女子学生のファッションについて

学生の町、いたるところに若者が。

 

立体駐車場のエレベーターの中で、英国人の母娘と一緒になる。お母さんはスミレと一緒の書類を持っている。聞いてみると、同じく大学の「オープンデイ」に来たと言った。

集合場所の「ウィルス記念館」は、東大の安田講堂を、二回り大きくしたような、非常に立派な建物だった。一見教会風。ヨーロッパでは、背の高い建物は宗教関係のものが多い。つまり歴史的に見ても、キリスト教会はそれを建てられるくらい「リッチ」だったわけだ。世俗の建物で、これほど立派な塔を持つものは余り例がない。僕の知っている限り、他にはロンドンの「ハイコート」(高等裁判所)くらいしか思い浮かばない。

待合室に入ると、若者たちと付き添いの親たちでごったがえしていた。スミレが受付を済ませる。受付のお姉さんの後ろに掛かっている肖像画はウィンストン・チャーチルだ。

スミレと別れて、義母とふたりで通りに出た。義母は「地球の歩き方」を手に持っている。僕のリュックサックの中身は弁当と魔法ビンのお茶だ。とりあえず、「カシードラル」(大聖堂)まで行ってみることにして、大学生と思しき若者に道を聞く。彼らの丁寧な説明に礼を言い、坂を下りて大聖堂へと向かう。結構勾配がきつい。

「お母さん、こりゃあ『行きは良い良い帰りは怖い』ですよ。帰りはバスに乗りましょう。」

そんなことを言いながら、二人は坂を下る。

道々、女子学生と思われる二十歳前後のお姉ちゃんたちとすれ違う。彼女たちの格好に驚いてしまう。タンクトップの娘、Tシャツの娘、殆ど皆、腕や首筋を露出しているのだ。いくら春めいてきて、天気の良い日だとはいえ、気温はまだ十度を超えたばかり。その大胆さを喜ぶ以上に、彼女たちが風邪でも引かないかと心配してしまう。

姪が大学生の頃、彼女は祖母の家に、パンツの見えそうなミニスカートにブーツ、首の周りの大きく開いたセーターでやって来た。

「ブーツを履くぐらいならもっと長いスカート履いて、セーター着るくらいならもっと暖かそうなのを着りゃあいいのに。」

と彼女の祖母、僕の母が言った。若い女性ファッションとは、常に非実用的なものなのだ。ともかく、大学のある町は、若者が多くて、一種独特の華やいだ雰囲気がある。僕はドイツで六年間住んだ、マーブルクを思い出していた。

 十分ほど歩いて、大聖堂の前に出る。大聖堂は議会のある「C」の字型の建物と向かい合わせに立っており、その間には池と広い芝生の広場があった。

 大聖堂の中に入ると、コンセルジュのおばさんが聞いてきた。

「どこから来たの。」

日本からと答えると、日本語のパンフレットをくれた。大聖堂は小ぶりではあるが、中はまあまあ整っていてきれいだった。ヨーロッパの教会を余り見たことのない義母は、その造りや、ステンドグラスに感心している。ヨーロッパの古い教会は、心を落ち着かせてくれるものがある。しかし、一日に二軒が限度、それ以上見ると飽きが来てしまう。

大聖堂の前で手を振る義母。

 

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