第五章 ケルン・ドイツ駅での出来事

 

 水曜日は「走ろう会」で走り、週末は独りで走るという週二回の練習が定着した。「走ろう会」では速い人たちに引っ張ってもらいスピードをつけ、週末は長い距離をじっくりと走って持久力をつける。その組み合わせがよかったのか、僕の走るスピードも目に見えて速くなってきた。クラブの連中も、

「今度入った日本人のお兄ちゃん、結構やるじゃない。」

と言う目で僕を見てるのが自分でも分かった。

 その年は寒い日が多かったが、季節は確実に春に向かい、懐中電灯を頼りに漆黒の闇の中を走っていたのが、走り始める時間に辺りがぼんやりと明るくなり、三月に入ると、懐中電灯も不要になった。それとともに走るスピードも一段と速くなってきた。

 ところが、四月になり、ロンドンの欧州支局から連絡があり、五月に英国へ戻れと言ってきた。これにはかなりがっかりした。妻と子供たちと離れての生活であったが、慣れてしまうと全く不便を感じない。妻や子供たちの顔は二週間に一度見られる。久しぶりに会おうと、妻も親切だし、僕も妻に寛容になる。夫婦の関係など、一緒に暮らしていたときよりうまくいっているように思えた。僕は、料理、洗濯、掃除、アイロン掛けに至るまで家事は何でもこなすので、独り暮らしはもとより何の不便も感じない。それに、海外赴任の手当てで懐も潤っている。お金に余裕があるので、僕も妻も気持ちがおおらかになり、余計に関係が良くなる。

 何より、結婚して十年間家族と暮らした後の独り暮らし、働いている以外の時間を全て自分のために使えることが捨て難かった。走り、本を読み、これまでできなかったことを、ドイツに赴任した数ヶ月間でいろいろとやった。正直、もっともっとやりたかった。英国にいるとき、会社の帰り、一人でよくパブに立ち寄ったものであった。何をするわけでもない。できるだけ静かなパブの静かな一隅に座り、一杯のビールがなくなるまで、つまり二十分ほどドイツ語のペーパーバックを読むのである。会社でも、家庭でも、常に周囲の人間に囲まれて過ごし、それはそれで楽しいのであるが、僕はひとりの時間に飢えていた。ドイツでの生活は、僕のこの飢えを満たしてくれた。そして、自分としてはまだまだ食い足りないと言う気持ちであったのだ。

ドイツを離れる日が近づくにつれ、僕の気持ちは重くなった。週末にロンドンへ帰らず、文庫本を持って土曜日曜とあて先も定めず電車に乗って、降りたところをぶらぶら散歩して過ごすことが多かった。

 

 いつももっぱら町の近くでのレースに参加している「フォルクスヴァルト走ろう会」であるが、五月のある土曜日、二百キロほど離れたコブレンツの近くの町まで遠征することになった。監督のラルフの、タイプライターで手で打った案内に、集合は午前十時半とある。僕が走る十キロのレースは午後五時。随分早い集合時間を訝しく思いながら、集合場所のW市中央駅に向かった。

 ホームには既に五十人くらいのメンバーが集まっている。パートナーや子供を連れている人も多い。僕達の乗る列車が到着する時、

「間もなく、一番乗り場に、コブレンツ行き急行が到着いたします。ご乗車のフォルクヴァルト走ろう会の皆様のご健闘をお祈りいたします。」

というアナウンスが入る。僕たちは片手の拳を突き出して「オーッ」と叫ぶ。それにしても田舎の駅である。

 列車の中で、僕はコーチのラルフの席へ行った。

「ラルフ、ちょっと話があるんだけど。」

ラルフは例の無表情な顔をこちらに向けて、

「何だ。」

と言った。

「僕、今月末に、英国へ戻らなくてはいけないんだ。今日が皆と走る最後の機会だ。」

僕がそう言うと、彼は驚きの表情を浮かべて。

「ええっ、冗談だろ。俺は信じない。」

と言った。僕は会社の事情を説明したが、ラルフは「俺は信じない」と繰り返した。

 

 列車がレースの行われるA市に到着したのは午後一時。スタートまでにはまだ四時間もある。僕たちは町を散歩した後、ライン河畔の芝生の上に寝転んで時間をつぶした。僕はライン河をたくさんの船が通り過ぎるのを眺めていた。上りの船は一所懸命水を蹴散らしているが少しずつしか進まない。下りの船は大した苦労もなく軽やかに進んでいく。その時僕にはこの遠征の意味が飲み込めた。走るのは言わば口実で、これはクラブの遠足なのである。

天気がいいので、寝転んでいるのは気持ちが良いが、レースを控えビールが飲めないことと、疲れるので日向に長くいることが出来ないのが残念である。ビールで思い出したが、ヴォルフガングが待ちきれずにカフェでビールを飲んでいるのを目撃した。

 五時からの十キロのレースの出来は散々だった。気温が二十七度と高かったこと、結構起伏のあるコースであったこと等で、うまく走れなかった。しかし、チームとしては五キロの部で僕がいつも一緒に走るマティアス少年が優勝するなど、なかなか良い成績で、ラルフも嬉しそうだった。

 走り終わってシャワーを浴び、表彰式が始まるまで、ビールを飲んだ。暑い中を走った後のビールの味は格別で、僕は立て続けに小瓶を三本空にした。表彰式が終わってその場を去るとき、例のヴォルフカングがビール瓶を鞄の中に詰められるだけ詰め込んでいるのを目撃した。

 駅で待っている間にまたビールを買ってすぐ空にして、列車に乗ったら、ヴォルフガングの向かいの席であった。彼は早速鞄の中からビールを取り出した。彼から貰ってまた二本飲んだ。周りの連中も多かれ少なかれ同じ状態である。列車の中で、「ラルフコーチの六十歳の誕生日を祝う歌」を皆で歌った。用意の良い誰かが歌詞をコピーして皆に配っている。乗り換えの時、駅でも歌おううぜと相談がまとまる。

 果たして、ケルン・ドイツ駅での乗り換えの時、僕たちは肩を組んでコンコースで歌った。それどころか、通りすがりのおばちゃんも強引に引っ張り込み、一緒に肩を組んで唄ってもらった。隣のゲオルクが、

「ミキ、ドイツ人がいかにクレージーな民族か良く分かっただろ。」

とウインクをしながら言った。

その出来事以来、サッカーの試合のある日、駅や道端で飲んだくれて歌を唄って騒いでいる人たちを見ても、僕は以前のように非難の目を向けることなく、寛容になったのである。