかし、今日は、左ハンドルで右側通行。慣れない車。考えながらの運転だ。ふと、大学時代、免許を取りたての頃を思い出す。目的地は、約八十キロ離れたカルベという町。
高速道路に入る。「ヴァレンシア」を目標に車を走らせる。車線の真ん中を走っているつもりなのだが、妻によると左に寄りすぎだという。うーん、今日は車線の真ん中を走るのさえ難しい。途中、ボニドルムというリゾート地を通過する。高速道路は山側を走っているのだが、海岸沿いに高層ホテル、高層アパートがニョキニョキ林立していて、思わずここはマンハッタンなのかと思ってしまう。
運転の緊張を解すために、娘に音楽を鳴らしてくれるように頼む。彼女が持参した映画音楽のCDをスリットに入れる。ジャーンと音楽が流れ出す。これ「スーパーマン」だっけ、「インディアナ・ジョーンズ」だっけ、「スター・ウォーズ」だっけ、一瞬区別がつかない。絶対に、似すぎだと思うのだが。娘にスペインのラジオに切り替えてくれるに頼む。スペイン語の歌が流れ出す、日本の演歌のようなメロディーと節回し。助手席のポヨ子と思わず顔を見合わせる。
一時間ほど走り、高速道路を離れる。高速の出口に、日本にあるような料金所があった。車を停めると、ブースの中のお姉さんが、「オラ」と言った。それで、僕はスペイン語では「ハロー」のことを「オラ」と言うことを思い出した。車を出発させた後しばらく、「オラ」に触発された僕は
「オラは死んじまっただ。」
を口ずさんでいた。
曲がりくねった坂道を通り、一時間十分ほどで、カルベの町に着く。そこに僕と家族が滞在するアパートメントがあるはずだ。アリカンテを出発したのが既に午後十時。カルベの市街に入った時、時刻は十一時半に近づいていた。