喜劇のお約束事

芝居が終り家路につく人々。

 

少し肌寒い天気ではあったが、雨が降らなかったことに感謝しつつ。僕は劇場を出て、テムズ河のほとりを、ロンドン・ブリッジ駅に向かって歩き出した。途中で川沿いのパブに立ち寄り、ビールを一杯飲んで行く。隣で、少し浅黒い、サッカー選手のリオ・ファーディナンドに似たお兄ちゃんがビールを飲んでいる。彼も、今芝居を見てきたところだと言った。そう言えばどこかで見たような顔である。

家に帰ってスミレにその日の印象を話した。大学の英文科へ進む彼女は、シェークスピアの戯曲における、いくつかの「お約束事」について教えてくれた。例えば、喜劇が「結婚」と「ダンス」で終わるのはその「お約束事」のひとつだという。そう言えば「ベニスの商人」も最後はそうであった。

 ものの本によると、シェークスピアの喜劇には以下のようなパターンがあるという。

@       愛し合う若いカップルが障害を克服して一緒になる

A       一度離れ離れになった人たちの再会(この人があんたのお母さんやねん。)

B       人違い、人格の取り違え(つまり、ロザリンドが男装しているのに気付かないで、オーランドが話しかけてしまうとか。)

C       賢い召使(うーん、タッチストーンがそれであろうか。疑問符が付くが。)

D       家庭内の緊張(親子げんか、兄弟げんか。)

E       複数のプロット、筋の重なり合い(何せ四組も結婚するのであるから)

F       しばしば洒落と語呂合わせが用いられる(これは英語であるので難しい。)

そして、先ほど述べたように、最後のシーンは必ずと言っていいほど、結婚式とダンスであるとのこと。この辺り、ワンパターンとマンネリズムに陥りながら、逆にそれを武器に客を笑わせる、日本のどこか喜劇集団に似ていると思う。つまり、

「そろそろ来るかな、やった〜、やっぱり来た。」

という笑いである。

「シェークスピアの喜劇は四百前の吉本新喜劇である。」

僕はそう思う。とにかく笑わせるためには手段を選ばない。すこしホロリとさせる部分も作ってあるが、それが次の笑いの伏線になっている。それと、観客参加型の作り方。観客を取り込んでしまうことにより、より楽しませようという意欲が伺われる。

 しかし、シェークスピアの偉大なところは、それを単なる「お笑い」で終わらせなかったことであろう。立見席の庶民を笑いで満足させると同時に、バルコニーに陣取るうるさ型、当時の知識階級をも彼は同時に満足させたのである。そして、何百年がたった今も、観客に笑いを提供すると同時に、学者や学生にその研究のテーマを提供している。(そして、今回僕には、エッセーのテーマを提供してくれた。)

 ともかく、なかなか楽しめた午後であった。シェークスピアと共に、切符をくれたスミレに感謝をせねばなるまい。

 

グローブ座の近くにある、帆船ゴールデン・ハインドのレプリカ。

 

<了>

 

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