ダンスが済んだ
街には「オペラ座の怪人」みたいな人が沢山歩いている。
「キングス・カレッジ」の中庭を通り抜け、橋を渡り、図書館と人文科学系の学部のキャンパスがある場所へと向かう。ケンブリッジの街中には「ケム川」(Cam)が流れている。ケンブリッジとは文字通り「ケム川に架かる橋」という意味だ。橋の袂は牧草地になっていて、白い牛が数匹草を食べていた。インドで見た、ヒンズーの「聖なる牛」を思い出す。
道々、Y君の日常生活がどんなものかを聞く。彼は文学部でスペイン語とアラビア語を専攻している。英国では、語学を専攻する学生は、一年間、その言葉が母国語として話される国で勉強しなければならない。うちの息子はドイツ語を専攻しているので、現在、ドイツのケルン大学に留学中だ。Y君も来年はそうなるはず。
「アラビア語だと、どこに留学するの。」
と尋ねると、
「多分、ヨルダンかシリアかな。」
と彼は言った。
彼は、学業と同時に、社交ダンス部に属している。その日も、選手権を控えて、午後四時から八時まで、ダンスの練習があるという。そんな練習が、週に三回から四回。社交ダンスとは言え、専門にやると大変なのだ。ダンスが済んだらクタクタだと言う。
「『ダンスが済んだ』って反対から言ってごらん。」
と僕はポヨ子に言った。
図書館の横を通る。ケンブリッジ大学図書館は、英国で発行される全ての本をカバーしているそうだ。日本の国会図書館と同じ。でも、アダルト本、ポルノ小説に到るまで、ちゃんと購入しているのだろうか。そうだとすると、図書館はポルノ小説の殿堂でもある。
図書館を抜けると、「アート」の学部のキャンパスだった。「アート」というと、何となく芸術を想像してしまうが、英国人は、人文科学系の学問、文学、法学、経済学等をひっくるめて「アート」と呼ぶ。例えば、文学修士号は「マスター・オブ・アート」。でも、僕が絵や音楽が得意だからではない。「アート」に対して、数学、化学、物理学、工学、医学など、自然科学系の学問は総称して「サイエンス」。ともかく、「アート」の学部の建物はどれも、ユニークで近代的だった。法学部なんて、船の舳先のような形の、全面ガラス張りの建物だった。
文学部の向こうにあるカレッジは、女性だけが入れるのだと言う。
「ポヨ子さん、そこにしたら。」
と冗談で聞くと、現在女子高に通っている彼女は、凄まじい形相で、
「いやだーっ。」
と言った。
時間は二時を過ぎ、かなり腹が減ってきた。僕たちは、川の畔にあるパブで、遅い昼食をとることにした。