赤ん坊に羽根をつけたら
クリフトン吊り橋の前で。谷底が霞んで見える。ロープの上の小さな点はふたりの人間だ。
「来てよかったねえ。」
と義母と僕は同時に言った。クリフトン吊り橋、深いV字谷に架かっている。下にエイヴォン川が流れているが、川面が霞んで見える。水面からの高さは七十五メートルもあるという。ピアと呼ぶのだろうか、吊り橋のロープを支える両側の塔はレンガ造り、趣がある。実用的であると共に、美しい建造物だ。お婆さんの言った通り、見る価値がある。全長四百十四メートル。完成が一八六〇年。日本はまだ明治維新の前なのだ。
よく見ると、Uの字に渡されたロープの上で作業をしている人間が見える。高所恐怖症の僕には、見ているだけでお尻がこそばゆくなる景色だ。オレンジ色の作業服を着た男が、ロープから下にぶらさがって、何やら点検をしている。いくら命綱を付けているとはいえ、下は百メートル近く何もないのだから。よくやるよ、ホンマに、と言う感じ。
三時も過ぎたので、大学に戻ることにした。スミレは四時半にウィルス記念館の前に戻ってくる予定になっている。バス停に向かうとき公園を横切る。木の根元にクロッカスが群生していた。紫と白の花が可憐だ。
市内に向かうバスに乗ると、先ほどと同じ運転手だった。向こうも覚えていたのか、
「何度も乗るなら、三ポンド九十ペンスで一日券があるので、そっちの方が得だよ。」
と教えてくれる。もう遅いって言うのに。これから帰るところなんだから。
「いいよ。今日バスに乗るのはこれが最後だから。」
そう言って、また三ポンド十ペンスを払う。
大学の前でバスを降りる。まだ時間があるので、隣の博物館に入り、そこのカフェで茶を飲む。カフェには、小さい赤ちゃんを連れたお母さんたちのグループが近くに座っていた。赤ちゃんを眺める。皆可愛い顔をしていると、義母とふたりで感心していた。赤ちゃんって羽根を付けたら天使みたい、と言いかけたその時、何故か、
「赤ん坊、羽根を付けたら赤トンボ〜、柿の種、羽根を付けたらアブラムシ〜」
などと言うくだらない歌を思い出してしまった。「あのねのね」だったかな。
四時半近くなったので、ウィルス記念館の玄関に戻る。十数人の父親母親と思しき人たちが、既に待っていた。隣に座っている女性に、
「子供さんを待っておられるのですか。」
と聞くと、スミレと同じく、英語を専攻する予定の娘さんを待っているとのこと。
「どこから来られたのですか。」
と聞くと、「ハートフォードシャーのラズレット」、なんや、うちの隣の駅やん。お隣さんだった。
四時四十分、スミレが現れる。一緒に回った子と何やら楽しそうに話をしている。どうだったと聞くと、
「皆ロンドンから来た子ばっかりだった。」
確かにその通り。
見ているだけで怖い、吊り橋での作業。